2018年11月3日土曜日

愛車レガシィのクラッチ・オーバーホール

平成20年式、スバル・レガシィ2.0i(BP5型)、走行距離22万6千キロ。
もうすぐ新車で買ってから10年になろうとしていた10月14日、それは突然の出来事でした。

1年前の車検の前頃から、寒い日にクラッチのあたりからノイズが聞こえて気にはなっていたんです。クルマ屋さんに相談すると、「レリーズベアリングがダメになってるんじゃないか」とのこと。YouTubeで検索すると、同じくスバルのインプレッサで同様の症状の動画がアップされており、全く同じ音でした。しかし、修理するにはミッションのオーバーホールが必要で、費用は10万円を超えるとのこと。ちょっとその時には予算的に厳しかったので、仕方なくだましだまし乗り、予算のメドがついてからオーバーホールすることに決めました。

…そういう状態の「だましだまし」が1年ほど続いた10月14日、それまで「うっすら」だったノイズから一転した、急に心臓に悪いほどけたたましい騒音と、クラッチペダルから伝わってくる薄気味悪い振動は、「これは、直ちに修理だ!!」と瞬時に判断させるものでした。記録のために、直ちにiPhoneで撮影しました。音はあまり大きく撮れていませんが、乗っている人間には圧倒的な迫力で鬼気迫るものがありました。



以下は、Facebookに記事にしたものを、そのまま転載します。

10月15日
クルマを預けて来ました。
とりあえずミッションを降ろしてみて、レリーズベアリングとクラッチディスクの交換だけで済むならばオーバーホール、シャフトそのものがダメで、ミッション自体を変えないといけないレベルなら諦める、ということになりました。
もう、スバルでも新品のミッションの在庫はないんだそうです。また、リビルド品や中古なども適当なものがないようで、もしミッションを本格的に変えるならば、一度スバルの工場に降ろしたミッションを送り、そこで再組み立てをして送り返してもらう必要があるらしく、金額的にも無理な感じでした。工賃はかかりますが、とりあえずミッションを降ろしての判断となりました。

自分としては可能な限り治したいものですが、家族を乗せて走る車だし、来年から息子は就学だしで。どうにもならない状況というのは、否応無しにやって来ることがあるというのを痛切に実感しました。あとは、運を祈るのみです。バラすのにしばらくかかるらしく、結果は数日後になるそうです。

※この写真は、「もう、今生の別になるかもしれない」と覚悟を決め、「最後の写真かも」との思いで、クルマ屋さんをあとにしながら撮影したものです。



10月25日
レガシィのミッションを降ろして、修理できそうだという判断が出ましたので、クルマ屋さんへ行って来ました。
226千キロ走って、一度もクラッチを交換していなかったので、レリーズベアリング(クラッチを踏んだ時に、クラッチディスク側を押す所のベアリング)が完全にダメになって固着してしまっていたらしいです。
その結果、本来なら高速回転で回っているのを回転して摩擦が起きない様にしていたはずが、クラッチディスク側のパイロットベアリングというパーツに擦り付けられ続け、凄い音が出ていたんだそうです。
ただ、心配されていた「ミッションの軸がダメ」というのは回避されていたそうです。これは、動力軸そのものではなく、軸が突き出ている所の周りの円柱状の部分が、先ほどのベアリングがダメになったことで部品が傾いて斜めになったりする事で擦れて磨耗し、クラッチケース一体を交換しないといけなくなるというものらしいです。そこの所は、多少擦れた後はあったものの、ペーパー等で磨けば大丈夫なレベルだそうです。
22万キロ以上走っていて、一度もクラッチを交換したことがないことを告げると驚かれ、お世辞だと思いますが「乗り方が良かったから、これくらいで済んでいるんですよ、軽い方です」と言って頂きました。通常だと、レリーズベアリングが固着する前に、他のパーツの方がダメになるんだそうです。
クルマ屋さんに「今時、ミッションに乗るなんて、よっぽどお好きなんですね」と言われましたので、「ええ、このクルマがないと倒れてしまいそうです」と言いました。
とにかく修理出来そうだということで、本当にありがたいことです。感謝です。

久しぶりのご対面。涙が出そうです。

愛車のトランスミッション。真ん中に動力を受ける軸が出ています。この軸そのものではなく、その周りを囲っている円柱の部分(ミッションのケースと一体)にガタが来ると、「交換」となってしまうらしいです。

上が固着したレリーズベアリング。全く動かない状態だったそうですが、その内側に入れてあるパーツ(茶色の紙の上)が樹脂製だったため、何とかなっていたらしいです。その下はクラッチフォークという、クラッチを踏んだ時にテコの原理で動くパーツ。これらは全て交換となります。

エンジン側。フライホイールより手前に、クラッチディスクを切り離すためのパイロットベアリングという部品があります。

パイロットベアリングは、固着したレリーズベアリングが高速回転で当たっていたため、磨耗していました。クラッチディスク、パイロットベアリングともに交換となります。


11月2日

感涙の復活となりました。本当にありがたいことで、これからは「30万キロ」を目指して、また日々大切に乗って行こうと思っています。

走行距離は、「22万6千キロ」と思っていましたが、壊れた日に無我夢中でクルマ屋さんに持っていくうちに、いつの間にか22万7千キロを超えてしまっていたようです。




最初の映像と比べられるように、修理完了直後のエンジン始動の様子も撮影しておきました。


ちなみに、修理にかかった費用は、以下の通りです。

クラッチOH ¥60,000
レリーズベアリング ¥2,797
クラッチカバー ¥24,310
クラッチディスク ¥23,048
パイロットベアリングブーツ ¥950
クラッチフォーク ¥3,154
クラッチフォークブーツ ¥1,760
クラッチカラー ¥3,240
ミッションオイル ¥8,640
クラッチカラースプリング ¥540
クラッチカラー・グリースホース ¥3,240
合計 ¥131,679


※クルマ屋さんのご好意で、¥130,000のお支払いにしていただきました。ありがとうございました。

2018年10月29日月曜日

転菅垣

【転菅垣(Koro Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、横浜の一月寺末寺頭、青木山西向寺の本則野田意悦(虚道)より初世黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
この曲も秋田菅垣と同様、比較的拍子がはっきりしています。大きな特徴として、曲の前半部分と後半部分がピッタリ合奏できるように作曲されていることが挙げられます。
後半部分は「コロコロ」の手を、地のように繰り返しているのが印象的で、曲名との関連を想像させます。
前回「10分で琴古流本曲シリーズ」におきましては、この前半と後半の吹合せを多重録画で再現しましたが、今回は最初から最後まで全曲通しで演奏してみました。


平成30年 10月29日撮影
撮影機材:iPhone 8

『二十四の瞳』

原作の『二十四の瞳』を読んでみました。



「読書感想文」というのは個人的にあまり好きではないのですが、尺八曲「ひとみ」が使用されたというシーンを中心に、若干所感を述べてみたいと思います。

主人公の大石先生が師範学校を出て、本村から8キロ離れた岬の村にある分教場で1年生の担任として赴任するところから物語は始まりますが、「ひとみ」のシーンはそれから18年後の最終章、世の中が戦争に突入し、その時の教え子の男子は次々に出征・戦死、大石先生自身も夫や母、3番目の子どもを戦争で失い、戦後になって何とか暮らしを立てて行くために、再び臨時教員として岬の村に赴任するんですね。そして、教え子たちの墓に参る。世の中が荒れ果てて、満足な墓石や、花を手向ける人もいない。そういう悲惨さが描かれていました。「この曲はそういう悲しさを表現しなければならない」という話がFacebook上でもありましたが、その意味がよく分かりました。

小説そのものは、書かれた時期が戦後すぐで、プロレタリア文学の要素も含まれており、作品の全ての表現や思想等に完全に共感できるかというと、それはまたちょっと違いました。自分自身教職員ではありますが、かなり「らしくない」教員だから、余計そう感じるのかもしれません。ただ、作者自身が、戦時中という激動の時代を生き抜き、肌身で感じた辛さ・悲惨さがこの作品を成り立たせているのは大いに感じられました。そして、戦前〜戦時中の、特に地方部の貧困や思想的な統制の悲惨さは、現代人である自分からして察するに余りあるものでありました。最近の戦時中を描いた映画や小説は、かなりそういう要素が薄まってきているように思います。それはもはや「戦時中」が確実に風化してきていて、戦時中のことを実感を伴って分かっていない世代が作品を生み出しているからでしょう。そういう意味で、『二十四の瞳』のような、戦時中を生きた人自身の「生の声」が聞ける作品に接するというのは、大切なことかもしれないと思いました。


話題がガラッと変わりますが、最近、15年来の「活字離れ」からようやく脱出?しました。僕の活字離れが始まったのは、大学卒業後、パソコンやネットにハマってからです。パソコンそのものの楽しさとともに、ネットは「何でも情報を瞬時に得られる」かのような「万能感」を僕に感じさせました。かつて読書していたような時間帯も、全てMac(のちにiPhone)に向かうようになりました。

しかし、以前も話題にしましたが、ネットって「何でも調べられ」そうでいて、結局は自分の好みで見るページが決まるので、毎回似たようなページをグルグルしてるんですよね。で、暇ができたり、なんか気分を変えたりしたくなると、またスマホで似たようなページをグルグルしてしまう。その結果、脳内の使用部分が固着してくる…。僕の場合はそういう循環になりがちです。

それに対して、やはり活字の印刷物というのは手触りや見た目にもアナログな質感があり、そして本を読んでいる最中も「データ」「情報」としてだけでなく、「文章を味わえる」感が強いような気がします。人間の五感に直接訴えるものが強いんですかね。そういう要素は、クルマのエンジンをかけるとクランクシャフトやカム、ギアなんかが駆動して伝わってくる振動や音、楽器を演奏する時の楽器の材質からダイレクトに空気の振動に変換される感覚なんかとも似ている気がします。また、文学作品を通じて、自分自身でネット検索するのとはまた全然違った、筆者の思想や教養に触れることができ、読み終わった時の自分の中の蓄積の質が異なっているような気がします。最近では漱石の『猫』なんかでそういう感触がありました。

iPhone自体も好きで、ネットをしなくなった訳ではないんですが、最近はなるべく「スマホをしたくなったら読書」にしています。

2018年10月15日月曜日

秋田菅垣

【秋田菅垣(Akita Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。

「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。


平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8

堀井小次朗作曲「ひとみ」(映画『二十四の瞳』挿入曲)

10月5日、Facebookでお知り合いの中国の尺八愛好家、唐言周子さんの投稿をシェアさせて頂いたご縁で、堀井小次朗作曲「ひとみ」に挑戦する機会を得ました。


実はその前日、スペインの尺八奏者、 Rodrigo Rodriguez さんが投稿された、「二十四の瞳」の演奏動画を拝見したのです。



連続して翌日の唐言さんの投稿で、ご縁を感じ、まずは琴古譜を作成しました。






譜面作成にあたっては、関西在住のとある琴古流尺八家から資料を見せて頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。さらに、その後も、Facebook上でたくさんの方が、ご自身の習われた譜面を公開して下さったり、曲に対する熱いコメントを書き込んで下さったりしました。僕の知らなかったこの曲が、こんなにもたくさんの尺八奏者に愛されていたということに、驚きました。

というのも「二十四の瞳」は、日本の有名な映画の一つだといえると思いますが、その音楽に尺八が使われていたこと、そして作曲が堀井小次朗師であること自体を初めて知ったのです。
しかも、それを知ったのが、海外のお二人の尺八家のおかげだというのも、とても印象深いことでした。

七孔尺八らしい音の滑らかなつながりや、民謡のような装飾音の入り方が、僕としてはとても新鮮です(自分は5孔で演奏しましたが)。「尺八本曲」「地歌箏曲」以外に、中々「日本の魂」を感じることができる尺八独奏曲を見つけることができなかった自分にとって、この楽曲はとてもインパクトがある作品でした。

琴古流にはない、流れるような連続音や、転ぶような装飾音の連続が印象的です。

いつも同じところばかり使っている脳の回路が、新鮮な刺激を受けています。


2018年9月30日日曜日

再び、琴古流本曲を最初から

本曲を、また最初に戻ってもう一巡することにしました。まずは「一二三鉢返調」、「瀧落の曲」からです。


本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。

以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。


【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。

この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。

黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。

曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。

平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8




【瀧落の曲(Takiotoshi no Kyoku)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、下総一月寺の御本則、小嶋丈助(残水)より初代琴古が伝授された曲であるとのことです。

伝説によれば、伊豆の修善寺の旭滝の傍にあった瀧源寺の住職が、滝の落ちる様を竹の調べに移したものということです。古典本曲各派に同名曲が伝わっており、そちらでは「たきおち」と読むことが多いようですが、琴古流では「たきおとし」と呼びます。

「ツレゝゝ、ゝツレゝ、リウレゝ、ツロへツレロ」という、瀧落ならではの旋律系が繰り返され、呂(乙、第1オクターブ)を主体とした前半部、甲(第2オクターブ)に移行した高音(たかね)の中盤、そして再び呂に落ち着いた後半部から成っています。後半部では、「ナヤシ」を除くことで、前半部とは異なる雰囲気となっています。譜面では呂の前半部をもう一度繰り返すよう指示されていますが、現行では繰り返しを省き、中盤に移ることが殆どのようです。


平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8



2018年9月25日火曜日

観月会での石橋旭姫さんとの共演

昨晩は、久しぶりに(本名名義に戻ってからは初)演奏の機会を頂きました。

ジャズドラマーの榊 孝仁氏のプロデュースのもと、筑前琵琶の石橋旭姫さんとご一緒に、福岡市内の「観月会」での演奏でした。筑前琵琶との「あつもり」、琴古流本曲の「鹿の遠音」、福田蘭童の「月草の夢」等を演奏させていただきました。

しばらく生演奏の機会から遠ざかっていましたが、今回はいろんな意味で大きな刺激を受け、またこれからも尺八の演奏に一生懸命取り組んでいこうと、気持ちを新たにすることができました。

また、お二人とは楽屋や終演後の反省会でいろんなお話でおおいに盛り上がり、大変楽しいひとときを過ごさせて頂きました。本当にありがとうございました。

写真は、石橋さんが撮って送ってくださったものです。