2020年5月19日火曜日

MacBook (mid2009)のバッテリー交換

2009年(平成21年)秋に購入以来、ずっと使い続けているMacBookですが、この度思い切ってバッテリーを交換しました。もう1年くらい前からバッテリーがほとんどダメになっていて、Macを使おうとすると電源アダプタを繋がないといけない、という状態が続いていたのです。

10年以上前のモデルなので、すでに純正品は見つからず、サードパーティ製の互換品を5000円ほどでネットで買いました。



純正品と並べてみると、やはり質感は違いますが、「消耗品」だし、仕方ないですね。
表面もですが、ゴム足やボタンなんかもちょっと違ったりします。
ネットでのレビューは、バッテリーとしては問題ないということでしたので。


購入当初からの純正のバッテリー、これまでどうもありがとう…

「Battery capacity」がマックスに!!
この光景を見るのは久しぶりです。ありがたや…



このMacBookは、僕が日々使うモノたちの中でも、愛車レガシィ(2008)の次に古参のメンバーで、まだCPUがPowerPCだった以前のMac(iBookG4)のCDドライブが壊れて慌てて買った頃には、10年以上もバリバリ現役になろうとは予想もしていませんでしたが、おかげさまでとても活躍し続けてもらっています。僕のホームページやブログ、ジョイントweb演奏会のYouTube動画の編集なども、すべてこのMacで作りました。OSも最新のMacOS Xは非対応となり、時々電気屋さんなどで目にする最新のMacなんかもクールだな…とも思いますが、何しろ最近のMacはCDドライブもないしUSBも「Type-C」の小さいのになっちゃったし…。あと、やっぱりあの今の金属のMacBookよりも、この冷たくないポリカーボネートのMacの方が手触りが好きなんですよね…。パームレストのプラスティックのところ、左に引き続き右まで割れてきてるんですけど(写真撮り忘れました)。

…というわけで、バッテリーも換えたことだし、これからもよろしくお願いしますね!



先日、この新型コロナの渦中の様々な事象から「Facebookはしばらくお休みにしよう」と思いたち、このブログが僕の最も更新頻度の高い発信源になると思います。ただ、更新は話題ができて「書きたい」と思った時だけなので、相変わらずマイペースになると思いますが…

2020年5月4日月曜日

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口 翔(福岡県)】山田流箏曲『竹生島』

山田流箏曲家・大庫こずえさんと初めて「web上で共演」させて頂いたのが、今から3年半ほど前の平成28(2016)年12月のことでした。そもそも、この「web演奏会」という試みを思いついたのも、Facebookで大庫さんと出会い、意気投合したときに投げかけられた言葉「便利なツールで時空を超えられたら」がきっかけでした。ただでさえ人数の少ない邦楽人口。地方になればその人口密度の低さたるや、中々自由に共演できる、音楽的趣向の共通した「同志」に出会うことは困難である、そうした課題を克服すべく考え出したのが、それぞれ別の場所で(たとえ遠隔地どうしだったとしても)演奏した動画をつなぎ合わせて公開するという手段だったわけです。のみならず「会場」「集客」といったことに頭を悩ませる必要もない。「お客様」も「時空を超えて」聴いて下さるという利点もありました。最大のデメリットである「生演奏ではない」という欠点を差し引いても、これは人口減に悩む邦楽の現状に対して一石を投じるものではないか、そう信じて、この3年半、幾度か様々な共演者の方にお願いし、演奏・公開を繰り返してきました。旧来のしがらみにとらわれず、この新規な試みに賛同・共演して下さった全ての共演者の方々には心から感謝しているところであり、中でも大庫さんは何度も合奏して下さった恩人であります。

しかし、まさか世の中が今日のようにガラリと様変わりし、三曲合奏はおろか、クラシックやポップス界のミュージシャン、いやテレビ番組内のニュースのコメンテーターに至るまで「ステイホーム」で「時空を超えた」共演が当たり前になる事態になろうとは、予想だにしていませんでした。1日でも早い収束を心より願うと同時に、三曲合奏・山田流箏曲の魅力を感じる一人として、演奏を公開させて頂きます。決してメジャーとは言えない音楽ジャンル、しかし、この音楽が持つ「粋」なカッコよさ、「竹生島」というテーマの持つ縁起の良さ、何よりも、日本という国に連綿と受け継がれてきた糸と竹の音色が、一人でも多くの聴き手の方の心に届き、これからを生きて行く希望への一助となりましたならば、これに勝る喜びはありません。

音楽をはじめとした芸術は、生活に必需とは言えない「余技」であり、「無駄な贅沢」なのかも知れません。しかし、我々人間の暮らしを豊かに彩り、日々の幸せを感じさせ、明日への活力を生み出すことができるのはまさに芸術なのではないかと信じます。平和な日常が戻ってきた時、人々はきっと芸術を、音楽を希求するのではないでしょうか。中でも、この日本という国に生まれた美しい和楽器の音色は、われわれ日本人を、いやその音色に魅了された世界中のたくさんの人々の大切な財産として、大きな力を発揮してくれることでしょう。それまで絶やさず、大切に演奏を続けていく所存です。



~共演者・大庫こずえさんよりコメント~

昨年一中節のお稽古に伺った時の家元のお話しがきっかけとなり数十年振りに弾いてみる事となりました。
その話題から山口さんのリクエストがありこの度の共演となりました。
この曲で、山田流は歌にあらず箏浄瑠璃だという事がよく分かる気がいたします。
語りの要素が重要とされる分お箏お三味線はシンプルな旋律ですが、それ故 誤魔化しの効かない余韻に神経を使った演奏が望まれるものなのだと考えると私はまだまだ道半ばと自覚せずにいられません。




『竹生島』
山田流箏曲。千代田検校作曲。奥歌曲。歌詞は、謡曲「竹生島」のシテの出以下の部分を縮約・編詞したもの。全体的構成はおおむね謡曲の進行に従い、「楽」で天女の舞を、終りのほうの合の手で竜神の出の早笛を表現。一中節の曲節を意識した曲調で、独吟による語り物的表現が多い。派によって歌い分け・詞章に多少の異同がある。箏雲井調子、三絃三下りー本調子。
醍醐天皇に仕えている官人が弥生半ばのころ、琵琶湖の湖岸から釣舟に便乗して竹生島に詣でると、姿を変えた弁財天が現れてその縁起を語り、かつ、その霊験のあらたかと神徳を称えたもの。竹生島弁財天は厳島、江の島とともに日本三弁財天の一つとなっている。

歌詞
頃は弥生の半ばなれば、浪もうららに海のおも、霞みわたれる朝ぼらけ、静かに通ふ舟の道、げに面白き時とかや。いかにあれなる舟に便船申さうなう。おう召され候へ。嬉しやさては迎への舟、法の力と覚えたり。けふは殊更のどかにて、心にかかる風もなし。山々の春なれや、花はさながら白雪の、ふるか残るか時しらぬ、峯は都の富士なれや、なほさえかへる春の日に、比良の嶺(ね)おろし吹くとても、沖こぐ舟はよも尽きじ。旅のならひの思はずも、雲居のよそに見し人も、同じ舟に馴れ衣、浦を隔てて行くほどに、竹生島にぞ着きにける。承はり及びたるよりもいや勝りて有難し、不思議やなこの島は、女人禁制と承はりてありしが、あれなる女人はなにとて参られ候ふぞ。それは知らぬ人の申すことなり、恭けなくもこの島は、久成(くじょう)如来のごさいたんなれば、まことに女人こそ参るべけれ。のうそれまでもなきものを、弁財天は女体にて、その神徳もあらたなる、天女と現じおはしませば、女人とても隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり。げにかほどの疑ひも、荒磯島の松蔭を、便りに寄する海人小舟、われは人間にあらずとて、社壇の扉を押し開き、御殿に入らせ給ひければ、翁も水中に入るかと見えしが、白波の立ち帰り、われはこの海のあるじぞと言ひ捨てて、またも波間に入り給ふ。ふしぎや虚空に音楽聞え、花ふり下る春の夜の、月に輝やく少女(おとめ)の袂、かへすがへすも面白や。夜遊の舞楽もやや時過ぎて、月澄み渡る海づらに波風しきりに鳴動して、下界の竜神現れ出で、光も輝く金銀珠玉を、かのまれ人に捧ぐるけしき、有難かりける奇特かな。

2020年3月19日木曜日

利道さんの竹について

皆様、動画のご視聴、どうもありがとうございます。
今回の動画はこれまでの動画の中で一番再生回数の伸びがいいみたいで、YouTubeからそういう通知が来たり、チャンネル登録やメッセージを頂いたりしました。世の中がこういう事態で、不要不急の外出を皆様控えられているからでしょうか?かくいう僕も、クルマを洗ったり、息子の靴を洗ったり以外は、週末は一歩も外に出ませんでした。早く収束して欲しいものです。

さて、実は頂いたメッセージの中に使用楽器についての問合せがありまして、僕は初めて竹の重さをはかりました。387gだそうです。竹の重さは、中に塗った「地」の重さも含まれるので、これだけで竹材の質などの目安にはならないようにも思いますが、僕の楽器は重すぎず軽すぎず、まあ7〜8号くらいの細目ではない楽器にしては自然な重さかなと思います。

以前ブログやFacebookでも話題にしたかもしれませんが、この竹は熊本は阿蘇高森にお住まいだった、利道道仁(りどうどうじん)師の作になります。僕が九州に帰郷する際、「新しい楽器が欲しい」と思い、大学時代に何度かお会いした利道さんにお願いしたのでした。利道さんは熊大のOBに何本か尺八を作って下さったり、横山勝也師の竹心会系統の方も時々使ってらっしゃったりしています。竹仙全盛期のころ、熊本から大阪に出て修行?というか研究なさって尺八の作り方を学ばれたそうで、円定吉のような所謂なビンテージ琴古管の系統ではありません。穴割りも「十割でお願いできませんか?」と頼んでも「それはすみませんが無理です」とのことで、利道さんの穴割り・調律になっています。ただ、現代管のような「ビィィイーーーンッ!!」みたいな音色ではなく、素朴で柔らかめの音色や吹き心地が僕の好きな阿蘇山を彷彿とさせ、気に入っているところです。琴古流本曲の特殊技法などは、全てちゃんと出せます(ただし、二三のウはちょっとクセがあり、2孔をちょっとかざしています。)。残念ながら、利道さんは数年前に亡くなってしまいました。一度、中継ぎの上のところにうっすらヒビが入り、一本巻いて修理して頂いたのが最後でした。個人的に巻くのは好きではないので迷いましたが、割れが広がるのも怖く、思い切って修理して頂きましたが、今振り返ると正しい判断だったと思います。

実はこの楽器に関しては、師匠がお気に召さなかったようで、何度か「音が人の心を掴めないから、変えた方がいい」「その楽器が足枷になって伸びない」と言われたことがあります。師匠は古管か、それをモデルにした現代管の方がいいと考える方でした。実は僕ももともと古管の音色が好きで、一時期四郎管の本当にいいのを吹かせてもらったこともあり、そうした素晴らしさについては感じています。ただ、古管はオールドでビンテージなだけに、「エンドレス」になるんですよね…。例えばいい四郎管を頑張って手に入れたとしても、次に「さらに良い」四郎管や琴童管があると「そっちの方がいいんじゃ?」となってしまいやすい。古管ゆえのクセもあって、しかも勝手にいじりにくい。…そうした現象を相当目の当たりにしてきたので、僕はだんだん「やっぱりオーダーメイドした新品の方がいい、そしてその一本を生涯かけて使い続けて、年寄りになったころに『古管』になるようにしてみたい」と考えるようになった訳です。(古管一本をずっと使い続けておられる方もいらっしゃいますが)

クルマも、父の影響と思いますけど「これ!」と思った一台を乗り続けたいと思う方です。僕のレガシィ 2.0iって、ターボじゃないし、これより速かったり性能良かったり高級仕様なクルマなんてゴマンとあります。でも、僕にはこの2.0iこそが、26歳から縁のある大事なクルマだし、なるべくずっと乗り続けたいんです。

話が逸れましたが、別に僕はあれこれ竹を変えたり古管を使うことを否定している訳ではありません。ただ、僕自身は新品で買った一本をずっと使い続けたい、そして縁があったのが利道さんの竹だったというわけです。

上に書いたような事情で、数年前までは「やっぱりこの楽器の音って、ダメなんだろうか…」と気持ちが落ち込んだりすることもありましたが、ここ数年、YouTubeやFacebookの動画について「いい音色だが、誰の作った竹なの?」という問い合わせを、主に海外の方から頂くことが時々あります。「手前味噌」じゃないですよ。やっぱり、利道さんの楽器を選んだのって、間違いじゃなかったのかな、と思えるようになって来たんです。故人の名誉のためにも。まあ、マイクとスピーカー経由の音なんで、生音を聴いてもらっての判断ではないんですけど。実際のところ、どうなんですかね…???

そういえば、高校の頃ハマった、Queenのブライアン・メイも、ティーネイジャーのころ父と2人で自作した一本を、未だに使い続けてますよね。本当にいい音色でカッコいい。あれって、ギターの常識からはかけ離れた構造をしているそうじゃないですか。でも暖かみのあるふくよかな音色に最初から美しいビブラート、素晴らしいですね…

五郎先生の音とブライアン・メイのギターの音色って、良さが似てる気がするんですよ。「曲線美」のなかに、暖かみのある音色、しかしその中心にはしっかりとした芯がある。倍音のつき方が独特ですよね。…ああいう音色を目指して、毎日練習に励んでいます。



2020年3月15日日曜日

ままの川

「僕もYouTubeで喋ったりとかしてみようかな…」とか書きましたが、やはり動画で喋るのは性に合わないようで、有言不実行になってしまいました。ただ、最近言いたいことはコメント欄に書きましたので、興味があられましたらそちらをご覧いただけますとありがたいです。
動画はいつもの通り、普通に演奏動画です。

【コメント】
「尺八は滅びた」「三曲は衰退するばかりだ」等の話が世間を飛び交っていますが、そういう現代だからこそ、三曲の楽しみ方をもう一度考え直しませんか?固定観念にとらわれていませんか?「先生が『うん』と言わないと演奏会もできない」「ちゃんとした会場で演奏会をしないといけない」「お付き合いのある社中の方でないと共演できない」。そんな『壁』を取り払える方法の一つに「動画による演奏公開」があると、僕は思っています。

演奏動画は、生演奏ではありません。聴こえてくる音もマイクとスピーカーを経由したものだし、「演奏家の息遣いが聴こえてくる」などといいますが、所謂「臨場感」を感じるのは難しいです。奏者にも演奏中は聴き手の様子が伝わって来るわけではないので、一方通行のコミュニケーションのように感じるかもしれません。しかし、その「最大の欠点」を除けば、動画にはいいことばかりです。
・時空を超えて、自分の演奏している地域からはるか離れたところにいる人に、未来に渡って演奏を届けることができる。
・「集客」「チケット」「会場」等の呪縛から解放される。特にマイナージャンルである邦楽にとって「集客」は頭の痛い問題ですが、「なんとか集めてきた人々」ではなく「本当にその演奏を求めている人」に直接届けることが可能となります。もちろん、様々な社会情勢や疫病、災害等で、「演奏会をキャンセル」のようになることもありません。
・工夫すれば、「他地域の同志」と「動画上で共演」したりもできる。
・インターネット、SNS等で紹介してもらい、広めてもらうこともできる。それがきっかけで、新しい仲間が増えたりもする。
今考え付いたものを並べただけで、本当はもっとたくさんの利点があるかもしれません。

僕は「生演奏」を否定したり、「もうやらない」と言っているわけではありません。また、演奏会自体が活況を呈することの方が理想的だとも思います。ただ、冒頭のような嘆きがあちらこちらから聞こえてくるということは、中々現状上手くいってないということに間違いないでしょう。ネットやSNSといった新しいコミュニケーションが普及した今、それを使わない手はありませんよね。すでに洋楽器(ロックやポップスでも、クラシックでも)ではたくさんの演奏動画・レッスン動画が出回っており、感動的なものも多いです。その洋楽の世界でも、楽器が売れなくて、あの有名ギターメーカー「Gibson」が経営破綻しているのです。邦楽は「滅びようとしている」ならなおさら、新しい可能性を探り、色々試していくことが急務なのではないでしょうか。

正直、大正~昭和の頃の、三曲全盛期のように戻るとは、到底思えません。あの頃は情報も限られていて「楽しみ」の数が少なかったし、「教養はステイタス」「女性は特にいざという時のための『芸は身を助ける』を備えたい」など、今にはない社会的な理由がありました。だからこそ、「教授産業」スタイルによって成立した、一般大衆に良さがわかりにくい楽曲なのに、「正直、あまり良さは解らないんだけど、まあ師範免状は欲しいし、それを持っていたら立派だから、難しい曲までがんばろう」などとなったんだと思います。

僕は、「音楽として」尺八本曲や地歌箏曲が好きだし、かっこよくて感動的な芸術だと思います。だからこそ、それをわかってくれる人に演奏を届けたい。旧来のしがらみは、そうした純粋な気持ちや行動を制限する可能性が高いものであり、そのことに気づいていない人があまりにも多いように思います。僕自身、伝統的な師弟関係や社中のシステムの中で修行を積み、技を教えて頂いた人間ですし、そのことへの感謝は忘れていないつもりです。しかし、その僕でさえも(5年前の自分なら、こういう変化を自分自身が遂げようとは夢にも思わなかった)こうした取り組みをどんどんやるようになるくらい、時代は変わったということができるように思います。今回、地歌箏曲「ままの川」という曲を吹いてみました。「いやぁ~、わかっとらんねぇ~、地歌は『歌』が主役だよ。尺八は『伴奏』なの。そんな本末転倒なのをアップなんてねぇ」とか言ってる方がナンセンスなのかもしれませんよ。それほど、「固定観念」の塊の世界だということ、だから音楽が良くても(元々一般人にはわかりにくくできてるんだけど)人が新しく入ってこないんですよね。「いや、私のところは入門者が来とるよ」とかではなく、全国的に見るといかに新たに始める人が少ないかは、目をそらさないべきだと思います。

あれこれ書きましたが、そんな思いで活動しておりますので、もし聴いていただき、気に入っていただけましたら、他の動画をご視聴頂いたり、またアップした時にはご覧頂いたり、チャンネル登録・ネットやSNS等でご紹介して頂けますとありがたいです。ホームページやブログ、Facebookなどもやっております。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

琴古流尺八奏者 山口 翔


2020年3月14日土曜日

リテラシーの低さと、既得権益側の横暴

これ面白くてわかりやすかったです。
日本のファイナンシャル・リテラシーの低さって、学校教育の段階から染み付いてるんでしょうからね…。われわれ一人一人が、リテラシーを意識的に上げていかないといけませんね。茶の間でテレビの報道だけ見て「へぇー、テレビが言ってるからそうなんだ…」だけでは、それこそ池上彰氏の言う「けしからん罪」で、国民の世論から妬まれ、かつ既得権益側から煙たがられる人物が、いかに主張が正しかろうとも検察に狙われて有罪になってしまうということが繰り返されてしまうんでしょう…






2020年3月10日火曜日

YouTubeをあれこれ見て…

こういうの、面白いですよね。
尺八とか三曲も、こんな感じになればいいのに。
僕もYouTubeで喋ったりとかしてみようかな…






堀江貴文氏とカルロス・ゴーン氏が、レバノンで対談した動画が公開されていますね。
堀江氏の行動力も素晴らしいですが、日本の検察と、マスメディアも酷いものですね。
「何が真実なのか」は、我々一人一人が洗脳や情報操作に惑わされず、常にアンテナを張り続けないといけませんね。