昨年(令和2年、2020)は、世情はもとより、自分自身、公私ともに余裕なく、演奏を発信することが中々出来ない一年でした。久しぶりに演奏を撮ってみましたが、「人様に向けて演奏させて頂く」ことのありがたさを実感致しましたところです。本年は、少しずつ、自分のペースではありますが、また演奏公開を徐々にして行けたらなと思っております。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2021年1月1日金曜日
2020年1月1日水曜日
2019年9月1日日曜日
床の間よ、さらば。ありがとう…
…家庭的な事情により、遂に床の間は収納になってしまいました。
この貸家に引っ越してきて足掛け5年、あれこれ「web演奏会」を開催させて頂き、「ジョイントweb」では、ネット上での三曲合奏ということまで体験させて頂きました。共演して下さった皆様、本当にありがとうございました。琴古流本曲も、この場所で36曲全曲、練習し撮影・公開させて頂きました。今思えば、長いような短いような、でもやはりちょっと長いような…です。
ある意味、「自分のスタジオ」的な風にも思っていたのですが、やはり持ち家ではないところで制限された中でやってますので、やはりこういう日が来ますね。…まあ、全部取っ払って掛け軸や天蓋なんかを再びセットすれば、再び元のようにはできるのですが。でも、ある意味一度「床の間」ともお別れなのかなと、思ったりしたところでした。
こないだの大庫さんとの共演が、結果的に最後の床の間での「ジョイントweb」となりました。どうもありがとうございました。
床の間で撮影した最後の演奏「鹿の遠音」です。
大庫さんとの「菊水」の直後、フォーム改変のチェックのためになにも気負わず撮ったもので、その時はこれが最後になるとは思ってもいませんでした。しかしまあ、たまたまですが「鹿の遠音」だったというのも何かの縁だったんですかねぇ…
所々イマイチなところもあって、これまで公開していませんでしたが、見納めということで…
2019年3月28日木曜日
京鈴慕
【京鈴慕(Kyo Reibo)山口 翔】
「鈴慕」の名称につきましては「九州鈴慕」のときにご紹介したとおり、「虚鐸伝記」の故事に関連付けられ尺八曲のジャンル名になったり、単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりし、その結果、日本各地の虚無僧寺に「○○鈴慕」という曲が伝わるようになったようであります。
その意味からすると「京鈴慕」は、「京都に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。
名前の通りこの曲は「志図の曲」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、京都の宇治吸江庵にて、龍安より初世黒沢琴古が伝授されたということです。
平成31年 3月27日撮影
撮影機材:iPhone 8
2019年1月6日日曜日
福岡市総合図書館エントランスホール 新春 アフタヌーン邦楽コンサート
昨年末にブログ上でもご案内させて頂きました、新春邦楽コンサートは、おかげさまでたくさんの方にご来場頂き、無事終了致しました。
足をお運び下さいました皆様に御礼申し上げると同時に、この機会を頂いた重兼さん、谷本さんにも感謝いたします。
動画は、山口が演奏した「巣鶴鈴慕」です。
やはり動画の収録と違って、「本番」には独特の緊張感があり、ちょっと後半は固くなってしまった自分がいました。本番の経験を積むことは、何事にも代え難いことですね。
実家から母も駆け付けてくれ、聴いてくれました。ありがたいことです。
足をお運び下さいました皆様に御礼申し上げると同時に、この機会を頂いた重兼さん、谷本さんにも感謝いたします。
動画は、山口が演奏した「巣鶴鈴慕」です。
やはり動画の収録と違って、「本番」には独特の緊張感があり、ちょっと後半は固くなってしまった自分がいました。本番の経験を積むことは、何事にも代え難いことですね。
実家から母も駆け付けてくれ、聴いてくれました。ありがたいことです。
2019年1月2日水曜日
志図の曲
【志図の曲(Shizu no Kyoku)山口 翔】
明暗真法流、対山派などにも同名曲があり「賤(子)の曲」「志津の曲」などとも書かれるようです。
「しず(しづ)」とは、「しづ(静・鎮)める」の意であり、一切の修行が成就することを願う意味を含む曲だとも言われているそうです。曲は冒頭、高く激しい音より始まって、次第に鎮まりを見せ、曲の最後には尺八の最低音(筒音)まで下がって終わります。
「京鈴慕」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、宇治吸江庵にて龍安より初世黒沢琴古が伝授されました。
平成30年 12月26日撮影
撮影機材:iPhone
九州鈴慕
【九州鈴慕(Kyushu Reibo)山口 翔】
「鈴慕(れいぼ)」とは、尺八本曲の曲名・ジャンル名であり、古伝三曲の一つ「霧海篪鈴慕」と関係を持つ楽曲群を広く指すようです。
虚無僧に関する伝説「虚鐸伝記」に、普化宗の祖と仰がれる普化禅師が、中国・唐代に街中を鈴(鐸)を振りながら練り歩き「四打の偈」を唱えてまわったこと、それを慕った弟子の張伯が、その鈴の音を模して竹の笛を吹き、これが虚無僧尺八の源泉となったこと、などが記載されています。
この伝説に関連させて付けられた尺八の曲名「鈴慕」が生まれ、日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲の多くが「○○鈴慕」となったり、
単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりして、広まっていったようです。
「九州鈴慕」は、「九州地方に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。
実際にはいくつかの流派にそれぞれ違った伝承があり、「同名異曲」(名前が同じでも異なった楽曲)が複数存在する楽曲です。
琴古流本曲の「九州鈴慕」は、虚無僧寺の総本山である、下総小金・一月寺の本則、福田傳次(義好)より初世黒沢琴古が伝授されました。
平成30年 12月26日撮影
撮影機材:iPhone 8
2018年10月29日月曜日
転菅垣
【転菅垣(Koro Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、横浜の一月寺末寺頭、青木山西向寺の本則野田意悦(虚道)より初世黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
この曲も秋田菅垣と同様、比較的拍子がはっきりしています。大きな特徴として、曲の前半部分と後半部分がピッタリ合奏できるように作曲されていることが挙げられます。
後半部分は「コロコロ」の手を、地のように繰り返しているのが印象的で、曲名との関連を想像させます。
前回「10分で琴古流本曲シリーズ」におきましては、この前半と後半の吹合せを多重録画で再現しましたが、今回は最初から最後まで全曲通しで演奏してみました。
平成30年 10月29日撮影
撮影機材:iPhone 8
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、横浜の一月寺末寺頭、青木山西向寺の本則野田意悦(虚道)より初世黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
この曲も秋田菅垣と同様、比較的拍子がはっきりしています。大きな特徴として、曲の前半部分と後半部分がピッタリ合奏できるように作曲されていることが挙げられます。
後半部分は「コロコロ」の手を、地のように繰り返しているのが印象的で、曲名との関連を想像させます。
前回「10分で琴古流本曲シリーズ」におきましては、この前半と後半の吹合せを多重録画で再現しましたが、今回は最初から最後まで全曲通しで演奏してみました。
平成30年 10月29日撮影
撮影機材:iPhone 8
2018年10月15日月曜日
秋田菅垣
【秋田菅垣(Akita Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。
平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。
平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8
2018年9月30日日曜日
再び、琴古流本曲を最初から
本曲を、また最初に戻ってもう一巡することにしました。まずは「一二三鉢返調」、「瀧落の曲」からです。
本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。
以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。
【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。
この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。
黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。
曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。
平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8
本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。
以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。
【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。
この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。
黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。
曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。
平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8
【瀧落の曲(Takiotoshi no Kyoku)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、下総一月寺の御本則、小嶋丈助(残水)より初代琴古が伝授された曲であるとのことです。
伝説によれば、伊豆の修善寺の旭滝の傍にあった瀧源寺の住職が、滝の落ちる様を竹の調べに移したものということです。古典本曲各派に同名曲が伝わっており、そちらでは「たきおち」と読むことが多いようですが、琴古流では「たきおとし」と呼びます。
「ツレゝゝ、ゝツレゝ、リウレゝ、ツロへツレロ」という、瀧落ならではの旋律系が繰り返され、呂(乙、第1オクターブ)を主体とした前半部、甲(第2オクターブ)に移行した高音(たかね)の中盤、そして再び呂に落ち着いた後半部から成っています。後半部では、「ナヤシ」を除くことで、前半部とは異なる雰囲気となっています。譜面では呂の前半部をもう一度繰り返すよう指示されていますが、現行では繰り返しを省き、中盤に移ることが殆どのようです。
平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8
2018年8月4日土曜日
10分で琴古流本曲(番外編)「虚空鈴慕」
昨年度末に完結した「10分で~」シリーズですが、この夏、「久しぶりに虚空鈴慕が吹いてみたいな」と思い、そういえば「10分で~」シリーズでは本手だけの形で「虚空鈴慕」を公開していない(本手・替手の多重録画、ライブ演奏版はあり)ことを思い出し、急遽紋付を着て撮影してみました。(H30夏の酷暑の中、エアコンを最低温度の「17度」に設定して袷の紋付に身を包みました。)
「霧海篪鈴慕」の解説でも申し上げましたが、尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)の虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の2曲目となります。
『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったのだそうです。
この伝説の真偽のほどはさておき、「虚空」は様々に伝承されてきた古典本曲の中でも名曲として人気があり、古典本曲を伝承する各流各派において大切に伝えられてきた特別な楽曲の一つと言えるでしょう。特に冒頭の「ツレー、レー、レー、チチーウー」の旋律は、流派ごとの味付けの違いはあれど、聴いた瞬間「ああっ、虚空だ!」とグッとくるものがあります。また冒頭フレーズのあとの落ち着いた乙(呂)音の続く味わい深い低音部、一転して緊張感あふれる三のウやヒ、チの連打などの差し迫った展開から、後半はリズミカルに乗っていくなど、「虚空」ならではの形というか、曲の個性というものがとても印象的な楽曲です。
個人的な感想として、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している「霧海篪」に比べ、「虚空」は曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ楽曲のように思われます。地歌箏曲に例えるなら「八重衣」にでも当てはまるのではないでしょうか。
全曲演奏すると25分程かかる大曲ですが、曲の構成を崩さないよう気をつけながら、各所から少しずつ抜粋して10分の演奏としました。
琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。なお、琴古流では当初「虚空」として伝えられた曲名が、伝承されるうちに「虚空鈴慕」となって今日に至っています。
※ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。
2018年5月12日土曜日
YouTube演奏動画を投稿してわかったこと
おかげさまで、YouTubeにアップした動画のうち、昨日(5月11日)に「六段」が、本日(12日)に「web尺八セミナー・黒髪」が、視聴回数1万回を突破しました。
視聴してくださった皆様、本当にありがとうございます。
さて、それを記念して…というわけでもないですが、僕がYouTubeに尺八の古典曲をアップし始めて気付いたことを、ちょっと話題にしてみたいと思います。
まず、僕がアップした楽曲については、以下のようになっています。
1、「web演奏会」(最初期)
まだ「演奏動画」ではなく、「演奏録音に写真を貼り付けてスライドショーにしたもの」です。自宅で演奏できなかった時代に、演奏をYouTubeにアップしようとして作りました。
曲目:一二三鉢返調、虚空鈴慕、鹿の遠音、夕暮の曲、六段本手替手合奏
2、「web演奏会」
琴古流本曲全曲を10分程度に抜粋して収録した「10分で琴古流本曲」シリーズと、外曲を数曲、素吹き(尺八のみ)にて演奏しました。
曲目:琴古流本曲全36曲、六段、八千代獅子、千鳥本手替手、岡康砧、さらし、茶音頭、末の契
3、共演者との演奏動画
筑前琵琶との合奏、都山流尺八奏者との「夕顔」の吹合せ、「鹿の遠音」等の琴古流奏者同士の共演など
4、ライブ映像
虚空鈴慕、鹿の遠音、真虚霊等
5、ジョイントweb演奏会
小鳥の歌(宮崎紅山さん)、秋の七草、千鳥の曲(大庫こずえさん)、黒髪(東啓次郎さん)、鹿の遠音(中村 建さん)
6、その他
ラジオ体操、福田蘭童曲、web尺八セミナー、古典本曲・鈴慕…
これらのうち、平成30年5月12日現在で視聴回数ベスト3が、
1、六段(素吹き)10,054
2、web尺八セミナー「黒髪」10,010
3、ジョイントweb演奏会「千鳥の曲」(大庫さんと)9,520
となっています。
続いて、
4、八千代獅子(素吹き)4,231
5、一二三鉢返調3,329
6、ジョイントweb「黒髪」(東さんと)2,435
7、夕顔(猿渡伶山さんと都山・琴古吹合せ)2,169
8、ジョイントweb「秋の七草」(大庫さんと)1,610
9、滝落の曲1,600
10、ジョイントweb「小鳥の歌」(宮崎さんと)1,596
以上がベスト10です。
ちなみに、「視聴回数1000以上」は、この他に
六段本手替手(スライドショー)1,247
秋田菅垣1,161
鹿の遠音(スライドショー)1,145
九州鈴慕1,040
がありました。
さて、これらの楽曲には、公開してからの時間差があり、視聴回数だけでは単純に考察できないところもありますが、それでも傾向として読み取れることがあると思います。
まず、「本曲よりも外曲の方が見てくれている」というのがあります。
それから、「ジョイントweb」などの「共演もの」は視聴回数が伸びる傾向があるようですね。
そして何よりも、ズバリこの結果から言えることは「初傳曲の有名曲で、みんながよくやる曲が視聴回数が多い」ということが言えるのではないでしょうか。
その理由は、やはり「音源」としての利用が最も多いからなのではないでしょうか。奏者の心情としては複雑なところですが、どうしても三曲の古典は「鑑賞対象」というよりも、「やっている人のための音楽」なんですね。それは、以前の記事「「日本版パトロン制」としての家元制度」に述べた考察とも関連すると思います。
つまり、「尺八の古典をやっている人」の中で、最も演奏される機会が多いのが「初傳の有名曲(六段、千鳥、黒髪…)」であるため、それらのアクセスが多いというわけです。すると、本曲の中で「一二三鉢返調」が最も視聴回数が多いというのも、うなずけますね。本曲の中で最初にやる曲ですから。
あと、それ以外に気付いた点としては、以下のようなものがありますので、箇条書きにしてまとめておきます。
・演奏音源に写真をつけたものよりも、奏者自身が演奏している姿が映っている動画の方が視聴回数が増える。
・一人で多重録画した「本手・替手」合奏は、あまり視聴回数が伸びない。
・普段着の着物だと、紋付よりも視聴回数が落ちる。
・公開日は平日、それも木曜日あたりが、視聴回数が増えやすく、土日だとそこまで伸びない(「リアルが充実」しているときはあまりYouTubeを見ないため?)。同じ理由と思われるが、年末年始もあまり視聴回数は伸びにくい。
・ひと月に2回以上の動画公開をすると、新鮮味がなくなって視聴回数が伸びない。
・琴古流本曲の中で視聴回数が伸びやすいのは、一二三鉢返調、滝落の曲、秋田菅垣、古伝三曲、夕暮の曲、巣鶴鈴慕、三谷菅垣、鹿の遠音。…やはり、人気曲が伸びますね。
視聴してくださった皆様、本当にありがとうございます。
さて、それを記念して…というわけでもないですが、僕がYouTubeに尺八の古典曲をアップし始めて気付いたことを、ちょっと話題にしてみたいと思います。
まず、僕がアップした楽曲については、以下のようになっています。
1、「web演奏会」(最初期)
まだ「演奏動画」ではなく、「演奏録音に写真を貼り付けてスライドショーにしたもの」です。自宅で演奏できなかった時代に、演奏をYouTubeにアップしようとして作りました。
曲目:一二三鉢返調、虚空鈴慕、鹿の遠音、夕暮の曲、六段本手替手合奏
2、「web演奏会」
琴古流本曲全曲を10分程度に抜粋して収録した「10分で琴古流本曲」シリーズと、外曲を数曲、素吹き(尺八のみ)にて演奏しました。
曲目:琴古流本曲全36曲、六段、八千代獅子、千鳥本手替手、岡康砧、さらし、茶音頭、末の契
3、共演者との演奏動画
筑前琵琶との合奏、都山流尺八奏者との「夕顔」の吹合せ、「鹿の遠音」等の琴古流奏者同士の共演など
4、ライブ映像
虚空鈴慕、鹿の遠音、真虚霊等
5、ジョイントweb演奏会
小鳥の歌(宮崎紅山さん)、秋の七草、千鳥の曲(大庫こずえさん)、黒髪(東啓次郎さん)、鹿の遠音(中村 建さん)
6、その他
ラジオ体操、福田蘭童曲、web尺八セミナー、古典本曲・鈴慕…
これらのうち、平成30年5月12日現在で視聴回数ベスト3が、
1、六段(素吹き)10,054
2、web尺八セミナー「黒髪」10,010
3、ジョイントweb演奏会「千鳥の曲」(大庫さんと)9,520
となっています。
続いて、
4、八千代獅子(素吹き)4,231
5、一二三鉢返調3,329
6、ジョイントweb「黒髪」(東さんと)2,435
7、夕顔(猿渡伶山さんと都山・琴古吹合せ)2,169
8、ジョイントweb「秋の七草」(大庫さんと)1,610
9、滝落の曲1,600
10、ジョイントweb「小鳥の歌」(宮崎さんと)1,596
以上がベスト10です。
ちなみに、「視聴回数1000以上」は、この他に
六段本手替手(スライドショー)1,247
秋田菅垣1,161
鹿の遠音(スライドショー)1,145
九州鈴慕1,040
がありました。
さて、これらの楽曲には、公開してからの時間差があり、視聴回数だけでは単純に考察できないところもありますが、それでも傾向として読み取れることがあると思います。
まず、「本曲よりも外曲の方が見てくれている」というのがあります。
それから、「ジョイントweb」などの「共演もの」は視聴回数が伸びる傾向があるようですね。
そして何よりも、ズバリこの結果から言えることは「初傳曲の有名曲で、みんながよくやる曲が視聴回数が多い」ということが言えるのではないでしょうか。
その理由は、やはり「音源」としての利用が最も多いからなのではないでしょうか。奏者の心情としては複雑なところですが、どうしても三曲の古典は「鑑賞対象」というよりも、「やっている人のための音楽」なんですね。それは、以前の記事「「日本版パトロン制」としての家元制度」に述べた考察とも関連すると思います。
つまり、「尺八の古典をやっている人」の中で、最も演奏される機会が多いのが「初傳の有名曲(六段、千鳥、黒髪…)」であるため、それらのアクセスが多いというわけです。すると、本曲の中で「一二三鉢返調」が最も視聴回数が多いというのも、うなずけますね。本曲の中で最初にやる曲ですから。
あと、それ以外に気付いた点としては、以下のようなものがありますので、箇条書きにしてまとめておきます。
・演奏音源に写真をつけたものよりも、奏者自身が演奏している姿が映っている動画の方が視聴回数が増える。
・一人で多重録画した「本手・替手」合奏は、あまり視聴回数が伸びない。
・普段着の着物だと、紋付よりも視聴回数が落ちる。
・公開日は平日、それも木曜日あたりが、視聴回数が増えやすく、土日だとそこまで伸びない(「リアルが充実」しているときはあまりYouTubeを見ないため?)。同じ理由と思われるが、年末年始もあまり視聴回数は伸びにくい。
・ひと月に2回以上の動画公開をすると、新鮮味がなくなって視聴回数が伸びない。
・琴古流本曲の中で視聴回数が伸びやすいのは、一二三鉢返調、滝落の曲、秋田菅垣、古伝三曲、夕暮の曲、巣鶴鈴慕、三谷菅垣、鹿の遠音。…やはり、人気曲が伸びますね。
2018年3月29日木曜日
【web演奏会】10分で琴古流本曲「寿調」
第49回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(36)「寿調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
『三浦琴童譜』(正式には『三浦琴童先生著拍子、記号附 琴古流尺八本曲楽譜』)の1曲目を飾るのは「一二三鉢返寿調」です。これは、「一二三調」「鉢返」「寿調」の3曲が合わさった曲になります(正しくは、それに「竹翁先生入レコノ手」が加わる)。「一二三調」と「鉢返」は、曲の最後の旋律が共通しているので、「一二三調」の途中まで演奏した後に先に「鉢返」を吹き、最後に2曲の重複した終末部分を演奏するということのようです。これが所謂「一二三鉢返調」で、その「鉢返」の終わりの重複部分になる寸前に「寿調」を挿入したのが「一二三鉢返寿調」ということになるわけです。
…文章で書くと、何が何だか判りにくくなってしまうのですが、要するに現行では「一二三鉢返調」という10分程度の2曲合体演奏が一般的になっているわけですが、『三浦琴童譜』においてはプラス「寿調」で、3曲合体の「一二三鉢返寿調」という譜面になっているわけです。しかし、実際には「一二三鉢返調」として演奏することが殆ど(というよりもほぼ全て)なので、「寿調」だけ取り出して「1曲」扱いすることが多いようです。
三浦琴童譜の注釈には「以下寿調又長調トモ云フ」とありますが、この「長調」という曲名は、『琴古手帳』の「当流尺八一道之事 十八条口伝」や「細川月翁文書」の『尺八曲目ケ条之書』に「一、長しらべをふく事」と出てきます。月翁文書の『尺八曲目ケ条之書』においては、付け紙に「初代琴古工夫して吹出す也 息気竹に和し候上ならでは何(いずれの)曲も吹かたし 何曲を吹とても前に是を吹て息気竹に和し其上にて曲を吹 為に設曲によりて吹仕廻の跡に入る音に伝あり」とあり、初代琴古が曲を演奏する前のウォーミングアップとして吹くように設定していたことが推測されます。この初代琴古の「長しらべ」と全く同一の曲なのかはわかりませんが、性質として「前吹」としての役割を持つ「調べ」であるならば、「一二三鉢返調」と統合されて伝わったとしても納得のいく由来の曲です。
私事ですが、お恥ずかしい話ながら、私自身関西での修行時代末期にお習いして以来、この「10分で…」シリーズのために練習を開始するまでは一度たりとも吹いたことがありませんでした。しかし今回、練習の機会を得て吹いてみたところ意外(!?)だったのが、優雅な独特の旋律を持ち合わせた曲であり、一部雅楽を思わせる展開などもあったりして、なかなか侮れない、いい曲であったということです。「寿」という曲名も、こうした曲調によるものなのかもしれません。また、ここ数ヶ月「裏の曲」ばかりを吹いてきたため、久しぶりに「表の曲!」という雰囲気を味わいました。表の曲は「古伝三曲」「行草の手(竹盟社では「学行の手」)」「真の手」など、「いかにも琴古流本曲!!」な感じの形の整った楽曲が多いのに対し、裏の曲は「琴古流本曲の中でも特殊・突飛な曲」の割合が高く、特に最後の数曲は作曲時期が新しいこともあって、自分の中の演奏イメージがだいぶ表の曲から外れた状態にきていました。そこにこの「寿調」で、「おおっっっ!琴古流本曲本来の姿に戻ってきたぞ!」というような感動を味わったわけです。
現在では「琴古流本曲36曲」のトリを引き受けるこの「寿調」。地味なようでいて、実は旋律も美しく、さらに初代琴古以来の脈々と続く伝承を受け継いでいるこの楽曲を、「10分で…」シリーズの最後に演奏公開させて頂けたことは、自分にとって新鮮な思い出として残りました。これからも、何か祝儀事での演奏機会があれば、ぜひこの「寿調」に活躍してもらおうかなと思っているこの頃です。なお、この曲も抜粋せず、「一二三鉢返寿調」のうちの「寿調」の部分だけを演奏して10分ちょっとに収まる楽曲です。
※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。
【web演奏会】10分で琴古流本曲「月の曲」
第48回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(35)「月の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
近代以降の琴古流の礎を築いた、2世荒木古童(竹翁)が作曲しました。以前から解説している通り、曙調子・雲井調子の移調が現行しない代わりに、琴古流本曲36曲にカウントされるようになった曲です。
この曲については、雑誌『三曲』の大正14年2月号に、三浦琴童が「荒木竹翁先生」という記事で言及していますので、ここに引用させていただきます。
「先生の作曲では現在も琴古流本曲として用ひてゐますが月の曲、之には呂のロから甲のハ迄昇る手がありますが、之は自然に昇せるので、之も月の昇つて行く形容を取入れたものでそこが此曲の骨子となるのです。
月に次いでは雪の曲、花の曲、も作曲の予定であつたとかで、花の曲に就ては先生の案になつてゐた手も聞かされた事があります。
雪は今戸へ引越してから裏の隅田川を見乍ら雪の情景を味つて会心の曲を仕揚げるのだと云つておられました。一局部の作はあつたのですが、終に完成を見なかつた事は誠に惜しい事です。
それでもかうして「月の曲」が残つておると云ふ事はせめてもの吾々の幸福だと思つております」
ちなみに『三浦琴童譜』の「月の曲」の注釈には、「此曲ハ荒木竹翁先生推敲中に歿せられしが、愛慕の意を表するため謹写せし者なり」とあります。
演奏してみますと、琴童師が解説されている「呂のロから甲のハまで昇る手」が実に印象的で、八寸管で壱越になる筒音が、第1オクターブから第3オクターブまで連続して吹き上がっていくような演出になっています。この手には譜面に注釈があり、「一と息ニテ呂ノロヨリ甲二ナシ五ノハノ呂ニナシ又甲ニナシ終リニ四ノハヲ一寸聞カセル」とあります。乙のロから甲に吹き上げ(第1オクターブから第2オクターブ)、そこから裏孔をあけて乙の五のハとし(甲のロと同音)、さらにそこから甲に上げる(第3オクターブ)というわけですね。しまいの部分は2、3孔をスって終わります。琴古流の「四のハ」は、1、4孔を閉じるようになっているので、注釈のような書き方になるのでしょう。
このスリの記述は、鹿の遠音の「竹翁先生替手(実際には現行の演奏は全てこの「替手」で演奏します)にもあります。「四のハ」は、「三のハ」と同じく近代に入ってから、外曲の必要性によって生み出された運指なわけですが、「月の曲」も、「鹿の遠音・竹翁先生替手」も、荒木竹翁が手付けしたわけですから、旋律自体が「近代の琴古流」へと移っていっているといえるでしょう。「月の曲」の終末には「ヒの中メリ」「レの中メリ」も出現し、あたかも外曲の後歌のような趣を感じます。
曲全体として、「琴古流本曲の代表的な手のオンパレード」というか、「ベストヒット集」とでもいう感じで印象的な手が連続して構成されており、非常に聴きやすいまとまりのよい楽曲となっています。ここでは抜粋せず全曲通していますが、15分以内に収まっています。曲の終わりは、殆どの琴古流本曲と同様「レロ」となっていますが、楽譜ではその横に細字で「或ハ、ハゝハレ」とあり、ひょっとしたら竹翁師が「最後まで迷っていた」のかもしれません。個人的には後者の方が自然な流れに感じますが、お習いしたのは「レロ」の方ですので、こちらで演奏しております。
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2018年3月25日日曜日
【web演奏会】10分で琴古流本曲「砧巣籠」
第47回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「砧巣籠」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
初代琴古・本名黒澤幸八は、若干19歳にして、長崎・正壽軒(当時は玖崎寺)にて虚無僧・一計より「古伝三曲」「鹿の遠音」「波間鈴慕」など7曲を伝承、さらに全国各地の尺八本曲を蒐集して「琴古流本曲」の基礎を整えたのみならず製管にもたくみで、一躍尺八の名手として一斉を風靡した人物でした。その子である幸右衛門も名人の誉れ高く、父の没後幸八の名と琴古の号を襲名、2代黒沢琴古として活躍しました。さらにその子である雅十郎も幸八の名と琴古の号を襲名、3代黒沢琴古として世に知られています。
3代琴古の大きな業績としては、これまでの本曲の紹介文で度々引用してきた「琴古手帳」という忘備録を残したこと(実際には父の2代琴古が書き綴ったものに3代琴古が書き足したようである)、久松風陽を始めとする優れた門人を輩出したこと、そして今回の演奏曲「砧巣籠」を作曲したことが挙げられると思います。
「砧巣籠」は、「碪巣籠」とも表記され、尺八本曲として有名な「鶴の巣籠(琴古流ではのちに「巣鶴鈴慕」)と同じく十二段構成となっています。曲名から察せられる通り「鶴の巣籠」を強く意識して(というよりもベースにして)、なおかつ「砧」の要素を取り入れたということになるかと思います。三曲の世界において「砧」といえば、「砧もの」「砧地」などの用語が思い当たりますが、これらは「チンリンチンリン」「ツルテンツルテン」といった定型的なリズムの繰り返しが特徴的な器楽的楽曲といえます。つまり「砧巣籠」は、尺八本曲の要素に外曲の要素を加味して成立した楽曲といえるのではないでしょうか。実際、琴古流本曲の中では例外的に、「レ」の連続音を外曲と同じ「4押し」(殆どの曲は「1打ち」)にて行うように指定されています。曲全体を通して似たリズムの繰り返しや、同音の連続音が多用されています。
さらに、この曲によく現れる印象深いリズムが、いわゆる「三・三・七拍子」の音型です。「三・三・七拍子」といえば「応援団」の代表的なリズムパターンですが、これが江戸時代から脈々と日本人に受け継がれてきた伝統的な音型ということが、ここでも立証できるのではないでしょうか。そういえば、本曲でもよく用いられる「打ち詰め」(同じ音を、最初は間隔をあけて、だんだん早くしていく技法)のリズムも、応援団の演出としてよく用いられますね。
この「砧巣籠」は、「琴古流本曲36曲」が成立した頃から「裏の曲のラスト」を飾る1曲であったようで(近代以前はその後に「秘曲・呼返鹿遠音」が構えていた)、文献に残るエピソードにも「最後に習った」とか「この曲だけ残った」などの話が見られる所からも「琴古流本曲の中でも特別な存在」として、歴代大切に取り扱われてきたことが感じられます。師匠・吉村蒿盟師と初めてお会いした際「琴古流本曲の中で一番難しい曲は砧巣籠や」と語っておられたのが心に残っています。「知名度」では「巣鶴鈴慕」の方が上ですが、琴古流のみに伝わるこの特別な一曲を、これからも大切に吹き続けていきたいと決心しております。技術的な難易度も高く、スケールの大きいこの曲を充分に表現するのは大変難しいことですが、「現時点での自分の演奏」として、この場に記録させていただき、今後も精進を重ねたいと思います。
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2018年3月22日木曜日
【web演奏会】10分で琴古流本曲「厂音柱の曲」
第46回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「厂音柱の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
※今回は、「芦の調」「厂音柱の曲」の二曲同時公開です。
「芦の調」「厂音柱の曲」は、ともに3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹として扱われたものであり、元々の「琴古流本曲36曲」には数えられていなかったものでありますが、曙調子・雲井調子の移調曲8曲が実際には演奏されなくなったことから、現在は独立した1曲に数えられております。「琴古手帳」の冒頭にある「当流尺八曲目録」に、「碪巣籠、前吹蘆調、同柱曲」とありますが、3世琴古以前に記録されたと思われる「当流尺八曲目」には「砧巣籠」が含まれておらず、当時は琴古流本曲は「表18曲、裏17曲の計35曲」だったことが分かります。「36曲」が成立したのは3世琴古の代になってからということになり、前吹である「芦の調」「厂音柱の曲」も、琴古流本曲成立当初にはなかった、比較的新しい曲と言えるでしょう。
なお、値賀笋童師著『伝統古典尺八覚え書』によると、「厂音柱の曲」は3代目琴古の門人であり、「琴古流中興の祖」とも呼ばれる久松風陽の作曲ということです。他の楽曲にはあまり見られない、雅楽のような手が出てくるなど、全体に流麗な雰囲気を感じます。なお、「厂音柱(ことぢ)」とは、箏の調弦の際に移動させる「琴柱」のことであり、昔から雁がねの群れに見立てる美意識があったようです。琴柱のフォルムそのものも、雁が羽を広げ長い首を前に出して飛ぶ姿を彷彿とさせますし、箏の調弦では、一の糸の柱の場所が高い位置にあり、二から下がって三、四…と上がっていく形も、群れの並びと似ていますよね。山田流箏曲「岡康砧」にも、「月の前の砧は、夜寒を告ぐる雲井の雁は琴柱にうつして面白や」とあります。当て字もとても面白いですね。「雁音柱」と、最初の文字をがんだれに省略しない書き方もあります。
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【web演奏会】10分で琴古流本曲「芦の調」
第45回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(33)「芦の調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
※今回は、「芦の調」「厂音柱の曲」の二曲同時公開です。
この「芦の調」と、「厂音柱の曲」は、ともに3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹として扱われたものであり、元々の「琴古流本曲36曲」には数えられていなかったものでありますが、曙調子・雲井調子の移調曲8曲が実際には演奏されなくなったことから、現在は独立した1曲に数えられております。「琴古手帳」の冒頭にある「当流尺八曲目録」に、「碪巣籠、前吹蘆調、同柱曲」とありますが、3世琴古以前に記録されたと思われる「当流尺八曲目」には「砧巣籠」が含まれておらず、当時は琴古流本曲は「表18曲、裏17曲の計35曲」だったことが分かります。「36曲」が成立したのは3世琴古の代になってからということになり、前吹である「芦の調」「厂音柱の曲」も、琴古流本曲成立当初にはなかった、比較的新しい曲と言えるでしょう。
なお、値賀笋童師著『伝統古典尺八覚え書』によると、「芦の調」は2代目琴古の門人、薩摩藩主島津公次男の蘆月公の作曲とあります。出典は不明ですが、もしそれが事実であれば、「鳳将雛」作曲者の細川月翁と並んで興味深い話ですね。三浦琴童譜ではたった2行の譜面でありますが、他の曲にない独特の旋律で格調高く、印象深い1曲であるように思います。
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2018年3月18日日曜日
「10分で琴古流本曲シリーズ」の収録を終えて
本日、「砧巣籠」「月の曲」「寿調」の3曲を収録し、「10分で琴古流本曲シリーズ」の全ての撮影が終わりました。
当初は「月に一曲ずつ」ということで、実際にひと月ずつ練習しては撮影を繰り返していたのですが、今年度6年担任となったため激務によりそのような余裕がなくなり、たまに撮影できそうな休日が来たら2〜3曲まとめて撮るという方法に転じてしまいました(だいたい裏の曲くらいから)。前回は1月に「鳳将雛」「曙調」「曙菅垣」「芦の調」「厂音柱の曲」を撮影したわけですが、それからはもうとにかくバタバタでした…。
…とにかくも、何とか琴古流本曲全曲を演奏し終えて、ホッとしております。
未公開の5曲は、これから解説を書いたりしますので、もう少ししてからこの春のうちに公開予定です。そして、この「10分で…」シリーズの終了に伴って、しばらく定期的なweb演奏会はいったん幕を閉じたいと考えています。
この3年間、今の家の座敷で演奏できる環境を手に入れて以来、演奏の動画公開、Facebook等により、沢山の方とお知り合いになり、自分の演奏を聴いて頂いたり、「web上で共演」などもさせて頂いたりしました。また、そこから発展して「而今の会」の結成および演奏会という、とても貴重な体験をさせて頂きました。今も、沢山のお仲間とFacebook上で三曲談議などさせて頂いたりして、とても楽しませて頂いております。
しかし、そろそろ自分も次のステップに移らなければとも、最近考えております。それはやはり「実演」。しかも、自分としての命題は「邦楽をより自然な形で、誰もが楽しめるような音楽にしていきたい」ということです。昨今、邦楽界も「人口減」「入門者減」に喘いでいるのですが、そうは言っても旧態依然とした体制を捨てきれず、純粋に「音楽を楽しむ」だけではない色々な要素が付いたままになってしまっています。それらが、音楽的価値の高い三曲の名曲たちの素晴らしさを、沢山の人々に楽しんでもらうチャンスをフイにしているとしたら、極めて勿体無いことですし、実際一人でも多くの人に関心を持ってもらって始めてもらいたいはずなのに、それに逆行する結果となってしまっている可能性があるわけです。
僕自身は、邦楽は日本の「民族音楽」として、その自然素材の響きや、日本の民族性や四季折々の風景が生み出して来た楽曲を素直に味わい楽しめるような環境を作っていきたいというのが願いだし目標です。これまでの「web演奏会」は、もちろんそうした活動の一環だったわけですが、ここで一旦一区切りします。「もうやらない」という訳ではないですし、気が向いたらまた何か演奏を上げたりとかするかもしれませんが。
「ねえ、一緒に合奏してみない?」という方、大歓迎です。もう邦楽も、型式ばらずに、どんどんフランクリーにやってかないと、どんどん廃れるばかりのような気もしますけんですね。
2018年3月17日土曜日
【web演奏会】10分で琴古流本曲「曙菅垣」
第44回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(31)「曙菅垣」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
前回の「曙調」の解説でも述べましたように、この「曙菅垣」も、黒沢琴古による琴古流本曲成立当初からの楽曲ではなく、曙調子・雲井調子へ移調された計8曲が事実上演奏されない現行の琴古流本曲を「36曲」にするために、近代以降になってカウントされ始めた楽曲となります。
「琴古手帳」にある「曙菅垣」は、「転菅垣」を曙調子に移調したものであるのに対し、現行の「曙菅垣」は、奥州の千歳市(ちとせのいち)という盲人が作曲し、荒木竹翁が16、7歳の頃に江戸で流行したものだということです。「〇〇菅垣」という楽曲名は、「六段」など糸の曲との歴史的な繋がりが深く、拍子が比較的ハッキリしているというのは何度か述べましたが、この曲はそうした傾向がとても強いように思います。楽譜の雰囲気も他の本曲(「〇〇菅垣」を含めて)とは違って、細かい拍子の補線や連続音、ひと繋がりのフレーズに沢山の音符が並ぶなど、さながら外曲の譜面を眺めているような気持ちになります。殆どの琴古流本曲は、「レ」の連続音は1孔で当たるのですが、この曲は外曲と同じ4孔で当たります。なにより旋律そのものが、まるで糸の楽曲のようにメロディアスなものとなっています。
曲は大きく前半と後半に分かれ、前半部の最後に一度速さが緩み、再び冒頭の旋律が再開されて後半部が始まっています。元々同じ旋律の繰り返しが多く、前半部に装飾的な旋律や替手、高音部へと移る展開を追加して後半部を作曲しているような雰囲気です。全曲演奏しても「10分程度」にはなりますが、現代人の耳にはあまりにも冗長に過ぎるような嫌いもあって、後半部のみの演奏としています。なお、琴古流各派毎に替手の手付けがされていることも多いようで、社中の演奏会などでは総員による本手・替手の大合奏を会の冒頭や中盤などに設定しているパターンをよく見かける曲でもあります。
※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。
2018年3月6日火曜日
【web演奏会】10分で琴古流本曲「曙調」
第43回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(30)「曙調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
この「10分で琴古流本曲」シリーズも、ついに全36曲中「30曲目」に入ってまいりました。
さて、この曲名「曙調」とは、「曙調子」の「一二三鉢返調」であることを意味しています。
「曙調子(あけぼのちょうし)」とは、尺八における「本調子(レ調)に対して完全5度高い(ロ調)調子への移調を指します。ちなみに、完全4度移調したもの(リ調)は「雲井調子(くもいちょうし)」と呼びます。
これらの移調は、初代黒沢琴古の頃に盛んに行われていたようで、1尺8寸管にて本調子で演奏した時、1尺3寸で曙調子を、また2尺3寸で雲井調子を吹くとピッタリ合うとされています。長さの違う尺八で、同じ曲を合奏しようとしたわけですね。しかし、同じ長さの尺八で本調子、曙調子、雲井調子と吹き比べれば、それぞれが完全5度、完全4度の移調となるわけです。
初代琴古は、こうした移調を利用して、霧海ヂ鈴慕、虚空鈴慕、転菅垣、栄獅子の4曲を、それぞれ曙調子(曙鈴慕、曙虚空、曙菅垣、曙獅子)、雲井調子(雲井鈴慕、雲井虚空、雲井菅垣、雲井獅子)に移調し、それら8曲を琴古流本曲・裏18曲の中にカウントしたわけです。しかし、現実にはそれらの移調曲はほとんど現行されていません。現在はその代わりとして、一二三鉢返調を曙調子に移調したこの「曙調」、江戸時代末期に千歳市が作曲し、江戸で流行させたという「曙菅垣」、3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹であった「芦の調」「厂音柱の曲」、荒木竹翁作曲の「月の曲」、「一二三鉢返寿調」から独立させた「寿調」を「1曲」と数えております。足りない2曲は「表の曲」に「一二三鉢返調」と「一閑流虚空替手」を足すことで、「合計36曲」にしているわけです。
つまり、ほとんど現行されない、かつての移調の習慣の「なごり」のような感覚で、一二三鉢返調を曙調子に移調したこの「曙調」が存在しているのだと言えるのかもしれません。尺八の「曙調子」は、三絃の「二上り」と似ていて、実際に尺八の「曙調子」のことを「二上り」とも呼んだりします。また、「六段の調」をレ=1からロ=1に上げた譜面の題簽にも「曙六段」と記されています。これも三絃は二上りですよね。本調子に比べて華やかで甲高い感じがします。
逆に「雲井調子」は「三下り」とも呼ばれています。こちらは曙調子の華やかさとは対照的に、少しくぐもったような「陰」の印象が強いです。一二三鉢返調も六段も、「雲井調子」への移調は演奏されているものを聴いたことがありませんので、実際にはほとんど現行していないのでしょう。昔の雑誌『三曲』の裏表紙に、付録のようにして「雲井六段」の譜面が印刷されているものだけ確認できました。
やはり「移調」というものは、曲の印象を大きく左右する上に、「独立した1曲」とは見なされにくいものなのでしょうね。
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