【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口籟盟(福岡県)】
山田流箏曲『秋の七草』
Facebookでお知り合いになった、長野県在住の大庫こずえさん(山田流箏曲)と、福岡県在住の山口籟盟(琴古流尺八)による、「オンラインでの共演」です。
大庫さんとは、この秋にFB上でお知り合いになりました。私が毎月一曲公開させて頂いている、琴古流本曲の動画をご覧になり、メッセージを下さったことがきっかけで交流が始まりました。メールでは山田流箏曲や琴古流尺八についての話題で盛り上がりました。大庫さんは東京、私の方は関西での修行時代は、ともに山田流箏曲の合奏機会に恵まれていたのですが、現在はともにそれぞれ山田流奏者の稀な地域で活動しており、お互い本格的な山田流の舞台からは遠のいていたような状況でした。
大庫さんはご出身地の東京で山田流箏曲の修行を積まれ、芸大でも勉強されるなど、まさに本筋の山田流をきっちり身に付けられた方ですが、長野県に住まわれてからの演奏活動では、「歌」を大切にされたオリジナル曲を中心になさっているそうです。私も何曲か拝聴しましたが、「日本語」の美しさを全面に押し出した歌、丸爪ならではの凜とした爪音などに、現代に生きる山田流箏曲の精神を垣間見ました。古来より、人の心を動かし続けた「うた」と「こと」による演奏。それは、古代ギリシャの竪琴を奏でる吟遊詩人や、我が国の王朝文学で琴をつまびく女性など、古今東西を問わず存在する「うたの心」そのものなのではないか、それを一つの形として具現化されておられるのだなと強く感じました。
お話が盛り上がるにつれ、「ご一緒に山田流箏曲を合奏してみたい」という想いが募るものの、本当に距離の遠い長野県と福岡県です。以前学生時代に、熊本から鹿児島の山田流箏曲家のもとに何度も通ったり、ご一緒に演奏をさせて頂いた話題などもする内に、「便利なツールで時空を超える」という言葉が何とはなしに表出し、それがきっかけで「ジョイントweb演奏会」での共演にお誘いさせていただきました。
今回も、何度も音源のやりとりを行いながら「オンライン下合わせ」を重ね、曲を仕上げていきました。合の手では、箏が本手、尺八が「六段」の初段を演奏し、合奏しています。大庫さんには、演奏の撮影やデータの送信など、たくさんのお願いをしてしまいましたが、いずれも快く引き受けて下さいました。本当にありがとうございます。
「オンラインの共演」は、物理的に同一の場で舞台をともにしているわけではありません。しかしこの「ジョイントweb演奏会」では、お互い離れた地にあっても、ともに愛する音楽をご一緒に共演できる、ありがたい場だと感謝しております。そしてまた、我々の音楽に本当に共感して下さる方に、たとえお住まいが遠くとも聴いていただくことが可能です。現代に生き続ける「三曲」の一つの新しい形として、今回の私たちの演奏を味わって頂ける方が一人でも多くおられるとしたら、それに勝る喜びはありません。ご視聴よろしくお願いいたします。
~共演者・大庫こずえさんよりコメント~
ある時、籟盟さんが昔コンクールを聴きに行った折 出場していた鹿児島出身の山田流の方の演奏に感銘を受け その場で楽屋を訪ねてからその方と暫く交流が続いたとお話しをされたので、私もだいぶ前に 鹿児島の古い友人を訪ねた時に 山田流の若い女性を紹介され、月イチ東京にお稽古に通っているそうで 〇〇さんというお名前でした とお答えしたら、それが正に籟盟さんのお話しになっていた方だったという事があり、こんな繋がり方もあるものかと随分ビックリしたものです。
ましてや そのコンクールの為に友人が用意した特注のアクリルの立奏台は、今私が譲り受けて使っているのです。
何という不思議なめぐり合わせでしょう。
今回 籟盟さんの熱心なお誘いにより、私の源流山田流に鮭のように回帰した思いです。
『秋の七草』
明治17年、文部省音楽取調掛撰。実際の作曲者は三世山登松齢で、三世山勢松韻の校閲ともいう。初学曲。小品ではあるが、箏の基本的手法が盛り込まれた手付けとなっている。合いの手では『六段』と打ち合わされる。
歌詞
秋の野に、咲きたる花は何々ぞ、
おのが指をり数へ見よ
錦を粧ふ萩が花、尾花、葛ばな、をみなへし、
誰がぬぎかけし藤袴、親のなさけの撫子に、
露をいのちの朝顔の花
この七草の花はしも、昔の人のめでそめて、
秋野の花のうるはしき、
その名は今に高まどや、野辺に匂える秋の七草
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