2016年12月31日土曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「夕暮の曲」

第26回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(14)「夕暮の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

古伝三曲をはじめ、普化宗の宗教音楽としての尺八本曲が本来の姿だとすれば、この曲は音楽性に重きをおいた「破手の曲」であり、「本曲の中の外曲」とでも言える存在でしょう。下総一月寺の役僧半林より、初代黒沢琴古に伝授されたということです。

江戸時代の随筆家・俳人であった神沢杜口の随筆『翁草』には、この曲が霊元天皇によって「夕暮」と命名されるくだりが記されています。「仙院(霊元天皇の御事)いまし給ふある秋の暮つかた、御苑の高殿にて御つれづれの御遊の折から、何地ともなく籟(らい)の音の風にたぐへて吹おくれる其聲、怨るが如く慕ふが如くただならぬを、院聞召て御童に勅有て、其籟の行衞を求めさせらるるに、仕丁の輩、御築地の裏京極街の邊へ立出てみれば、獨の普化僧の街を通る手ずさみにてぞ有ける。
則渠(かれ)をいざないて御所へ帰り参、かくと奏ずれば、今の一手は何と云曲也やと人をして尋ねさせ給ふに、薦僧云、只今吹すさみ候は名のある 曲にては候はず、何となく秋暮の物悲しきに感じ候て、時の調子をはからずもしらべ候のみに御座候と申上げければ、その者此能に堪たりと叡感有て、渠が名を も尋させられ、今の一手に「夕暮」といふ勅銘を下さる儘、此後に、一曲に定むべしとの御事にて、御かづけ物などを賜ひ、時の面目を施し こも僧は退出せり、夫より此一曲を端手の組に入れて今も是を吹とかや、其こも僧は鈴木了仙となん云る、正徳享保の始迄も在し尺八の妙手なりと承伝。」
…つまり、霊元天皇が、たまたま出会った虚無僧の吹いていた、秋暮の物悲しさが込められた尺八の旋律に感じ入られ、「夕暮」という曲名をお与えになった、ということですね。


このエピソードが史実であるかどうかはさておき、確かにこの曲の旋律は琴古流本曲中でも独特の雰囲気を持ち、秋の夕暮れの美しさと物悲しさを、尺八の音色に託して表現しているように感じられます。琴古流本曲中でも芸術性の高い名曲だと思いますし、その旋律は大変印象深く、私もよく、特に夕方に何とはなしにこの曲を吹いてしまいます。

曲は大きく四つの部分で構成されていますが、今回の演奏はそのうち最初の出だしの部分と、最後の高音(たかね)の部分とを取り上げています。最初は乙音を中心とした低く落ち着いた旋律で構成され、ユリやナヤシ、ツキユリなどが効果的に用いられています。また、高音の部分は、それまでの曲調から打って変わって三のウやヒなど、激しい高音域を多用し、真っ赤に燃えながら沈んでいく夕日を連想させます。
私事ですが、福岡に帰郷してから3年間、久留米から遠く四十数キロも離れた山里に勤務していた頃、県の東の果てから筑後川に沿って西の久留米に車を走らせると、よく真っ赤に燃える美しい夕日を追いかけるように帰宅していたことを思い出します。その夕日はあるときは雲を染め、またある時には川面に反射し、雄大さと美しさ、そしてちょっぴり物悲しさを私に感じさせてくれました。時には雁がねの群れとも並走し、その景色はとても思い出深いものでありました。その時の様子が演奏中、自然と脳裏に浮かんできました。

今年1年間、毎月の「10分で琴古流本曲」シリーズを続けてきましたが、年の暮れにたまたま「夕暮の曲」が巡ってきたことは不思議な縁だと思います(ちゃんと曲順でやっていて、こうなりました。さらに年明けの最初の曲は「栄獅子」です!)。毎月琴古流本曲を1曲ずつ演奏し、皆様に聴いていただけて、本当にありがたく幸せな1年間でした。琴古流本曲を身近に感じ、少しでも興味を持っていただけましたなら、私のこの取り組みも冥利に尽きるものであります。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
平成28年年末  山口籟盟


※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない
尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2016年12月16日金曜日

小倉の袴

今日の午後、本業の仕事の都合で、北九州市にある「いのちのたび博物館」に行ってきました。
昔は、八幡駅の横に併設される形で、恐竜の化石やシーラカンスなどが展示されていたのですが、いつのまにか場所もスペースワールドの横に移されて、リニューアルというより完全に新設されて、規模の大きい綺麗な博物館に生まれ変わっていました(ちなみに、僕が小学生の時初めて恐竜の化石というものを直接見たのは、八幡駅横にあったときの同博物館でした)。地球上の生命の誕生から現代に至るまで、化石や生物だけでなく人間の社会科学や暮らしの歴史、北九州市の産業や文化に関することまで、幅広い展示内容で、見学できてとてもよかったです。

いろいろな展示の中で特に注目したのが「小倉(こくら)織」。これは、漱石の小説の中で、書生の描写の中にお決まりのように「小倉の袴」が登場するため、どんなものなんだろうとずっと気にかかっていたものでした。

私事ですが、高校時代から漱石に憧れ、大学も漱石にゆかりのある熊本大学(前身は漱石が教鞭をとった旧制第5高等学校)に進学、大学4年間は全て着物で過ごしました。そのとき「小倉の袴」をだいぶ探してみたのですが、ついに入手することはできませんでした。今日の展示で、明治期までは生産されていたものの、昭和期にはすでに希少なものになっていたことがわかりました。勉強になりました。

ちなみに、大学時代は久留米絣と仙台平の袴に落ち着きました。この仙台平は、質感はとてもいいのですが、古着屋で手に入れたものは劣化して縦に裂けやすいのが欠点で、裏から和紙をあてて糊付けしたりして修繕しましたが、結果的にかなりの数をはき潰してしまいました。袴のまま自転車に跨って、市内中駆け回ったりしていましたからね。もしそのころも生産されていたならば、上下とも綿の丈夫な布地で、僕の過酷な普段着としての使い方にも耐えてくれたかもしれません。ただ、昔の白黒写真を見ると、だいたい小倉の袴はひだも取れてしまってゴワゴワになっていますよね。久留米絣も「綿というのは頑丈だが型崩れしやすい」というのがよくわかりました。


~以下、展示の解説文です~

小倉織(こくらおり)は江戸時代の初め頃から豊前小倉(こくら)の特産として作られていた綿織物で、徳川家康や細川忠興に関する記録にも小倉織の名をみることができます。当初は貴重品でしたが、徐々に袴や帯、冬の日常着として武士や庶民の間で愛用されるようになりました。
明治時代になると、手織りから機械織りへと変化し、書生の袴や制服に用いられるようになりましたが、昭和初期には衰退し、幻の織物とさえいわれるようになりました。

小倉織の特徴は、細い糸を2本から4本撚(よ)り合わせて作った「もろよりの糸」を使用し、たて糸の密度を高くすることで、丈夫な布にしている点です。現存する小倉織の多くは2本の糸を撚り合せた「双糸」を使用しています。この糸を作るには高い技術と労力が必要で、全国的にも珍しい技法です。

小倉の名産、徳川家康もお気に入り
丈夫で長持ち、人気の綿織物です。
武士のはかまは小倉織がいちばん。

あの徳川家康が鷹狩りの時に小倉織の羽織を来ていたそうです。






2016年12月11日日曜日

大庫さんの山田流名取40年記念CD

ジョイントweb演奏会で共演した、山田流箏曲家・大庫こずえさんのCD『いつまでもかわらないで』を聴いています。

山田流名取40年を記念して制作されたCDということです。演奏活動で披露されているオリジナル曲が3曲収録されています。

1曲目の「いつまでもかわらないで」は、「箏のためのシャンソン」という副題がついており、東京・銀座の思い出のお店や、空襲で変わってしまった歴史などが歌いこまれています。メロディアスで流れるような拍子の旋律が印象的であると同時に、叙情的な語りを思わせる歌詞と曲の展開が、古来からの「うた」と「こと」による音楽の本質を、現代に再現しているようにも感じました。

2曲目の「君に添ひながら」は、表題曲から一転して純和風調となり、いにしえの和歌2首(1首目は『閑吟集』より、2首目は百人一首で有名な「筑波嶺の」)を、素朴に歌い上げておられました。山田流の丸爪の音色が、和歌の世界観を効果的に演出しているように思いました。

3曲目の「花の袖」は、狂言に取材した作品とのことで、中世後期に成立した「幽玄」の美意識が、近現代の色調で描かれている様は、近代日本画、とりわけ上村松園の謡曲を素材とした作品を鑑賞したときの心持ちが思い起こされました。箏の合わせ爪と囃子方の鳴り物が同じ瞬間に重なる独特の音色が印象的でした。

表題曲を思わせるジャケット・アートも、この作品の雰囲気を見事に具象化していると感じました。

大庫さんの名取40年周年を心からお祝いすると同時に、今後のますますのご活躍を祈念しております。




大庫さんのブログは、

2016年12月9日金曜日

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ・山口籟盟】山田流箏曲『秋の七草』

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口籟盟(福岡県)】
山田流箏曲『秋の七草』

Facebookでお知り合いになった、長野県在住の大庫こずえさん(山田流箏曲)と、福岡県在住の山口籟盟(琴古流尺八)による、「オンラインでの共演」です。


大庫さんとは、この秋にFB上でお知り合いになりました。私が毎月一曲公開させて頂いている、琴古流本曲の動画をご覧になり、メッセージを下さったことがきっかけで交流が始まりました。メールでは山田流箏曲や琴古流尺八についての話題で盛り上がりました。大庫さんは東京、私の方は関西での修行時代は、ともに山田流箏曲の合奏機会に恵まれていたのですが、現在はともにそれぞれ山田流奏者の稀な地域で活動しており、お互い本格的な山田流の舞台からは遠のいていたような状況でした。

大庫さんはご出身地の東京で山田流箏曲の修行を積まれ、芸大でも勉強されるなど、まさに本筋の山田流をきっちり身に付けられた方ですが、長野県に住まわれてからの演奏活動では、「歌」を大切にされたオリジナル曲を中心になさっているそうです。私も何曲か拝聴しましたが、「日本語」の美しさを全面に押し出した歌、丸爪ならではの凜とした爪音などに、現代に生きる山田流箏曲の精神を垣間見ました。古来より、人の心を動かし続けた「うた」と「こと」による演奏。それは、古代ギリシャの竪琴を奏でる吟遊詩人や、我が国の王朝文学で琴をつまびく女性など、古今東西を問わず存在する「うたの心」そのものなのではないか、それを一つの形として具現化されておられるのだなと強く感じました。

お話が盛り上がるにつれ、「ご一緒に山田流箏曲を合奏してみたい」という想いが募るものの、本当に距離の遠い長野県と福岡県です。以前学生時代に、熊本から鹿児島の山田流箏曲家のもとに何度も通ったり、ご一緒に演奏をさせて頂いた話題などもする内に、「便利なツールで時空を超える」という言葉が何とはなしに表出し、それがきっかけで「ジョイントweb演奏会」での共演にお誘いさせていただきました。


今回も、何度も音源のやりとりを行いながら「オンライン下合わせ」を重ね、曲を仕上げていきました。合の手では、箏が本手、尺八が「六段」の初段を演奏し、合奏しています。大庫さんには、演奏の撮影やデータの送信など、たくさんのお願いをしてしまいましたが、いずれも快く引き受けて下さいました。本当にありがとうございます。

「オンラインの共演」は、物理的に同一の場で舞台をともにしているわけではありません。しかしこの「ジョイントweb演奏会」では、お互い離れた地にあっても、ともに愛する音楽をご一緒に共演できる、ありがたい場だと感謝しております。そしてまた、我々の音楽に本当に共感して下さる方に、たとえお住まいが遠くとも聴いていただくことが可能です。現代に生き続ける「三曲」の一つの新しい形として、今回の私たちの演奏を味わって頂ける方が一人でも多くおられるとしたら、それに勝る喜びはありません。ご視聴よろしくお願いいたします。


~共演者・大庫こずえさんよりコメント~
ある時、籟盟さんが昔コンクールを聴きに行った折 出場していた鹿児島出身の山田流の方の演奏に感銘を受け その場で楽屋を訪ねてからその方と暫く交流が続いたとお話しをされたので、私もだいぶ前に 鹿児島の古い友人を訪ねた時に 山田流の若い女性を紹介され、月イチ東京にお稽古に通っているそうで 〇〇さんというお名前でした とお答えしたら、それが正に籟盟さんのお話しになっていた方だったという事があり、こんな繋がり方もあるものかと随分ビックリしたものです。
ましてや そのコンクールの為に友人が用意した特注のアクリルの立奏台は、今私が譲り受けて使っているのです。
何という不思議なめぐり合わせでしょう。
今回 籟盟さんの熱心なお誘いにより、私の源流山田流に鮭のように回帰した思いです。






『秋の七草』
明治17年、文部省音楽取調掛撰。実際の作曲者は三世山登松齢で、三世山勢松韻の校閲ともいう。初学曲。小品ではあるが、箏の基本的手法が盛り込まれた手付けとなっている。合いの手では『六段』と打ち合わされる。

歌詞
秋の野に、咲きたる花は何々ぞ、
おのが指をり数へ見よ
錦を粧ふ萩が花、尾花、葛ばな、をみなへし、
誰がぬぎかけし藤袴、親のなさけの撫子に、
露をいのちの朝顔の花

この七草の花はしも、昔の人のめでそめて、
秋野の花のうるはしき、

その名は今に高まどや、野辺に匂える秋の七草

2016年12月1日木曜日

古閑メロディを演奏

諸事情によりお知らせするのが遅くなってしまったのですが、久留米市の「NPO法人城南健康ふれあい倶楽部」さんの催し物に出演させていただきます。


福岡県の筑後・大川は古賀政男の出身地ということで、古賀政男記念館館長のコンサートに、ご一緒させていただきます。その際、「演奏曲目のうちの一曲を共演」ということになり、美空ひばりの「柔」という曲を演奏させて頂くことになりました。


実は私、「演歌」という音楽ジャンルはこれまで最も疎遠なものでして、クラシックやロックは幼少期から毎日のように聴いてきたので馴染みがあるのですが、「古閑メロディ」は本当に初めてであります。演歌を聴いて育った方のようにはいかないと思いますが、この演奏機会を頂いたのも何かのご縁ですので、自分なりに工夫した演奏ができたらいいなと思います。


「柔」以外には、尺八本曲が一曲と、外曲を何か一曲演奏しようと思います。本曲は、今のところ「夕暮の曲」を考えています。12月のweb演奏会の課題曲であり、情景描写に優れた名曲だと思います。外曲はまだ迷っていますが、土曜日の間に吹いてみて決めようと思います。



基本的には、倶楽部の会員さまを対象にした催しのようで、広く告知という性格の会ではなさそうですが、一応ご報告させて頂きます。最近は動画による演奏公開が中心でしたので、久しぶりの生演奏です。


2016年11月27日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「吉野鈴慕」

25回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(13)「吉野鈴慕」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。


前回の「琴三虚霊」に引き続き、『真の手』の第2曲目「吉野(よしや)鈴慕」です。

この曲も「琴三虚霊」同様、初代琴古が宇治吸江庵の龍安から伝授(『琴古手帳』の「当流尺八曲目」に、琴三虚霊に続いて「右同人ヨリ傳来仕候」とあり)されたものと見られています。

「〇〇鈴慕」によく見られる音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)が曲中に登場し、どちらかというと宗教色の濃い、本曲本来のスタイルを持った曲のように思います。それと同時に、個人的に琴古流本曲中でも「秋田菅垣」や「下り葉の曲」んどとならんで、特に旋律が美しい曲だと感じており、思い入れの強い曲でもあります。特に、本動画の4:46あたりから始まる、「リの中メリ」を主とした旋律は独特であり、印象的です。「吉野」は「よしや」と読み、「善哉」とも書きますので(同名異曲が、対山派などにあるようです)、奈良の吉野のことではないと理解はしていますが、どうしてもこの曲を吹くと、関西時代に訪れた、あの美しい吉野の山里の景色を連想してしまいます。


余談ですが今回、自分のこれまでの撮影と比べると、珍しくアウトテイクの連続でした。大体通常は2~3テイクで済むのですが、今回は最初の2テイクがメカトラブル、その後も演奏自体が上手くいかなかったり、集中力が途切れたりと、昼過ぎから始まった撮影が夕方になっても散々の出来でした。11月の最初に、本業の関係で数日尺八を吹かず、その後風邪をひいて調子を落としたりと、11月は全体を通して中々尺八の調子が上がらなかったのも、精神的に響いていたのかもしれません。「しっかり音を出さなきゃ」「高音が痩せないようにしないと」「この技法のところはしっかり決めたい」など、さまざまな邪念が頭をよぎりました。

日もとっぷりと暮れた頃、急に師匠の言葉が蘇ってきました。
「山口君、本曲は人に聴かせる曲ではなく、仏様に聴いて頂く曲や。お仏壇の前で吹くような気持ちやないとあかんで」
やっと気づきました。気持ちも体も力んで、全く自然体で吹けていなかったことに。
そして、ようやく「お仏壇の前」で吹くような心境で演奏することができました。途中、亡くなった父方、母方の祖父母4人が並んでこっちを見てくれているような気持ちになりました。忘れかけていた大切なことを思い出させてくれました。

その最後のテイク、一箇所間違ってしまっています。最後の「ハーラロ」の次のナヤシの後に、余計にロの押しを一つ入れてしまいました。しかし、上記のような経緯により、このテイクを公開させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。


「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない

尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2016年11月13日日曜日

【ジョイントweb演奏会:宮崎紅山&山口籟盟】『小鳥の歌』

【ジョイントweb演奏会:宮崎紅山&山口籟盟】
『小鳥の歌』(宮城道雄作曲)尺八二重奏ver.
FB上でお知り合いになった、長崎県在住の宮崎紅山さん(都山流尺八)と、福岡県在住の山口籟盟(琴古流尺八)による、「オンラインでの共演」です。

宮崎さんと山口は同い年(S57生)でともに九州出身であり、都市部で修行(宮崎さん→東京、山口→関西)後、帰京し地元で活動する等、経歴も共通項が多いことから、「いつか共演してみたいな」と思っていました。しかし、福岡と長崎は近いようで意外に遠い場所にあり、なかなか行き来できない。それならば、インターネット上に、お互いの演奏動画を合成してアップすれば、「オンラインでの共演」にならないかと考え、お誘いしたところ快諾してくださり、今回の企画が実現しました。

曲は宮城道雄作曲の『小鳥の歌』で、本来尺八二重奏に箏の伴奏がつきますが、今回は尺八二重奏のみの演奏となります。

まずは双方で練習を開始し、メールでお互いの録音をやりとりしたり、パソコンで音を重ねて確かめたりしながら曲作りをしていきました(オンラインでの下合わせ)。次に、最終的に出来上がった録音での合奏を聞きながら、それぞれの演奏動画を撮影しました。最後に、二つの動画を合わせて完成となりました。


今回の企画で自分なりに大きな成果と考えているのが、「お互い自分の地元にいながらにして、インターネットを媒介として共演することができた」ということです。この方法を使えば、日本中の離れた地域に住む人どうし、もっといえば世界中の人との共演も可能です。実際には会ったことのない遠く離れた地に住む人とも、音楽的な趣向が合えばネット上で共演できる。特に純邦楽の共演者探しそのものが大変な地方在住の奏者からすれば、面白い試みではないでしょうか。


和楽器・純邦楽の表現方法の一つの形として、発表してみたいと思います。ご視聴、どうぞよろしくお願いいたします。


~共演者・宮崎紅山さんよりコメント~

“Web上”での合奏という山口さんからのご提案をいただいた際、正直暫く悩みました。演奏は生で!liveで!とこんなにも頑なに思っていた自分に気づかされた瞬間でした。この企画を一緒にさせていただき、ネットというツールでより多くの人と、世界中の人と、一緒に音楽を楽しむ可能性に(ちょっと遅かったかもしれませんが)気づかされました。山口さんに、感謝~🎵



2016年10月23日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「琴三虚霊」

24回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(12)「琴三虚霊」】

琴古流尺八本曲のうち、「霧海篪鈴慕」「虚空鈴慕」「真虚霊」の3曲が『古伝三曲』と呼ばれ特に重視されていることは、これまでに書いた通りです。琴古流本曲には表18曲・裏18曲にそれぞれ曲順があり、これまでのweb演奏会での曲順は、現行の琴古流本曲の曲順通りに公開してきました。

しかし、江戸時代の琴古流本曲成立当初は、実は『古伝三曲』が曲順の冒頭を飾り、それに引き続いて「滝落の曲」「秋田菅垣」「転菅垣」「九州鈴慕」「志図の曲」「京鈴慕」の順となっていました(「一二三鉢返調」の成立は、かなり後になってからのことです)。これらは『行草の手』と呼ばれ、『古伝三曲』に比べるとくだけた曲、くずした曲、というニュアンスが受け取れます。『古伝三曲』は、『琴古手帳』においては『古伝本手』と書かれ、本曲中でも最も格式の高い正しい形の曲という位置付けになっているわけです。それを楷書とすれば、行書や草書のように、画数や書き順がくずしてある、という意味でしょう。

さて、表18曲のうち、『古伝三曲』『行草の手』以外の9曲は『真の手』と呼ばれています。琴古流本曲中でも有名な「夕暮の曲」「巣鶴鈴慕」なども、この『真の手』に含まれます。『古伝本曲』ほどの宗教的な格式の高さとは異なるものの、それぞれに深みや重み、歴史的な意義を持つ、日本各地の虚無僧寺から蒐集された個性的な曲が並んでいるように思います。その第1曲目がこの「琴三虚霊」です。

この曲は、宇治吸江庵の龍安(ろうあん)から伝授された当初は「三味線虚霊」と呼ばれていたようですが、初代琴古が勇虎尊師、泰巌尊師と相談の上「琴三虚霊」と改名したくだりが『琴古手帳』に記録されています。この勇虎尊師、泰巌尊師の両名は、琴古流本曲の曲順・曲名の整理・決定にも立ち会ったようで、琴古流本曲36曲の成立に、黒沢琴古と共に深く関わった人物であるようです。

「琴三虚霊」の曲名からは、琴や三絃との関連を感じさせるようでもありますが、「菅垣」のように曲そのものの音楽性が外曲と深く関わっているようには思えません。あえて言えば、琴古流本曲にしては、同じフレーズ・似たフレーズの繰り返しが散見されるように思います。また「真虚霊」との音楽的な類似性も特に感じられず、どちらかというと「霧海篪/鈴慕」における音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)に近い気がします。いずれにせよ、『古伝三曲』よりは音楽的な要素を強めた、京都からの伝来の曲ということで、伝承当時に思いを馳せながら演奏をしてみました。抜粋においては、なるべくこの曲の独特な旋律を中心に組むよう心がけました。


2016年9月22日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「盤渉調・真虚霊」



『古伝三曲』として、古典本曲の中でも宗教的に重要視されてきた3曲のうち、「霧海篪」「虚空」については、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が修行行脚中、霊夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とされています。それに対して「虚霊」は「虚鈴」とも書き、覚心自身が普化尺八とともに、修行先の中国から持ち帰った最古の本曲とされています。

『虚鐸伝記』によれば、中国の唐代に「普化(ふけ)」という奇僧がおり、「鐸(たく)=鈴」を振りながら托鉢修行を行った、同時期にこの普化を慕って「張伯(ちょうはく)」という者が、「鐸」の音を模した管楽器を吹きながら付き従った、その張伯の子孫である張参が、中国に留学中の覚心と懇意となり、普化の「鐸」音を模した管楽器の楽曲を伝授した、これが「虚鈴(虚霊)」であるとされています。

この伝説の真偽のほどはさておき、歴史的に数ある本曲の中でも別格扱いを受けてきた重要曲であることは間違いなく、楽曲そのものも非常に凝った独特の技法や雰囲気を持っています。「虚霊」特有の技法としては「イキナヤシ」というものがあります。これは、「二四五のハ」と呼ばれる指使いのまま、乙・甲(第1・第2オクターブ)交互に往復する旋律なのですが、「二四五のハ」は乙と甲が1オクターブ以上(9度程度)離れているという特性があり、独特の雰囲気を作り出しています(この動画では6:20あたりから2回出てきます)。他にもコロコロ、打ち詰め、ユリ、突きユリ、ムライキなどたくさんの特殊奏法が登場する上、曲全体として禅味を帯び、確かに宗教的な要素の強い曲であるように感じられます。



「虚空」を地歌箏曲に例えて「八重衣」ならば、「虚霊」は「残月」に相当するのではないかと思うことがあります。技巧的に高度でありながらも、同時に精神面を要求される楽曲であり、曲の完成に年輪を要する曲のように思われます。自分の演奏には未熟さが目立ちますが、このweb演奏会の場をお借りして挑戦させていただきました。



琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて、一計子より「霧海篪鈴慕」「虚空」とともに伝授されています。
琴古流では、前吹(まえぶき=前奏曲)として「盤渉調(ばんしきちょう)」と呼ばれる、短い竹調べが奏される慣習があります。余談ですが、この「盤渉調」が、西園流や明暗対山派の「虚鈴」の原曲ではないかという説があります。さらに「盤渉調」は、「鹿の遠音」の前吹としても用いられることがあります。

2016年9月7日水曜日

柳川市垂見・「洋楽と邦楽の調べ」出演

来る9月17日(土)、柳川市垂見コミュニティセンターにて、「洋楽と邦楽の調べ」という催しがあり、筑前琵琶の石橋さんとご一緒させていただくことになりました。もしお時間があられましたら、足をお運びいただけますと嬉しいです。筑前琵琶・琴古流尺八合奏の「あつもり」の他、琵琶・尺八とも楽器の歴史の小話や、独奏曲の披露等も行います。ご興味のある方は、ぜひ!!

2016年8月31日水曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「一閑流虚空替手」

第20回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(10)-1「一閑流虚空替手」「虚空鈴慕四段」吹合せ】
前回のweb演奏会「虚空鈴慕」の吹合せは、二段と四段の段合わせでしたが、もう一つ合奏可能な手として「一閑流虚空替手」というのがあります。
「一閑流(いっかんりゅう)」とは、初代黒沢琴古高弟の宮地一閑(みやじいっかん)およびその一門のことをいい、この一門と区別する意味で、初代琴古とその一門を「琴古流」と称したようです。つまり、当時は現在の流派名とはニュアンスが異なり、「宗家を頂点とした家元制度の1グループ」というよりも「その時代の名人とその一門」というような意味であったようです。近代以降の琴古流の祖である二世荒木古童(竹翁)の師・豊田古童が、一閑流系統の山田如童、琴古流系統の久松風陽の双方に師事したため、現代の琴古流はその両流の流れを受け継ぐことになり、一閑流で手付けされた虚空の替手である「一閑流虚空替手」が琴古流において伝承されることとなりました。
通常はこの「一閑流虚空替手」は独奏で演奏され、「虚空鈴慕」と合奏する機会はあまりないのですが、今回二段と四段を録画した際に、同一のベーシックトラックに合わせて「一閑流虚空替手」も収録してみました。虚空鈴慕同士の段合わせとは違った、独特の合口や旋律の重なりがあり、面白い合奏となりましたので、web演奏会の場で公開させていただきます。


※音源をステレオで編集し、左スピーカーから虚空鈴慕四段、右スピーカーから一閑流虚空替手が出るようにしております。スピーカーの設定で、どちらか片方の音のみにすることが可能です。




第21回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(10)-2「一閑流虚空替手」「虚空鈴慕二段」吹合せ】
前々回の虚空鈴慕二段・四段の段合わせ、一閑流虚空替手がすべて同一のベーシックトラックなので、一閑流虚空替手と虚空鈴慕二段の吹合せも編集して公開してみました。こちらもなかなか面白い合奏となりましたが、四段との合奏以上に合口が難しそうです。


※音源をステレオで編集し、左スピーカーから虚空鈴慕二段、右スピーカーから一閑流虚空替手が出るようにしております。スピーカーの設定で、どちらか片方の音のみにすることが可能です。


第22回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(10)-3「虚空鈴慕二段」「同四段」「一閑流虚空替手」吹合せ】
すべて同一のベーシックトラックに合わせて撮影した、虚空鈴慕二段・四段、一閑流虚空替手を、同時に再生できるように編集して、虚空鈴慕の3部合奏にしてみました。実験的な試みなので「音楽的にはどうかな…?」と思っていましたが、実際に聴いてみると、意外に面白い合奏な気がしますが…、いかがでしょうか?
音の数は多いですが、うるさい感じではないですね。ただ、近代的な3重奏ではなく、あくまで段合わせが3つ重なっている演奏なので、偶発的な音の重なりも多いですね。部分的に時々「おっっっ!」と思うような箇所も、個人的にはありました。
ただ、これを実際に3人で合奏しようとすると、激しく難しいと思われます。…まあ、実際にこれが舞台にかかることはないでしょうけどね…。
以上、琴古流本曲「虚空鈴慕」の現代版・遊びシリーズでした!!

※音源をステレオで編集し、左スピーカーから虚空鈴慕二段、センターから同四段、右スピーカーから一閑流虚空替手が出るようにしております。

2016年8月28日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「虚空鈴慕」

第19回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(9)「虚空鈴慕」吹合せ】



「虚空鈴慕」の歴史的な解説については、「霧海篪鈴慕」の項をご覧ください。また、一人吹きの演奏(抜粋)は、H28.7.17 Live @ 福岡市天神・みちのく夢プラザ「第3回 東北系古典本曲の会」の演奏を公開しておりますので、合わせてご覧いただけると嬉しいです。



この虚空鈴慕は全曲を通すと30分近くかかる大曲であり、大きく4つの部分(青譜では「4段」)に分かれています。ここでは便宜上、青譜の呼称を借りてご説明しますと、まず初段は「起」とでもいうべき、虚空らしいスケール感のある雄大な旋律で始まります。特に冒頭の「ツレー、レー、レー、チチウー」は、琴古流以外の各流各派の「虚空」とも通じる、「虚空のアイデンティティ」とでも呼ぶべき旋律かと思われます。

続いて「承」とでも呼ぶべき2段は、初段の雰囲気は受け継ぎながらも、一転して乙音の低音域中心の落ち着いた旋律が展開されます。

さらに「転」の3段では、高音域の緊張感漂う鋭い旋律が特長です。

そして「結」の4段では、本曲としては拍子的な進行の中に、流れるような美しい旋律が出現します。このように虚空鈴慕は、古伝三曲としての品格の高さを有しながら、宗教的な要素ばかりではない音楽的な美しさや構成の形式美をも兼ね備えた名曲といえるかと思います。


琴古流本曲の「虚空鈴慕」のもう一つの特長は、2段と4段が「段合わせ」できるようになっている点です。「段合わせ」と言えば、箏曲「六段」の各段を同時に演奏開始すると合奏することができることでも有名です。拍子数が一定で、変奏曲のように似た構成の旋律になっていることから、このようなことが可能なわけですが、地歌箏曲の中には「古典へのオマージュ」とでもいうか、それまでに作曲された他の楽曲と段合わせができるように、わざと拍子や調、旋律の構成をそろえている曲がいくつも存在します。

琴古流本曲では、「転菅垣」や「下り葉の曲」などで、曲の前半と後半がぴったり段合わせできるようになっている例がありますが、宗教的に最も重んぜられるところの「古伝三曲」においてこのような作曲・編曲が行われ、今日まで伝承されていることは、大変興味深いことと思います。


今回の演奏では、「転菅垣」同様の「多重録画」を用いて、二段と四段の吹合せを再現してみました。「みちのく夢プラザ」のライブでは、各段を少しずつ拾い上げた形の抜粋ですが、二段と四段による合奏も、琴古流本曲らしい、普化禅の雰囲気と音楽的な要素が融合した、独自の世界観を演出するものであり、これからも末長くこうした吹合せを、尺八演奏者どうしで楽しんで行きたいものと願っているところであります。

なお、この「虚空鈴慕」は、かつては単に「虚空」と呼ばれておりました。琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。


※音源をステレオで編集し、左スピーカーから二段、右スピーカーから四段が出るようにしております。スピーカーの設定で、どちらか片方の音のみにすることが可能です。

2016年8月18日木曜日

尺八で「ラジオ体操」!!(web演奏会・番外編!?)

残暑お見舞い申し上げます。

日本の夏の風物詩ということで、やってみました。




中メリのオンパレードで難しく、所々ピッチが甘いですが、猛暑に免じてお許し下さい。

まだまだ暑さが続きますが、みなさまどうぞご自愛下さい。

平成288

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琴古流尺八竹盟社師範
山口 籟盟(やまぐち らいめい)
Mail  : raimei245@gmail.com
URL: http://raimei.syakuhati.com
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2016年8月7日日曜日

Stevenさんと「鹿の遠音」

8月4日、Facebookでお知り合いになった、Steven Casano氏が来日されたので、お会いして、ご一緒に吹合せを楽しみました。
黒髪、鶴の声、鹿の遠音を吹きました。
楽しいひとときでした。

2016年7月19日火曜日

第3回 東北系古典本曲の会「虚空鈴慕」演奏

先日の「東北系古典本曲の会」では、たくさんの方においでいただき、演奏を聴いていただいて、本当にありがとうございました。

当日のライブ演奏を家族が撮影してくれたので、アップしてみました。
スマホで縦撮り、手ブレも若干ありますが、ご覧頂ければ幸いです。

琴古流尺八本曲「虚空鈴慕(こくうれいぼ)」
尺八:山口籟盟
H28.7.17 Live @ 福岡市天神・みちのく夢プラザ
「第3回 東北系古典本曲の会」

2016年7月14日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「霧海篪鈴慕」

山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(8)「霧海篪鈴慕」】



琴古流本曲36曲の第8曲目は「霧海篪鈴慕(むかいぢれいぼ)」です。
尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)に属する虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の1曲目となります。

『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊(きょれい)」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったということです。

この伝説の真偽のほどはさておき、「霧海篪」あるいは「鈴慕」と呼ばれる曲が、古くから尺八曲としてよく知られ、また吹奏されてきた楽曲であることは間違いないようです。『普化宗問答』の書に「れんぼすががきとは無解篪(むかいぢ)の和名なり」とあり、「鈴慕=霧海篪」との認識を示しています。この認識に基づけば、「〇〇鈴慕」と「鈴慕」が接尾語のように用いられている楽曲群を、「霧海篪の一種」という共通のジャンルと捉えることができると考えられます。現に「〇〇鈴慕」と呼ばれる曲の多くは、霧海篪と共通したフレーズや曲の構成を持っているように見受けられます。

個人的な感想として、曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ「虚空」に比べ、「霧海篪」は、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している曲のように思われます。そうした、独特のくぐもった雰囲気を出せるように意識をしてみました。ちょうど、この演奏を収録したのは梅雨の真っ只中だったので、そうした雰囲気を自然界から感じ取りながら演奏させていただきました。

なお、この曲の最後に、黒沢琴古が手付け(作曲)した「琴古先生イレコノ手」と呼ばれる部分があり、琴古流本曲としての霧海篪鈴慕の大きな特徴となっています。原曲の最後のフレーズに割って入る形で、それまでの捉えどころのない曲想とは違った、歯切れよく凛々しい旋律が、曲を引き締めています。今回は、本来3回繰り返されるテーマを1回に省略し、演奏しています。映像の中の11:14〜12:27あたりの部分です。

全曲演奏すると30分弱となる長大な曲ですが、何とか原曲の雰囲気や曲の構成を自分なりにディフォルメして、13分に収めました。

琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。


2016年6月30日木曜日

【web演奏会】山田流箏曲「岡康砧」

梅雨の中休みの晴れの日に、ふと外曲が吹きたくなり、山田流箏曲「岡康砧」を稽古しました。

web演奏会がずっと本曲続きなので、「古伝三曲」前の気分転換もかねて、6月末日にアップしてみました。
あまり速い曲は得意な方ではなく、時々指がもつれ気味ですが、ご愛嬌ということで

それにしても「岡康砧」、やはりいい曲ですね。梅雨に入り、モヤっとした「霧海篪鈴慕」の稽古が続いていた中、気分をシャキッとできてよかったです。

2016年6月27日月曜日

「第3回 東北系古典本曲の会」出演のご案内

第3回 東北系古典本曲の会

日時:2016年7月17日(日)17:00開演
会場:みちのく夢プラザ
 福岡市中央区天神2-8-34 住友生命ビル1F
 地下鉄天神駅2番出口
主催:箏・尺八アンサンブル
出演者:重兼正道、田中全、上津原丈生、竹井徹、山口籟盟
曲目:本調、瀧落、虚空鈴慕、秋田菅垣、雲井獅子(総員)


山口は、3曲目の「虚空鈴慕」を演奏させていただきます。
ご来場、お待ちしております。

2016年6月26日日曜日

筑前琵琶・琴古流尺八「あつもり」第2回目の本番に向けて

コーヒーサロン・はら さんで開催される、7/10の熊本地震&東日本大震災チャリティーコンサートに向けて、筑前琵琶の石橋さんと、筑後船小屋駅横の九州芸文館でリハーサルを行ってきました。

九州芸文館は、新国立競技場で有名な隈研吾氏の設計による、モダンなデザインが印象的でした。九州新幹線の駅の真向かいにあり、”九州・筑後の地からの文化の発信”という、力強いアピールが感じられました。
今回は、敷地内にある「アネックス」というガラス張りの別館をお借りしてのリハーサルでした。ここは、ライブ会場などにも使用出来る、デザインも音響も優れたところで、本当に気持ち良くリハーサルを行うことができました。





そのときのリハーサル音源(全曲通し)に、写真をつけて、YouTubeにアップしております。

もしよろしければ、ご感想やご意見などをいただけるとありがたいです。特に、我々演奏当事者では気づかないような改善点などを教えていただけるとありがたいです。

演奏本番に向けて、より良い演奏を目指し、稽古に励みたいと思います。
もしよろしければ、コメントをいただけるとうれしいです。
(Facebook上にもあげておりますので、そちらでも結構です)

忌憚のないアドバイスをお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。

2016年6月24日金曜日

譜面台

買ってしまいました、譜面台。

琴古流尺八は、古典の演奏がメインで、紋付で正座、譜面は毛氈や畳の上に直置きが基本。「譜面台は、必要ない!」と、これまで持ってませんでした。

しかし、イスに座ってのライブ会場など、様々なシチュエーションでも演奏の可能性を探って行きたいと考え直し、ついに譜面台購入に踏み切りました。

…なんだ、そんなことか、と言われそうな小さな話題なのですが、個人的には結構革命的な出来事なのです。



2016年6月20日月曜日

コーヒーサロンはら 復興支援チャリティー出演

こちらのチャリティに出演させて頂きます。
久しぶりに、石橋さんの琵琶との共演で、楽しみにしております。

7月10日チャリティーコンサート
熊本地震&東日本大震災

「筑前琵琶筑後旭会"Kochou"」(16時半より3曲)のうち、石橋旭姫さんとの「あつもり」で演奏させて頂きます。

大牟田周辺の音楽家があつまり開催されるチャリティーコンサートとのことです。

ご来場頂けましたら、幸いです。

2016年6月18日土曜日

霧海篪鈴慕あれこれ1

「霧海篪鈴慕(むかいぢれいぼ)」を稽古しております。
来月のweb演奏会の曲です。

この曲は、「古伝三曲」という、尺八本曲の中でも最も宗教的に重みを持つ3曲のうちの一つです。気合いが入ります。



練習しながら、かつて「霧海篪鈴慕」を稽古していたときの思い出が蘇ってきます。

今日、曲を吹きながら脳裏に浮かんだ景色は、かつて修行時代に住んでいた、兵庫県伊丹市の猪名川河川敷で、霧海篪鈴慕の暗譜に取り組んでいたときの風景です。



「古伝三曲は全て暗譜したい!」ということで、「真虚霊」「虚空鈴慕」は覚えたのですが、霧海篪が一番、曲の掴み所がモヤっとしていて、中々覚えられません。それこそが、霧海篪鈴慕の曲の特徴なのかなと、暗譜稽古を通して感じました。

因みに、ダントツ暗譜しやすいのが、虚空鈴慕。曲の長さは長いですが、カタチが整っています。

古伝三曲を、外曲に例えると、虚空鈴慕→八重衣、真虚霊→残月のように思えますが、霧海篪鈴慕は???夕辺の雲?ですかね??

話がそれましたが、グーグルマップで、かつての野外稽古場の場所を見つけて懐かしんでしまいました。ストリートビューで、本当にリアルに見られますね。神津大橋のたもとから、堤防沿いにちょっと下ったところで練習してました。冬頃だったので、よく川霧がいい塩梅にかかっていて、曲想にピッタリでした。(猪名川は川霧が出やすく、そのせいで冬はJR福知山線がよく遅れてました)




2016年6月15日水曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「京鈴慕」

琴古流本曲36曲の第7曲目は「京鈴慕(きょうれいぼ)」です。

「鈴慕」の名称につきましては「九州鈴慕」のときにご紹介させて頂きましたとおり、
「虚鐸伝記」の故事に関連付けられて、尺八の曲のジャンル名になったり、
単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりしたことで、
日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲の多くが「○○鈴慕」となったようです。
その意味からすると「京鈴慕」は、「京都に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。

名前の通りこの曲は「志図の曲」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、
京都の宇治吸江庵にて龍安より初世黒沢琴古が伝授されています。



ちなみに、琴古流本曲成立当初は、現行の曲順とは異なっていたようです。
『琴古手帳』では、いわゆる「古伝本手三曲」(霧海篪、虚空、虚霊)が36曲の冒頭に来ており、
その後に、瀧落から京鈴慕までが「行草の手」と称されて、続いています。
実際に教授される順番も、かつては霧海篪が一番最初だったようで、
尺八根本の「本手」である霧海篪や虚空を習ったあとに(ただし、虚霊はあとまわしにされていた?)、
派生的な「行草の手」や「真の手」(琴三虚霊以降の表の曲)を伝授されていたようなのです。
現在、一番最初に本曲の基礎固めとして習われている「一二三鉢返調」が成立するのは、だいぶ後のことです。

そういうわけで、瀧落の曲、秋田菅垣、転菅垣、九州鈴慕、志図の曲、京鈴慕の6曲は、
あまり肩肘張らず、すこし気楽に演奏できる本曲のように感じられ、
聴きやすい旋律が多かったり、音楽的に楽しみやすい要素が強かったりする曲が多いように思います。

竹盟社では、この6曲を「学行の手」とも呼ばれています。
一二三鉢返調を習った後、古伝三曲に至るまでの修練の曲として重要視されていることが伺えます。

この後は、尺八本曲の中でも特に大切に伝承されてきた「古伝三曲」が待ち構えています。
気合が入ります。


2016年6月10日金曜日

みちのく夢プラザで尺八本曲演奏

来月、7月17日に、福岡市中央区天神にある「みちのく夢プラザ」にて、福岡および近隣県の尺八家有志による、尺八本曲の演奏会があり、私も出演させて頂くことになりました。

詳細のご案内は後日になりそうですが、一月ほどで本番を迎えますので、取り急ぎご案内させて頂きます。



日時:平成28年7月17日(日)17:00〜
場所:福岡市中央区天神2丁目8-34
みちのく夢プラザ



山口籟盟は、「虚空鈴慕」を演奏予定です。
「みちのく夢プラザ」は、東北地方の物産館のような所だそうで、お客様がお買い物されている中で演奏があっているような雰囲気だということです。もしよろしければ東北地方の地元食材や物産を吟味しながら、尺八の音色に耳を傾けられてはいかがでしょうか。ご来場お待ちしております。


2016年6月3日金曜日

YouTubeの威力

私事ですが、自分は純邦楽、クラシックとならんでロックも好きで、ビートルズとかツェッペリンとかもよく聴くんですが、最近AC/DCという、オーストラリアのバンドが好きです。

高校時代に、本屋でギター雑誌を立ち読みしていたら、小柄なギタリストがスクールボーイスタイルで、真っ赤なギブソンSGを抱きかかえ、ステージ上を暴れまくっている写真に衝撃を受けたのですが、当時は家にネットなどなく、バンドの音を聴こうとするならば、CDショップに行って3000円近いアルバムを買わないとどんな音楽かを知ることもできなかったので、このバンドのサウンドとは縁を作れず今日まで来たのでした。


そんなAC/DCの曲にハマったきっかけは、なんとYouTubeで見かけた"Juliana Vieira"という、ブラジルの女性ギタリストでした。大変上手な上に、本当に楽しそうにギターを弾いていて、まるでギターが自分の分身か何かのようだったので、すっかりファンになってしまいました。この演奏を聴いて、逆にAC/DCの音楽にも興味を持ち、高校生以来、十数年間ぶりに実際に聴いてみることになったわけです。


Juliana Vieiraさんは、プロのギタリスト(?)のようではありますが、CDを出して活動というよりも、地元でライブをやったり、BOSSなどの機材メーカーと契約して動画を作成し広告塔になったりといったお仕事をされているようですね。機材のデモをカバー曲でやりながら、自分のオリジナルも公開したりしているようです。


それにしても、十数年前は、CDでメジャーデビューしないと音も聴いてもらえなかったのに、今では個人がどんどんYouTubeに演奏を上げて、それに興味をもった人がビッグバンドの検索をしたりするんですから、時代も変わったものですね。私も、稚拙な演奏かもしれませんが、自分なりに色んな演奏を発表し、少しでも多くの方に尺八に興味を持って頂けたらと、僭越ながら思っております。

2016年6月2日木曜日

来来亭・甘木インター店3周年&レガシィ19万5000キロ

関西では有名なラーメンチェーン店、「来来亭」の甘木インター店が、開店3周年とのことです。

滋賀県発祥の「来来亭」は、京都の「天下一品」と並んで、関西でも有名なラーメン屋さんですね。関西での修行時代によく食べに行った思い出深いお店です。「関西の豚骨ラーメン」には中々馴染めませんでしたが、この「来来亭」の醤油味は、九州の豚骨にはない魅力的な味わいで、当時から大好きでした。

九州に帰郷して、来来亭が中々見当たらないことに一抹の淋しさを感じていた所が、ある日、田主丸の筑後川挟んで真向かいにある甘木(あまぎ)に、新しく店舗ができているのを発見しました。それ以来、醤油ラーメンが食べたい時はこちらに訪れていたのですが、もうあれから3年も経ってしまったとは…

※豚骨ラーメン文化の福岡ならではの但書き


妻は九州の出ではないので、豚骨より醤油の方が安心感があったようで、この店が出来てからは、ファミリーでは、久留米ラーメンの店よりも来来亭に行く回数の方が増えましたもんね。当時は赤ちゃんだった息子も、もうすぐ4歳で、今日も「来来亭に行きたい!」とせがまれての出発でした。月日が流れるのは、早いものです。

※醤油スープに、背脂と一味唐辛子が入っているスープ。個人的な好みで、一味唐辛子はいつも抜いています。因みにここ、チャーハンもえらいうまかです!


さらにその帰りがけ、新車から8年目となる、愛車のレガシィが、走行距離19万5000キロとなりました。このクルマで、関西時代、来来亭やら天下一品やらをあれこれまわったものです。新車の時は、走行距離9キロのスタートでした。もうすぐ20万キロ!!…ああ、2回目のタイミングベルトの交換…


2016年5月31日火曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「志図の曲」

5月末日となってしまいましたが、月一の「10分で琴古流本曲(6)志図の曲」公開させて頂きます。
「しず(しづ)」とは、「しづ(静・鎮)める」の意であり、一切の修行が成就することを願う意味を含む曲だとも言われているそうです。曲は冒頭、高く激しい音より始まって、次第に鎮まりを見せ、曲の最後には尺八の最低音(筒音)まで下がって終わります。
「京鈴慕」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、宇治吸江庵にて龍安より初世黒沢琴古が伝授されました。




2016年5月29日日曜日

猿渡伶山氏と、都山・琴古の吹合せ



本日は、久留米市共同ホールにて、都山流尺八演奏家の猿渡伶山氏と、都山・琴古の吹き合わせを行いました。

曲は「夕顔」。まるで、あらかじめ二重奏として作曲されたかのような合奏になりました。都山流と琴古流の地歌箏曲の手付けの違いも、このように一緒に合奏する楽しみ方もあるなと、改めて尺八の楽しみ方の幅広さが感じられました。


2016年5月27日金曜日

第二回筑前琵琶新進・若手演奏会

少し日が経ってしまいましたが、先週の5/21(土)、博多の住吉神社能楽殿にて開催されました、第二回筑前琵琶新進・若手演奏会に行って参りました。






能楽堂での邦楽鑑賞は始めてでしたが、とても素晴らしい会場でした。最近は邦楽もコンサートホールで催されることが多くなっていますが、本来の邦楽器の響きを楽しむには、こうしたところの方が合っているのかなと思いました。

印象的だったのが、黒光りする檜舞台の気品と凛々しさです。こういう場所で尺八も演奏してみたいです。



さて、琵琶は、三曲とはまた違った魅力を持つ音の世界を作り上げていました。

琵琶の強みは「歴史物」が豊富なところだと思いました。語りの要素が強く、歌詞の内容がとても聞きやすく、手も情景描写に富んでいました。源平に関係する曲がやはり多かったですが、他にも福岡にゆかりのある菅原道真公の曲や、忠臣蔵の物語、そして、なんと10歳の男の子が語る、うさぎとかめの童話までありました。「邦楽を聴く」という要素と「歴史物語をを聞く」という要素が共存していて、その両方を楽しめるところは、とても魅力的に感じました。






写真は終曲、「大物の浦」を演奏中の石橋旭姫さんです。

大物(だいもつ)は、兵庫県在住時代、尼崎市を通る阪神電車の駅で、よく利用していた時期があり、とても懐かしかったです。このすぐとなりの駅が阪神尼崎駅で、この一帯はかつて「琴の浦」と呼ばれる、海岸の砂浜に松林が続く風光明媚な場所だったそうで、太宰府に赴く途中の菅原道真公も、船を泊めてその景色を堪能したということだそうです。

「大物の浦」は、源平合戦の後、頼朝に追われた義経が静御前と別れ、西国目指して大物の浦より船出したものの、壇ノ浦で討たれた平知盛の亡霊による嵐に阻まれるくだりが描かれていました。石橋さんの歌と語り、撥捌きに、思わず引き込まれてしまいました。能楽堂を取り巻く空気が、時代を飛び越して、当時の大物の浦にすり替わったような感覚を感じました。とても素晴らしい体験をさせていただきました。

2016年5月9日月曜日

第二回 筑前琵琶新進・若手演奏大会のご案内

筑前琵琶の石橋旭姫さんから、演奏会のご案内をいただきました。


筑前琵琶の世界でも、新進・若手の活躍を後押しする活動に力を入れているようです。

芸を受け継ぎ、次の世代に伝えていく若手の世代が活躍できる場を盛り上げていくことは、邦楽界の活性化のためにも大変重要なことだと思います。
また、これからは自分の属する邦楽ジャンルだけでなく、各方面で活躍している邦楽奏者同士が手を取り合い、ともに伝統芸能の世界を盛り上げていくための知恵を出し合うことも大切だと思っております。私自身は尺八・三曲界で修行を積んできた人間ですが、きっと琵琶の演奏を聴いたり、琵琶の世界で長い年月をかけて磨き上げてきた技に接することで、沢山のものを得られるのではないかと大変楽しみにしております。興味を持たれた方、ご一緒に聴きに行きませんか?

以下、詳細です。
5月21日(土) 午後1時開演
ところ 住吉神社能楽殿(博多区住吉3-1-51)
入場料 1000円 全席自由

プログラム
第1部
兎と亀 …梅田旭英
対王丸 …藤村旭寂
菅公 …水島旭彩
荒城の月夜の局 …内藤旭烏
巡礼お鶴 …植山旭佳
大森彦七盛長 …三上旭香
貧女の一燈 …原口旭愛
第2部
伏見の吹雪 …大田旭瑞
壺坂寺 …パーディ旭純
義士の本懐 …西田旭希代
小袖曽我 …吉田旭華
椎葉情緒 … 林 旭星
伽羅の兜 …平野旭鶴
大物の浦 …石橋旭姫
(4時半終演予定)


石橋さんのFacebook経由でお問い合わせいただくか、山口までメール頂けますと、ご案内できると思います。
お問い合わせ、お待ちしております。

2016年5月7日土曜日

GW後半は広島へ

GW後半は、妻の実家のある広島へと帰省しました。

その際、Facebookでお知り合いになった広島の上田流尺八家、井崎尚風さんとお会いして、ご一緒に吹き合わせをさせて頂いたり、尺八談義をさせて頂いたりしました。

昨年Facebookを始めて以来、これまでとは違った形の出会いを沢山させて頂いております。本当にありがたいことです。こうした出会いが、尺八界、邦楽界の広がりに少しでも役立てば幸いです。

井崎さん、連休中にも関わらず、ご一緒させて頂きまして、どうもありがとうございました。
楽しいひとときでした。

2016年5月1日日曜日

GWの里帰り

故郷の遠賀郡・岡垣町に帰って来ました。海岸沿いに、塩害防止林の「三里松原」が見えます。キャッチフレーズは、「うみがめも帰る町、岡垣」!



波津(はつ)の海岸沿いに、こげな施設がありました。

岡垣町観光ステーション・北斗七星!

水道や休憩所、貸自転車など、非常に充実した施設でした。しかも、新しくてキレイ!
駐車場もゆとりのある広さでした!

岡垣町、がんばってる!!






海は広い!!






岡垣町の海、遠景より。
海を望む「成田山」より、町を一望できます。
故郷は、心和みます。

MacBookのアップグレード

GW中の重要ミッションの一つが、Mac環境のグレードアップです!

Mac本体は、2009年から使い続けている、ポリカーボネートの白MacBook。しかし、内蔵ハードディスクの容量が少なく、OSも古かったため、使いにくくなっていました。iPhoneとの連携も上手くいかなくなっていましたし…

そこで、ハードディスクを、一気に1TBへ、それもSSHDと呼ばれる、ハードディスクとフラッシュメモリのハイブリッドのようなストレージに交換、さらにOSも最新式のEl Capitanへとアップさせました。

これで、快適にMacで作業できます!


白のMacBookは、CDドライブがまだ付いている上、イヤホンジャックとは別にオーディオライン入力端子があるんですよ。この二つが最近のMacには付いていないので、買い替えを迫られたら困ります。…にしても、7年前のハードウェアで、最新のOSがサクサク動く所は、Macの美点ですね。もちろん、あのジョブズが発売させた、Apple全盛期のモデルです。

左手の手首の当たる所が欠けるなど、少々古びてはきてますが、大切に使い続けたいです。



http://kato19.blogspot.jp/2015/05/macbooklate2009hddsshd.html?m=1