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2021年2月14日日曜日

外曲リハビリシリーズ1 大内山

2019〜2020年頃のスランプ期、1年間ほど毎日「一二三鉢返調」しか吹かなかった(吹けなかった)ことから、「外曲が吹けない!」「息が続かない!」「苦しくて曲を通せない…」と散々なコンディションに。「これはもう、リハビリしかない!」と2021年の年明けより、外曲を初傳曲から地道に稽古を始めました。黒髪、六段、八千代獅子と進み、4曲目に取り組んだのがこの「大内山」。

コロナ禍において、世界中で演奏活動が制限される中、様々なミュージシャンが工夫して演奏配信などの活動に取り組んでおられます。当方の取り組みはそんな諸活動とは比べ物にならないほどの地味な、というか全く個人的なリハビリなのですが、「人様に聴いて頂く」のを励みに続けていくというのもモチベーションに繋がるかと思い、この「大内山」から(これまでの3曲はすでに上げたことがありますので)稽古の仕上げを撮影してアップしてみることに致しました。
以下のような設定で、この「外曲リハビリシリーズ」をやっていこうと考えております。
・初傳曲から、お習いした順に練習し、稽古の仕上げを撮影する。
・平服で演奏、「継続」を目標に。マイペースで行きます。
・掛け合いの所は、尺八の方を演奏。
・演奏会、温習会等で合奏したことがない曲も演奏します(この「大内山」もそうです)。所謂「尺八素吹き」であり、歌や糸の手を了解せずに吹いている曲に関しては「そういうもの」ということで…。「日本人が、中国語が解らなくても漢文を訓み下している」みたいなことです。
外曲の練習を始めて改めて気付きましたが、本曲に比べて外曲は音の変化、フレーズの多様性に富み、楽器の表現力向上という観点で見ると、非常に有効ですね。実に当たり前の話ですが。尺八本曲は「尺八をやって気持ちよく感じる」ように作曲されていますが、外曲は「三絃や箏の旋律や音階に寄り添う」必要から、尺八本来の技巧以外のものを「無理に行う」からでしょう。
ゆる〜くやっていきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
大内山:箏曲。手事物形式の明治新曲。高野茂作曲。高崎正風作詞。1892年(明治25)3月7日の明治天皇銀婚式を祝して作曲された。手事は二段からなり、各段同拍で段合せが可能。のちに松坂春栄によって手事部の増補がなされた。雲井調子(第一弦と第七弦を同音)
※明治天皇の銀婚式のお祝いをお喜び申し上げた曲で、天皇、皇后両陛下のいつも御睦じく、千代に栄えまさんことをうたっている。作曲者高野茂は当時華族女学校(後の女子学習院)箏曲科の教師、作詞者高崎正風は当時宮中御歌掛、後に宮内省御歌所々長となる。
※明治新曲:当道制が解体した明治期になって、新たに作曲された改良唱歌運動に基づく新調弦、新形式の箏曲をいう。主として歌詞は、天皇の御製や皇族の御歌を用いたもの、あるいは「御歌会始」の勅題にちなむ内容のもの、道徳的で教育的な内容のものなどが中心となり、遊女や遊里を歌った歌詞は避けられるようになった。また箏は高低二部合奏の形態をとり、左手を使用した重音奏法と、明清楽などの影響を受けた半音の入らない五音音階である陽音階の使用などが特色である。
大内山  高野茂作曲、高崎正風作詞
大内山の山松に、若紫の藤の花、かかりし春を数ふれば、はたとせ余りいつもいつも、常磐の影も濃(こま)やかに、ゆかりの色の麗はしく、栄えましけりかくながら、仰ぎまつらん万代に、めぐる月日の限りなく、いや栄えませ諸共に、めぐる月日も限りなく、いや栄えませ諸共に


2021年1月1日金曜日

新年あけましておめでとうございます。

昨年(令和2年、2020)は、世情はもとより、自分自身、公私ともに余裕なく、演奏を発信することが中々出来ない一年でした。久しぶりに演奏を撮ってみましたが、「人様に向けて演奏させて頂く」ことのありがたさを実感致しましたところです。本年は、少しずつ、自分のペースではありますが、また演奏公開を徐々にして行けたらなと思っております。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



2020年5月4日月曜日

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口 翔(福岡県)】山田流箏曲『竹生島』

山田流箏曲家・大庫こずえさんと初めて「web上で共演」させて頂いたのが、今から3年半ほど前の平成28(2016)年12月のことでした。そもそも、この「web演奏会」という試みを思いついたのも、Facebookで大庫さんと出会い、意気投合したときに投げかけられた言葉「便利なツールで時空を超えられたら」がきっかけでした。ただでさえ人数の少ない邦楽人口。地方になればその人口密度の低さたるや、中々自由に共演できる、音楽的趣向の共通した「同志」に出会うことは困難である、そうした課題を克服すべく考え出したのが、それぞれ別の場所で(たとえ遠隔地どうしだったとしても)演奏した動画をつなぎ合わせて公開するという手段だったわけです。のみならず「会場」「集客」といったことに頭を悩ませる必要もない。「お客様」も「時空を超えて」聴いて下さるという利点もありました。最大のデメリットである「生演奏ではない」という欠点を差し引いても、これは人口減に悩む邦楽の現状に対して一石を投じるものではないか、そう信じて、この3年半、幾度か様々な共演者の方にお願いし、演奏・公開を繰り返してきました。旧来のしがらみにとらわれず、この新規な試みに賛同・共演して下さった全ての共演者の方々には心から感謝しているところであり、中でも大庫さんは何度も合奏して下さった恩人であります。

しかし、まさか世の中が今日のようにガラリと様変わりし、三曲合奏はおろか、クラシックやポップス界のミュージシャン、いやテレビ番組内のニュースのコメンテーターに至るまで「ステイホーム」で「時空を超えた」共演が当たり前になる事態になろうとは、予想だにしていませんでした。1日でも早い収束を心より願うと同時に、三曲合奏・山田流箏曲の魅力を感じる一人として、演奏を公開させて頂きます。決してメジャーとは言えない音楽ジャンル、しかし、この音楽が持つ「粋」なカッコよさ、「竹生島」というテーマの持つ縁起の良さ、何よりも、日本という国に連綿と受け継がれてきた糸と竹の音色が、一人でも多くの聴き手の方の心に届き、これからを生きて行く希望への一助となりましたならば、これに勝る喜びはありません。

音楽をはじめとした芸術は、生活に必需とは言えない「余技」であり、「無駄な贅沢」なのかも知れません。しかし、我々人間の暮らしを豊かに彩り、日々の幸せを感じさせ、明日への活力を生み出すことができるのはまさに芸術なのではないかと信じます。平和な日常が戻ってきた時、人々はきっと芸術を、音楽を希求するのではないでしょうか。中でも、この日本という国に生まれた美しい和楽器の音色は、われわれ日本人を、いやその音色に魅了された世界中のたくさんの人々の大切な財産として、大きな力を発揮してくれることでしょう。それまで絶やさず、大切に演奏を続けていく所存です。



~共演者・大庫こずえさんよりコメント~

昨年一中節のお稽古に伺った時の家元のお話しがきっかけとなり数十年振りに弾いてみる事となりました。
その話題から山口さんのリクエストがありこの度の共演となりました。
この曲で、山田流は歌にあらず箏浄瑠璃だという事がよく分かる気がいたします。
語りの要素が重要とされる分お箏お三味線はシンプルな旋律ですが、それ故 誤魔化しの効かない余韻に神経を使った演奏が望まれるものなのだと考えると私はまだまだ道半ばと自覚せずにいられません。




『竹生島』
山田流箏曲。千代田検校作曲。奥歌曲。歌詞は、謡曲「竹生島」のシテの出以下の部分を縮約・編詞したもの。全体的構成はおおむね謡曲の進行に従い、「楽」で天女の舞を、終りのほうの合の手で竜神の出の早笛を表現。一中節の曲節を意識した曲調で、独吟による語り物的表現が多い。派によって歌い分け・詞章に多少の異同がある。箏雲井調子、三絃三下りー本調子。
醍醐天皇に仕えている官人が弥生半ばのころ、琵琶湖の湖岸から釣舟に便乗して竹生島に詣でると、姿を変えた弁財天が現れてその縁起を語り、かつ、その霊験のあらたかと神徳を称えたもの。竹生島弁財天は厳島、江の島とともに日本三弁財天の一つとなっている。

歌詞
頃は弥生の半ばなれば、浪もうららに海のおも、霞みわたれる朝ぼらけ、静かに通ふ舟の道、げに面白き時とかや。いかにあれなる舟に便船申さうなう。おう召され候へ。嬉しやさては迎への舟、法の力と覚えたり。けふは殊更のどかにて、心にかかる風もなし。山々の春なれや、花はさながら白雪の、ふるか残るか時しらぬ、峯は都の富士なれや、なほさえかへる春の日に、比良の嶺(ね)おろし吹くとても、沖こぐ舟はよも尽きじ。旅のならひの思はずも、雲居のよそに見し人も、同じ舟に馴れ衣、浦を隔てて行くほどに、竹生島にぞ着きにける。承はり及びたるよりもいや勝りて有難し、不思議やなこの島は、女人禁制と承はりてありしが、あれなる女人はなにとて参られ候ふぞ。それは知らぬ人の申すことなり、恭けなくもこの島は、久成(くじょう)如来のごさいたんなれば、まことに女人こそ参るべけれ。のうそれまでもなきものを、弁財天は女体にて、その神徳もあらたなる、天女と現じおはしませば、女人とても隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり。げにかほどの疑ひも、荒磯島の松蔭を、便りに寄する海人小舟、われは人間にあらずとて、社壇の扉を押し開き、御殿に入らせ給ひければ、翁も水中に入るかと見えしが、白波の立ち帰り、われはこの海のあるじぞと言ひ捨てて、またも波間に入り給ふ。ふしぎや虚空に音楽聞え、花ふり下る春の夜の、月に輝やく少女(おとめ)の袂、かへすがへすも面白や。夜遊の舞楽もやや時過ぎて、月澄み渡る海づらに波風しきりに鳴動して、下界の竜神現れ出で、光も輝く金銀珠玉を、かのまれ人に捧ぐるけしき、有難かりける奇特かな。

2020年3月15日日曜日

ままの川

「僕もYouTubeで喋ったりとかしてみようかな…」とか書きましたが、やはり動画で喋るのは性に合わないようで、有言不実行になってしまいました。ただ、最近言いたいことはコメント欄に書きましたので、興味があられましたらそちらをご覧いただけますとありがたいです。
動画はいつもの通り、普通に演奏動画です。

【コメント】
「尺八は滅びた」「三曲は衰退するばかりだ」等の話が世間を飛び交っていますが、そういう現代だからこそ、三曲の楽しみ方をもう一度考え直しませんか?固定観念にとらわれていませんか?「先生が『うん』と言わないと演奏会もできない」「ちゃんとした会場で演奏会をしないといけない」「お付き合いのある社中の方でないと共演できない」。そんな『壁』を取り払える方法の一つに「動画による演奏公開」があると、僕は思っています。

演奏動画は、生演奏ではありません。聴こえてくる音もマイクとスピーカーを経由したものだし、「演奏家の息遣いが聴こえてくる」などといいますが、所謂「臨場感」を感じるのは難しいです。奏者にも演奏中は聴き手の様子が伝わって来るわけではないので、一方通行のコミュニケーションのように感じるかもしれません。しかし、その「最大の欠点」を除けば、動画にはいいことばかりです。
・時空を超えて、自分の演奏している地域からはるか離れたところにいる人に、未来に渡って演奏を届けることができる。
・「集客」「チケット」「会場」等の呪縛から解放される。特にマイナージャンルである邦楽にとって「集客」は頭の痛い問題ですが、「なんとか集めてきた人々」ではなく「本当にその演奏を求めている人」に直接届けることが可能となります。もちろん、様々な社会情勢や疫病、災害等で、「演奏会をキャンセル」のようになることもありません。
・工夫すれば、「他地域の同志」と「動画上で共演」したりもできる。
・インターネット、SNS等で紹介してもらい、広めてもらうこともできる。それがきっかけで、新しい仲間が増えたりもする。
今考え付いたものを並べただけで、本当はもっとたくさんの利点があるかもしれません。

僕は「生演奏」を否定したり、「もうやらない」と言っているわけではありません。また、演奏会自体が活況を呈することの方が理想的だとも思います。ただ、冒頭のような嘆きがあちらこちらから聞こえてくるということは、中々現状上手くいってないということに間違いないでしょう。ネットやSNSといった新しいコミュニケーションが普及した今、それを使わない手はありませんよね。すでに洋楽器(ロックやポップスでも、クラシックでも)ではたくさんの演奏動画・レッスン動画が出回っており、感動的なものも多いです。その洋楽の世界でも、楽器が売れなくて、あの有名ギターメーカー「Gibson」が経営破綻しているのです。邦楽は「滅びようとしている」ならなおさら、新しい可能性を探り、色々試していくことが急務なのではないでしょうか。

正直、大正~昭和の頃の、三曲全盛期のように戻るとは、到底思えません。あの頃は情報も限られていて「楽しみ」の数が少なかったし、「教養はステイタス」「女性は特にいざという時のための『芸は身を助ける』を備えたい」など、今にはない社会的な理由がありました。だからこそ、「教授産業」スタイルによって成立した、一般大衆に良さがわかりにくい楽曲なのに、「正直、あまり良さは解らないんだけど、まあ師範免状は欲しいし、それを持っていたら立派だから、難しい曲までがんばろう」などとなったんだと思います。

僕は、「音楽として」尺八本曲や地歌箏曲が好きだし、かっこよくて感動的な芸術だと思います。だからこそ、それをわかってくれる人に演奏を届けたい。旧来のしがらみは、そうした純粋な気持ちや行動を制限する可能性が高いものであり、そのことに気づいていない人があまりにも多いように思います。僕自身、伝統的な師弟関係や社中のシステムの中で修行を積み、技を教えて頂いた人間ですし、そのことへの感謝は忘れていないつもりです。しかし、その僕でさえも(5年前の自分なら、こういう変化を自分自身が遂げようとは夢にも思わなかった)こうした取り組みをどんどんやるようになるくらい、時代は変わったということができるように思います。今回、地歌箏曲「ままの川」という曲を吹いてみました。「いやぁ~、わかっとらんねぇ~、地歌は『歌』が主役だよ。尺八は『伴奏』なの。そんな本末転倒なのをアップなんてねぇ」とか言ってる方がナンセンスなのかもしれませんよ。それほど、「固定観念」の塊の世界だということ、だから音楽が良くても(元々一般人にはわかりにくくできてるんだけど)人が新しく入ってこないんですよね。「いや、私のところは入門者が来とるよ」とかではなく、全国的に見るといかに新たに始める人が少ないかは、目をそらさないべきだと思います。

あれこれ書きましたが、そんな思いで活動しておりますので、もし聴いていただき、気に入っていただけましたら、他の動画をご視聴頂いたり、またアップした時にはご覧頂いたり、チャンネル登録・ネットやSNS等でご紹介して頂けますとありがたいです。ホームページやブログ、Facebookなどもやっております。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

琴古流尺八奏者 山口 翔


2020年1月3日金曜日

チャンネル登録500人!

大変私事ですが、本日、当方のYouTubeチャンネルが、登録者数500人となりました。
ただ単に自分の尺八本曲や外曲の素吹きをアップしているのが殆どなのですが、時々「ジョイントweb演奏会」や、筑前琵琶との合奏、「鹿の遠音」「琴古・都山吹合せ」の共演動画などで、共演者様には大変お世話になりました。そのおかげで、こうしたニッチなジャンルながら、500名にもの方に興味を持ってご覧頂くことが出来たんだろうと思います。本当にどうもありがとうございます。
大手ユーチューバー様に比べるとかわいい数字ですが、今後とも、自分なりに尺八本曲・地歌箏曲などの魅力を「いいな」と思う形でご紹介したり、披露したりして行ける場にして行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。


2020年1月1日水曜日

一二三鉢返調で吹き初め

今年の「吹き初め」です。
琴古流本曲「一二三鉢返調」を吹いてみました。
今年の正月は、mont-bellで正装(?)です。


2019年12月29日日曜日

尺八で、「御山獅子」を楽しめるありがたさ。

11月の終わりから体調を崩し、しんどい中仕事のペースも捗らず、成績処理も遅れ、その分土日は仕事になり、という悪循環…。初の尺八を連続5日吹いてない、好きな朝コーヒーもカットで超早朝出勤…
12月末になって、ようやく体調も回復し、すべての仕事も終わり、年賀状や大掃除も終了し、自分の心身に溜まったストレスやチリのようなものも体外に放出されました。
そのおかげか、この半年の中で一番調子が良いです。ようやく長いスランプを脱することが出来たのかも知れません。
加えて、この10年位、ちょっとだけ尺八が右に傾いていたクセも修正しました。首振りの時、左の方を開閉する関係で、右側が蝶つがいのようになり、結果的に息の当たるポイントが左に逸れていたようです。首振りで左を開けるのはそのままなんですが、息の当たる向きを少し右側にずらすために、尺八の構えをやや左に修正しました。これまで曲の中盤になると音が薄まり始めていたのが、嘘みたいに解消されました。

















「御山獅子」、手事部分のみアップしてみました。
着物を着ての撮影は、本当に久しぶりです。
年明けに公開しようかとも思ったのですが、何だかドタバタと余裕がなさそうですし、今日撮ってすぐ上げてしまいました。
「御山獅子」、いい曲ですね。尺八でやっていても、とても楽しめる曲です。
邦楽にはとてもいい曲も多いのですが、よく分からない堅苦しいあれこれが普及を阻害するのは良くないですね。トラディショナルな物に対する尊敬の念自体は悪いものではないと思うし、自分も感じてはいるんですが、それが変な方向に行くと、純粋に芸術的なものではなくなってしまう。
僕は純粋に「音楽」として楽しむ方向性にシフトしました。これからも尺八本曲や地歌箏曲の「いいな」と思う魅力を、自分の感性に素直に自然に発表していこうと思っています。


2019年9月1日日曜日

床の間よ、さらば。ありがとう…

家庭的な事情により、遂に床の間は収納になってしまいました。



この貸家に引っ越してきて足掛け5年、あれこれ「web演奏会」を開催させて頂き、「ジョイントweb」では、ネット上での三曲合奏ということまで体験させて頂きました。共演して下さった皆様、本当にありがとうございました。琴古流本曲も、この場所で36曲全曲、練習し撮影・公開させて頂きました。今思えば、長いような短いような、でもやはりちょっと長いようなです。
ある意味、「自分のスタジオ」的な風にも思っていたのですが、やはり持ち家ではないところで制限された中でやってますので、やはりこういう日が来ますね。まあ、全部取っ払って掛け軸や天蓋なんかを再びセットすれば、再び元のようにはできるのですが。でも、ある意味一度「床の間」ともお別れなのかなと、思ったりしたところでした。

こないだの大庫さんとの共演が、結果的に最後の床の間での「ジョイントweb」となりました。どうもありがとうございました。








床の間で撮影した最後の演奏「鹿の遠音」です。



大庫さんとの「菊水」の直後、フォーム改変のチェックのためになにも気負わず撮ったもので、その時はこれが最後になるとは思ってもいませんでした。しかしまあ、たまたまですが「鹿の遠音」だったというのも何かの縁だったんですかねぇ

所々イマイチなところもあって、これまで公開していませんでしたが、見納めということで

2019年8月5日月曜日

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口 翔(福岡県)】 山田流箏曲『菊水』

Facebook上で、大庫さんが『菊水』の三絃独奏の演奏を公開されていたことから、久しぶりに「web上での共演」をお願いし、今回のジョイントweb演奏会開催の運びとなりました。大庫さん、いつも本当にありがとうございます。

この曲は竹友社の「青譜」で通常通り発行されているのですが、自分が師匠にきちんとお習いしておらずに残っていた数曲のうちの一つでした。戦前は「南朝が正当」という認識が日本国民において一般的で、楠木正成は忠臣として英雄視されていたそうです。当時はよく芝居や小説、そしてこの『菊水』のように、音楽作品の題材となって人々から人気を博したのだとか。そういえば尺八においても「虚無僧の元祖は楠木正勝(正成の孫)」というような話もありました。しかし、戦後はそうした南朝正統論や楠木正成に対するシンパシーが薄れていったためか、次第に演奏機会が減少してしまったようです。

本来ならば、唄・箏本手、三絃、尺八による三曲合奏が通常の演奏形態でありますが、「箏が主」の山田流箏曲ながらあえて「唄・三絃、尺八」の合奏として仕上げてみました。山田流には、江戸の感性に合わせて、浄瑠璃など三味線音楽の要素を箏曲化して生まれたという成り立ちがあります。そういう経緯からすると、山田流箏曲を三味線を主体にした音楽として演奏してみることも、その音楽的性質からして興味深い試みであると考えました。

下合わせ期間に、大庫さんから今井慶松師のSP音源を聴かせて頂きました。昔の名人ならではの、流れるような力強い演奏が感動的で、現代人が忘れてしまった感性に浸ることができました。今井師の箏のシャレ弾きが秀逸で、ほぼベタ付けであった尺八に手を幾つか取り入れて吹いてみました。三絃と尺八だけの楽器編成であったため、こうした歴史的な手付けを学んで取り入れることは効果的であるように感じました。

また、「ジョイントweb」シリーズでは初の、カメラの切り替え(スイッチング)を取り入れてみました。独吟の箇所をはじめ、気分を変えるために適宜楽曲の切れ目などに使用してみました。

楽曲の長さも適当で、曲の展開も面白く、もっと盛んに上演されればいいのにと思った次第です。令和最初の「ジョイントweb演奏会」に、楠公の『菊水』、いかがでしょうか。


〜共演者・大庫こずえさんよりコメント〜
どうやら私は、音を重ねる器楽の合奏より、綺麗な歌より、ドラマのある歌で情景を見せる演奏が好きなようです。
それ故 多感な十代にたまたま出会った山田流箏曲を今も続けているのでしょう。
箏浄瑠璃である山田流箏曲には 古典文学を演じる曲が沢山あり、過去の名人の残された貴重な演奏を録音とはいえ改めて聞くにつけ、若い頃から実際に触れて来られた幸運を何よりも有り難く思う次第。
山口さんのお誘いにより  自分の身の内に蓄えた芸を少しでも現代に表現出来れば何よりです。



『菊水』
明治26年(1893)に、山登万和(1853〜1903)が作曲した山田流箏曲。作詞者不詳(一説に、国文学者の中村秋香とも)。山登万和は、二代山勢検校門下で、三世山登検校を名乗った。天皇親政なった明治期の世相を反映した作品を数多く作曲したことでも有名で、『須磨の嵐』『四季の詠』『松上の鶴』『近江八景』などは、今日でも取り上げられる。
この曲は『太平記』巻16「正成兵庫下向事」に取材して、「桜井の子別れ」として有名なシーンを描いている。曲名の「菊水」は、菊の花と流水を組み合わせたデザインの家紋で、楠木正成を象徴する。
建武3年(1336)、足利尊氏の京都入りを阻止するために湊川へ向かう楠木正成(1294〜1336)は、これが最期の戦となることを覚悟している。桜井宿(現在の大阪府島本町)で嫡子正行に後醍醐天皇への忠義の道を教え諭し、別れを告げる。このとき正行は数え年で11歳だったと伝えられ、父の没後も南朝側の武将として戦い、四條畷の戦で討ち死にした。唱歌「桜井の訣別」(落合直文作詞・奥山朝恭作曲、1899年刊『湊川』に初収録)でも「青葉茂れる桜井の、里のわたりの夕まぐれ〜」と愛唱され、戦前の国語や修身の教科書でも必ず扱われていた。琵琶歌、長唄、常磐津など、様々なジャンルでも題材として取り扱われている。
途中に入る合の手では、勇ましい合戦のイメージを鼓舞するような雰囲気の手付けがなされている。箏は雲井調子から六と斗を一音上げた半岩戸調子(生田流の六斗上り雲井。箏の四に三絃の一が合う)で出て、「綸旨なり」で六を下げ、「これを汝に譲るなり」で斗も下げて雲井調子。三絃は二上り〜三下り〜本調子と変化する。時代色が濃いために今日では演奏される機会が少なくなってきている。  〜『Victor ノイズレスSPアーカイヴズ 都の春/今井慶松〈I〉』ライナーノーツより〜

歌詞
その時正成、肌の守りを取り出し、是はひととせ、都に戦ひ有りし時、下し給ひし綸旨(りんし)なり、是を汝に譲るなり、我れ兎も角もなるならば、世は尊氏の世となりて、吉野の山の奥深く、叡慮を悩し給はんは、鏡に懸けて見る如し、さは去りながら正行よ、暫しの難を逃れんと、弓張月の影暗く、家名を汚すことなかれ、父が子なれば流石にも、忠義の道は兼て知る、討ち洩らされし者どもを、育み扶助し隠れ家の、吉野の川の水清く、流れ絶えせぬ菊水の、旗を再びなびかせて、敵を千里に退けて、叡慮をやすめ奉れ、ああ叡慮をやすめ奉れ

2019年3月28日木曜日

京鈴慕

【京鈴慕(Kyo Reibo)山口 翔】
「鈴慕」の名称につきましては「九州鈴慕」のときにご紹介したとおり、「虚鐸伝記」の故事に関連付けられ尺八曲のジャンル名になったり、単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりし、その結果、日本各地の虚無僧寺に「○○鈴慕」という曲が伝わるようになったようであります。

その意味からすると「京鈴慕」は、「京都に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。

名前の通りこの曲は「志図の曲」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、京都の宇治吸江庵にて、龍安より初世黒沢琴古が伝授されたということです。

平成31 327日撮影
撮影機材:iPhone 8




2019年1月26日土曜日

「外曲スランプ(?)」克服、『御山獅子』

…実は、昨年末くらいから色々余裕がなくなり、「外曲が吹けなく」なっていたんです。前歌の途中くらいになると、クラクラ・ゼエゼエ…。
まるで何かのトラウマのように…
本曲だと、20分でも30分でも吹けるんですけど。

「これはイカン」ということで、外曲を全く吹かないことにしました。唯一の例外が、正月の六段(実際には12/27演奏)。あの時は、六段を通すのがやっとでした。

本日、ふと「御山獅子、やってみようか」と思い、時々間違えて止まりながらも、最後まで通せました。「おおっ!」と思い、「さらし」「八重衣」「桜狩」と吹いてみました。八重衣はさすがに中チラシと百拍子で間違えてやり直してみましたが、どの曲もそんなに苦にならず通せました。「外曲を吹く楽しさ」を久しぶりに味わうことができました。

「外曲スランプ」から救ってくれた「御山獅子」に感謝です。
記念に演奏動画を撮ってみました。ところどころ粗がありますが、素直な現状の演奏ということで…。


2019年1月2日水曜日

志図の曲

【志図の曲(Shizu no Kyoku)山口 翔】

明暗真法流、対山派などにも同名曲があり「賤(子)の曲」「志津の曲」などとも書かれるようです。

「しず(しづ)」とは、「しづ(静・鎮)める」の意であり、一切の修行が成就することを願う意味を含む曲だとも言われているそうです。曲は冒頭、高く激しい音より始まって、次第に鎮まりを見せ、曲の最後には尺八の最低音(筒音)まで下がって終わります。

「京鈴慕」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、宇治吸江庵にて龍安より初世黒沢琴古が伝授されました。

平成30 1226日撮影

撮影機材:iPhone 



九州鈴慕

【九州鈴慕(Kyushu Reibo)山口 翔】
「鈴慕(れいぼ)」とは、尺八本曲の曲名・ジャンル名であり、古伝三曲の一つ「霧海篪鈴慕」と関係を持つ楽曲群を広く指すようです。

虚無僧に関する伝説「虚鐸伝記」に、普化宗の祖と仰がれる普化禅師が、中国・唐代に街中を鈴(鐸)を振りながら練り歩き「四打の偈」を唱えてまわったこと、それを慕った弟子の張伯が、その鈴の音を模して竹の笛を吹き、これが虚無僧尺八の源泉となったこと、などが記載されています。

この伝説に関連させて付けられた尺八の曲名「鈴慕」が生まれ、日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲の多くが「○○鈴慕」となったり、
単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりして、広まっていったようです。

「九州鈴慕」は、「九州地方に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。
実際にはいくつかの流派にそれぞれ違った伝承があり、「同名異曲」(名前が同じでも異なった楽曲)が複数存在する楽曲です。

琴古流本曲の「九州鈴慕」は、虚無僧寺の総本山である、下総小金・一月寺の本則、福田傳次(義好)より初世黒沢琴古が伝授されました。

平成30 1226日撮影

撮影機材:iPhone 8



2019年1月1日火曜日

平成31年は、「六段」から

あけましておめでとうございます。

本年最初の演奏公開は、4年ぶりの「六段の調」です。

今後とも心を込めて琴古流尺八を演奏してまいりますので、
どうぞよろしくお願い申し上げます。


2018年10月29日月曜日

転菅垣

【転菅垣(Koro Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、横浜の一月寺末寺頭、青木山西向寺の本則野田意悦(虚道)より初世黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
この曲も秋田菅垣と同様、比較的拍子がはっきりしています。大きな特徴として、曲の前半部分と後半部分がピッタリ合奏できるように作曲されていることが挙げられます。
後半部分は「コロコロ」の手を、地のように繰り返しているのが印象的で、曲名との関連を想像させます。
前回「10分で琴古流本曲シリーズ」におきましては、この前半と後半の吹合せを多重録画で再現しましたが、今回は最初から最後まで全曲通しで演奏してみました。


平成30年 10月29日撮影
撮影機材:iPhone 8

2018年10月15日月曜日

秋田菅垣

【秋田菅垣(Akita Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。

「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。


平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8

堀井小次朗作曲「ひとみ」(映画『二十四の瞳』挿入曲)

10月5日、Facebookでお知り合いの中国の尺八愛好家、唐言周子さんの投稿をシェアさせて頂いたご縁で、堀井小次朗作曲「ひとみ」に挑戦する機会を得ました。


実はその前日、スペインの尺八奏者、 Rodrigo Rodriguez さんが投稿された、「二十四の瞳」の演奏動画を拝見したのです。



連続して翌日の唐言さんの投稿で、ご縁を感じ、まずは琴古譜を作成しました。






譜面作成にあたっては、関西在住のとある琴古流尺八家から資料を見せて頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。さらに、その後も、Facebook上でたくさんの方が、ご自身の習われた譜面を公開して下さったり、曲に対する熱いコメントを書き込んで下さったりしました。僕の知らなかったこの曲が、こんなにもたくさんの尺八奏者に愛されていたということに、驚きました。

というのも「二十四の瞳」は、日本の有名な映画の一つだといえると思いますが、その音楽に尺八が使われていたこと、そして作曲が堀井小次朗師であること自体を初めて知ったのです。
しかも、それを知ったのが、海外のお二人の尺八家のおかげだというのも、とても印象深いことでした。

七孔尺八らしい音の滑らかなつながりや、民謡のような装飾音の入り方が、僕としてはとても新鮮です(自分は5孔で演奏しましたが)。「尺八本曲」「地歌箏曲」以外に、中々「日本の魂」を感じることができる尺八独奏曲を見つけることができなかった自分にとって、この楽曲はとてもインパクトがある作品でした。

琴古流にはない、流れるような連続音や、転ぶような装飾音の連続が印象的です。

いつも同じところばかり使っている脳の回路が、新鮮な刺激を受けています。


2018年9月30日日曜日

再び、琴古流本曲を最初から

本曲を、また最初に戻ってもう一巡することにしました。まずは「一二三鉢返調」、「瀧落の曲」からです。


本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。

以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。


【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。

この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。

黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。

曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。

平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8




【瀧落の曲(Takiotoshi no Kyoku)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、下総一月寺の御本則、小嶋丈助(残水)より初代琴古が伝授された曲であるとのことです。

伝説によれば、伊豆の修善寺の旭滝の傍にあった瀧源寺の住職が、滝の落ちる様を竹の調べに移したものということです。古典本曲各派に同名曲が伝わっており、そちらでは「たきおち」と読むことが多いようですが、琴古流では「たきおとし」と呼びます。

「ツレゝゝ、ゝツレゝ、リウレゝ、ツロへツレロ」という、瀧落ならではの旋律系が繰り返され、呂(乙、第1オクターブ)を主体とした前半部、甲(第2オクターブ)に移行した高音(たかね)の中盤、そして再び呂に落ち着いた後半部から成っています。後半部では、「ナヤシ」を除くことで、前半部とは異なる雰囲気となっています。譜面では呂の前半部をもう一度繰り返すよう指示されていますが、現行では繰り返しを省き、中盤に移ることが殆どのようです。


平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8



2018年8月4日土曜日

10分で琴古流本曲(番外編)「虚空鈴慕」

昨年度末に完結した「10分で~」シリーズですが、この夏、「久しぶりに虚空鈴慕が吹いてみたいな」と思い、そういえば「10分で~」シリーズでは本手だけの形で「虚空鈴慕」を公開していない(本手・替手の多重録画、ライブ演奏版はあり)ことを思い出し、急遽紋付を着て撮影してみました。(H30夏の酷暑の中、エアコンを最低温度の「17度」に設定して袷の紋付に身を包みました。)

「霧海篪鈴慕」の解説でも申し上げましたが、尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)の虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の2曲目となります。

『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったのだそうです。

この伝説の真偽のほどはさておき、「虚空」は様々に伝承されてきた古典本曲の中でも名曲として人気があり、古典本曲を伝承する各流各派において大切に伝えられてきた特別な楽曲の一つと言えるでしょう。特に冒頭の「ツレー、レー、レー、チチーウー」の旋律は、流派ごとの味付けの違いはあれど、聴いた瞬間「ああっ、虚空だ!」とグッとくるものがあります。また冒頭フレーズのあとの落ち着いた乙(呂)音の続く味わい深い低音部、一転して緊張感あふれる三のウやヒ、チの連打などの差し迫った展開から、後半はリズミカルに乗っていくなど、「虚空」ならではの形というか、曲の個性というものがとても印象的な楽曲です。

個人的な感想として、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している「霧海篪」に比べ、「虚空」は曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ楽曲のように思われます。地歌箏曲に例えるなら「八重衣」にでも当てはまるのではないでしょうか。

全曲演奏すると25分程かかる大曲ですが、曲の構成を崩さないよう気をつけながら、各所から少しずつ抜粋して10分の演奏としました。

琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。なお、琴古流では当初「虚空」として伝えられた曲名が、伝承されるうちに「虚空鈴慕」となって今日に至っています。



※ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2018年7月31日火曜日

【而今の会・webゆかた会演奏会『夕顔』】

暑中お見舞い申し上げます。
記録的な酷暑が続きますが、皆様どうぞご自愛下さいませ。

さて、「而今(にこん)の会」のブログにも掲載させて頂きましたが、「webゆかた会」と銘打ちまして、再びメンバー3人での「オンラインの共演」による三曲合奏公開を企画いたしました。曲は「夕顔」です。ご覧いただけますと幸いでございます。

※詳しくは、「而今の会ブログ」をご覧ください。