今日の午後、本業の仕事の都合で、北九州市にある「いのちのたび博物館」に行ってきました。
昔は、八幡駅の横に併設される形で、恐竜の化石やシーラカンスなどが展示されていたのですが、いつのまにか場所もスペースワールドの横に移されて、リニューアルというより完全に新設されて、規模の大きい綺麗な博物館に生まれ変わっていました(ちなみに、僕が小学生の時初めて恐竜の化石というものを直接見たのは、八幡駅横にあったときの同博物館でした)。地球上の生命の誕生から現代に至るまで、化石や生物だけでなく人間の社会科学や暮らしの歴史、北九州市の産業や文化に関することまで、幅広い展示内容で、見学できてとてもよかったです。
いろいろな展示の中で特に注目したのが「小倉(こくら)織」。これは、漱石の小説の中で、書生の描写の中にお決まりのように「小倉の袴」が登場するため、どんなものなんだろうとずっと気にかかっていたものでした。
私事ですが、高校時代から漱石に憧れ、大学も漱石にゆかりのある熊本大学(前身は漱石が教鞭をとった旧制第5高等学校)に進学、大学4年間は全て着物で過ごしました。そのとき「小倉の袴」をだいぶ探してみたのですが、ついに入手することはできませんでした。今日の展示で、明治期までは生産されていたものの、昭和期にはすでに希少なものになっていたことがわかりました。勉強になりました。
ちなみに、大学時代は久留米絣と仙台平の袴に落ち着きました。この仙台平は、質感はとてもいいのですが、古着屋で手に入れたものは劣化して縦に裂けやすいのが欠点で、裏から和紙をあてて糊付けしたりして修繕しましたが、結果的にかなりの数をはき潰してしまいました。袴のまま自転車に跨って、市内中駆け回ったりしていましたからね…。もしそのころも生産されていたならば、上下とも綿の丈夫な布地で、僕の過酷な普段着としての使い方にも耐えてくれたかもしれません。ただ、昔の白黒写真を見ると、だいたい小倉の袴はひだも取れてしまってゴワゴワになっていますよね。久留米絣も「綿というのは頑丈だが型崩れしやすい」というのがよくわかりました。
~以下、展示の解説文です~
小倉織(こくらおり)は江戸時代の初め頃から豊前小倉(こくら)の特産として作られていた綿織物で、徳川家康や細川忠興に関する記録にも小倉織の名をみることができます。当初は貴重品でしたが、徐々に袴や帯、冬の日常着として武士や庶民の間で愛用されるようになりました。
明治時代になると、手織りから機械織りへと変化し、書生の袴や制服に用いられるようになりましたが、昭和初期には衰退し、幻の織物とさえいわれるようになりました。
小倉織の特徴は、細い糸を2本から4本撚(よ)り合わせて作った「もろよりの糸」を使用し、たて糸の密度を高くすることで、丈夫な布にしている点です。現存する小倉織の多くは2本の糸を撚り合せた「双糸」を使用しています。この糸を作るには高い技術と労力が必要で、全国的にも珍しい技法です。
小倉の名産、徳川家康もお気に入り
丈夫で長持ち、人気の綿織物です。
武士のはかまは小倉織がいちばん。
あの徳川家康が鷹狩りの時に小倉織の羽織を来ていたそうです。
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