2021年2月21日日曜日

熊本の製管師、利道道仁(りどうどうじん)師について

先日、欧州のFacebookグループ「Shakuhachi Makers Hanko」というコミュニティに参加させて頂く機会を得ました。これは、尺八製管師の焼き印の写真を持ち寄り、情報交換しようという趣旨でしたので、僕も吹料の利道道仁管の焼印や全体写真、自分の知っている範囲内での情報などを提供させて頂きました。そんななかで、欧州でも道仁管を持っておられる方がおられることも知り、楽しく交流させて頂きました。


そこで文章作成中に気付いたのですが、この道仁管も受け取って吹き始めてから、はや9年、利道さんが亡くなってからも5年以上が経過し、自分ももうすぐ40と考えると、これ以上記憶が薄らいで行く前に忘備録としてホームページ、ブログ、Facebook等に詳細を記録しておく必要性を感じ、今回ペンを取った次第です。すでに記憶が曖昧な所がありますが




利道道仁(1953?~2015.3

・本名、則行

・熊本県阿蘇郡高森町生まれ。

・父君は竹刀を作る職人だったという。若かりし頃、竹材を採取していた阿蘇で「120年に一度咲き、その後は枯れる」と言われた竹の花が咲き、そして枯れてしまったため、真竹を原材料とする竹刀の制作継続が難しくなった。別の職を求めて大阪へ。

・大阪で尺八と出会う。竹刀との「真竹」繋がりで興味を持たれたとのこと。内部構造を調べるため、試しに縦に割って観察の後接着したところ、音が出なくなってしまったという。その面白さに興味を惹かれ、尺八作りの道を志す。

・当時、大阪は玉井竹仙師の全盛期で、沢山の弟子も抱え、大量に生産していた時期だった。利道師は玉井竹仙の門人となったわけではないが、その作りを参考にして製管技術を会得したとのこと。

・熊本に帰り、工房を開く。当時は民謡尺八も全盛期だったため、尺寸の違う大量の尺八を必要とする民謡の尺八奏者らが購入していた模様。

・一時期、永廣真山師の下請けもやっていたとのこと(同師の受注が莫大だった頃)。

・吹奏の方は、阿蘇の美風会(吉田晴風系統の社中)で習ったため、琴古流の演奏を行った。ただし、人前ではあがり症のため、舞台等は辞退していた。製管は琴古管も都山管も両方行った。

・尺八は標準管、本曲用、新曲用の三種類を制作。本曲用は標準管に比べて内径が太め、新曲用は細めとのこと。自分は本曲用をオーダーしましたが、本曲の技法には適する代わりに、細かいパッセージのプレイアビリティには劣ると念押しされました。

2015年3月没。享年62歳。


About Mr.利道道仁(Ridoh Dojin

19532015

Born in Kumamoto Aso Takamori.

His father is “Shinai” Kendo bamboo sword craftsman.

In his youth, bamboo blossomed, and later withered. So he tried to go to another profession.

He went to Osaka, and wet Shakuhachi.

At that time, Tamai Chikusen(玉井竹仙)was working, and teaching to lots of students. He wasn’t Chikusen’s student, but referred to him and his students.

He went back to Kumamoto, and opened his workshop.

For a while, he made Shakuhachi as Nagahiro Shinzan(永廣真山)‘s subcontractor, I heard.

He learned Shakuhachi in Bifukai(美風会)which is group of Yoshida Seifu(吉田晴風), so his play style is Kinko. He made both Kinko and Tozan instruments.

He died at the age of 62, in March 2015.





2021年2月14日日曜日

外曲リハビリシリーズ1 大内山

2019〜2020年頃のスランプ期、1年間ほど毎日「一二三鉢返調」しか吹かなかった(吹けなかった)ことから、「外曲が吹けない!」「息が続かない!」「苦しくて曲を通せない…」と散々なコンディションに。「これはもう、リハビリしかない!」と2021年の年明けより、外曲を初傳曲から地道に稽古を始めました。黒髪、六段、八千代獅子と進み、4曲目に取り組んだのがこの「大内山」。

コロナ禍において、世界中で演奏活動が制限される中、様々なミュージシャンが工夫して演奏配信などの活動に取り組んでおられます。当方の取り組みはそんな諸活動とは比べ物にならないほどの地味な、というか全く個人的なリハビリなのですが、「人様に聴いて頂く」のを励みに続けていくというのもモチベーションに繋がるかと思い、この「大内山」から(これまでの3曲はすでに上げたことがありますので)稽古の仕上げを撮影してアップしてみることに致しました。
以下のような設定で、この「外曲リハビリシリーズ」をやっていこうと考えております。
・初傳曲から、お習いした順に練習し、稽古の仕上げを撮影する。
・平服で演奏、「継続」を目標に。マイペースで行きます。
・掛け合いの所は、尺八の方を演奏。
・演奏会、温習会等で合奏したことがない曲も演奏します(この「大内山」もそうです)。所謂「尺八素吹き」であり、歌や糸の手を了解せずに吹いている曲に関しては「そういうもの」ということで…。「日本人が、中国語が解らなくても漢文を訓み下している」みたいなことです。
外曲の練習を始めて改めて気付きましたが、本曲に比べて外曲は音の変化、フレーズの多様性に富み、楽器の表現力向上という観点で見ると、非常に有効ですね。実に当たり前の話ですが。尺八本曲は「尺八をやって気持ちよく感じる」ように作曲されていますが、外曲は「三絃や箏の旋律や音階に寄り添う」必要から、尺八本来の技巧以外のものを「無理に行う」からでしょう。
ゆる〜くやっていきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
大内山:箏曲。手事物形式の明治新曲。高野茂作曲。高崎正風作詞。1892年(明治25)3月7日の明治天皇銀婚式を祝して作曲された。手事は二段からなり、各段同拍で段合せが可能。のちに松坂春栄によって手事部の増補がなされた。雲井調子(第一弦と第七弦を同音)
※明治天皇の銀婚式のお祝いをお喜び申し上げた曲で、天皇、皇后両陛下のいつも御睦じく、千代に栄えまさんことをうたっている。作曲者高野茂は当時華族女学校(後の女子学習院)箏曲科の教師、作詞者高崎正風は当時宮中御歌掛、後に宮内省御歌所々長となる。
※明治新曲:当道制が解体した明治期になって、新たに作曲された改良唱歌運動に基づく新調弦、新形式の箏曲をいう。主として歌詞は、天皇の御製や皇族の御歌を用いたもの、あるいは「御歌会始」の勅題にちなむ内容のもの、道徳的で教育的な内容のものなどが中心となり、遊女や遊里を歌った歌詞は避けられるようになった。また箏は高低二部合奏の形態をとり、左手を使用した重音奏法と、明清楽などの影響を受けた半音の入らない五音音階である陽音階の使用などが特色である。
大内山  高野茂作曲、高崎正風作詞
大内山の山松に、若紫の藤の花、かかりし春を数ふれば、はたとせ余りいつもいつも、常磐の影も濃(こま)やかに、ゆかりの色の麗はしく、栄えましけりかくながら、仰ぎまつらん万代に、めぐる月日の限りなく、いや栄えませ諸共に、めぐる月日も限りなく、いや栄えませ諸共に