2018年3月29日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「寿調」

49回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(36)「寿調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

『三浦琴童譜』(正式には『三浦琴童先生著拍子、記号附 琴古流尺八本曲楽譜』)の1曲目を飾るのは「一二三鉢返寿調」です。これは、「一二三調」「鉢返」「寿調」の3曲が合わさった曲になります(正しくは、それに「竹翁先生入レコノ手」が加わる)。「一二三調」と「鉢返」は、曲の最後の旋律が共通しているので、「一二三調」の途中まで演奏した後に先に「鉢返」を吹き、最後に2曲の重複した終末部分を演奏するということのようです。これが所謂「一二三鉢返調」で、その「鉢返」の終わりの重複部分になる寸前に「寿調」を挿入したのが「一二三鉢返寿調」ということになるわけです。

文章で書くと、何が何だか判りにくくなってしまうのですが、要するに現行では「一二三鉢返調」という10分程度の2曲合体演奏が一般的になっているわけですが、『三浦琴童譜』においてはプラス「寿調」で、3曲合体の「一二三鉢返寿調」という譜面になっているわけです。しかし、実際には「一二三鉢返調」として演奏することが殆ど(というよりもほぼ全て)なので、「寿調」だけ取り出して「1曲」扱いすることが多いようです。

三浦琴童譜の注釈には「以下寿調又長調トモ云フ」とありますが、この「長調」という曲名は、『琴古手帳』の「当流尺八一道之事 十八条口伝」や「細川月翁文書」の『尺八曲目ケ条之書』に「一、長しらべをふく事」と出てきます。月翁文書の『尺八曲目ケ条之書』においては、付け紙に「初代琴古工夫して吹出す也 息気竹に和し候上ならでは何(いずれの)曲も吹かたし 何曲を吹とても前に是を吹て息気竹に和し其上にて曲を吹 為に設曲によりて吹仕廻の跡に入る音に伝あり」とあり、初代琴古が曲を演奏する前のウォーミングアップとして吹くように設定していたことが推測されます。この初代琴古の「長しらべ」と全く同一の曲なのかはわかりませんが、性質として「前吹」としての役割を持つ「調べ」であるならば、「一二三鉢返調」と統合されて伝わったとしても納得のいく由来の曲です。

私事ですが、お恥ずかしい話ながら、私自身関西での修行時代末期にお習いして以来、この「10分で」シリーズのために練習を開始するまでは一度たりとも吹いたことがありませんでした。しかし今回、練習の機会を得て吹いてみたところ意外(!?)だったのが、優雅な独特の旋律を持ち合わせた曲であり、一部雅楽を思わせる展開などもあったりして、なかなか侮れない、いい曲であったということです。「寿」という曲名も、こうした曲調によるものなのかもしれません。また、ここ数ヶ月「裏の曲」ばかりを吹いてきたため、久しぶりに「表の曲!」という雰囲気を味わいました。表の曲は「古伝三曲」「行草の手(竹盟社では「学行の手」)」「真の手」など、「いかにも琴古流本曲!!」な感じの形の整った楽曲が多いのに対し、裏の曲は「琴古流本曲の中でも特殊・突飛な曲」の割合が高く、特に最後の数曲は作曲時期が新しいこともあって、自分の中の演奏イメージがだいぶ表の曲から外れた状態にきていました。そこにこの「寿調」で、「おおっっっ!琴古流本曲本来の姿に戻ってきたぞ!」というような感動を味わったわけです。

現在では「琴古流本曲36曲」のトリを引き受けるこの「寿調」。地味なようでいて、実は旋律も美しく、さらに初代琴古以来の脈々と続く伝承を受け継いでいるこの楽曲を、「10分で」シリーズの最後に演奏公開させて頂けたことは、自分にとって新鮮な思い出として残りました。これからも、何か祝儀事での演奏機会があれば、ぜひこの「寿調」に活躍してもらおうかなと思っているこの頃です。なお、この曲も抜粋せず、「一二三鉢返寿調」のうちの「寿調」の部分だけを演奏して10分ちょっとに収まる楽曲です。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

【web演奏会】10分で琴古流本曲「月の曲」

48回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(35)「月の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

近代以降の琴古流の礎を築いた、2世荒木古童(竹翁)が作曲しました。以前から解説している通り、曙調子・雲井調子の移調が現行しない代わりに、琴古流本曲36曲にカウントされるようになった曲です。

この曲については、雑誌『三曲』の大正14年2月号に、三浦琴童が「荒木竹翁先生」という記事で言及していますので、ここに引用させていただきます。

「先生の作曲では現在も琴古流本曲として用ひてゐますが月の曲、之には呂のロから甲のハ迄昇る手がありますが、之は自然に昇せるので、之も月の昇つて行く形容を取入れたものでそこが此曲の骨子となるのです。
月に次いでは雪の曲、花の曲、も作曲の予定であつたとかで、花の曲に就ては先生の案になつてゐた手も聞かされた事があります。
雪は今戸へ引越してから裏の隅田川を見乍ら雪の情景を味つて会心の曲を仕揚げるのだと云つておられました。一局部の作はあつたのですが、終に完成を見なかつた事は誠に惜しい事です。
それでもかうして「月の曲」が残つておると云ふ事はせめてもの吾々の幸福だと思つております」

ちなみに『三浦琴童譜』の「月の曲」の注釈には、「此曲ハ荒木竹翁先生推敲中に歿せられしが、愛慕の意を表するため謹写せし者なり」とあります。

演奏してみますと、琴童師が解説されている「呂のロから甲のハまで昇る手」が実に印象的で、八寸管で壱越になる筒音が、第1オクターブから第3オクターブまで連続して吹き上がっていくような演出になっています。この手には譜面に注釈があり、「一と息ニテ呂ノロヨリ甲二ナシ五ノハノ呂ニナシ又甲ニナシ終リニ四ノハヲ一寸聞カセル」とあります。乙のロから甲に吹き上げ(第1オクターブから第2オクターブ)、そこから裏孔をあけて乙の五のハとし(甲のロと同音)、さらにそこから甲に上げる(第3オクターブ)というわけですね。しまいの部分は2、3孔をスって終わります。琴古流の「四のハ」は、1、4孔を閉じるようになっているので、注釈のような書き方になるのでしょう。

このスリの記述は、鹿の遠音の「竹翁先生替手(実際には現行の演奏は全てこの「替手」で演奏します)にもあります。「四のハ」は、「三のハ」と同じく近代に入ってから、外曲の必要性によって生み出された運指なわけですが、「月の曲」も、「鹿の遠音・竹翁先生替手」も、荒木竹翁が手付けしたわけですから、旋律自体が「近代の琴古流」へと移っていっているといえるでしょう。「月の曲」の終末には「ヒの中メリ」「レの中メリ」も出現し、あたかも外曲の後歌のような趣を感じます。

曲全体として、「琴古流本曲の代表的な手のオンパレード」というか、「ベストヒット集」とでもいう感じで印象的な手が連続して構成されており、非常に聴きやすいまとまりのよい楽曲となっています。ここでは抜粋せず全曲通していますが、15分以内に収まっています。曲の終わりは、殆どの琴古流本曲と同様「レロ」となっていますが、楽譜ではその横に細字で「或ハ、ハゝハレ」とあり、ひょっとしたら竹翁師が「最後まで迷っていた」のかもしれません。個人的には後者の方が自然な流れに感じますが、お習いしたのは「レロ」の方ですので、こちらで演奏しております。





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2018年3月25日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「砧巣籠」

47回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「砧巣籠」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

初代琴古・本名黒澤幸八は、若干19歳にして、長崎・正壽軒(当時は玖崎寺)にて虚無僧・一計より「古伝三曲」「鹿の遠音」「波間鈴慕」など7曲を伝承、さらに全国各地の尺八本曲を蒐集して「琴古流本曲」の基礎を整えたのみならず製管にもたくみで、一躍尺八の名手として一斉を風靡した人物でした。その子である幸右衛門も名人の誉れ高く、父の没後幸八の名と琴古の号を襲名、2代黒沢琴古として活躍しました。さらにその子である雅十郎も幸八の名と琴古の号を襲名、3代黒沢琴古として世に知られています。

3代琴古の大きな業績としては、これまでの本曲の紹介文で度々引用してきた「琴古手帳」という忘備録を残したこと(実際には父の2代琴古が書き綴ったものに3代琴古が書き足したようである)、久松風陽を始めとする優れた門人を輩出したこと、そして今回の演奏曲「砧巣籠」を作曲したことが挙げられると思います。

「砧巣籠」は、「碪巣籠」とも表記され、尺八本曲として有名な「鶴の巣籠(琴古流ではのちに「巣鶴鈴慕」)と同じく十二段構成となっています。曲名から察せられる通り「鶴の巣籠」を強く意識して(というよりもベースにして)、なおかつ「砧」の要素を取り入れたということになるかと思います。三曲の世界において「砧」といえば、「砧もの」「砧地」などの用語が思い当たりますが、これらは「チンリンチンリン」「ツルテンツルテン」といった定型的なリズムの繰り返しが特徴的な器楽的楽曲といえます。つまり「砧巣籠」は、尺八本曲の要素に外曲の要素を加味して成立した楽曲といえるのではないでしょうか。実際、琴古流本曲の中では例外的に、「レ」の連続音を外曲と同じ「4押し」(殆どの曲は「1打ち」)にて行うように指定されています。曲全体を通して似たリズムの繰り返しや、同音の連続音が多用されています。

さらに、この曲によく現れる印象深いリズムが、いわゆる「三・三・七拍子」の音型です。「三・三・七拍子」といえば「応援団」の代表的なリズムパターンですが、これが江戸時代から脈々と日本人に受け継がれてきた伝統的な音型ということが、ここでも立証できるのではないでしょうか。そういえば、本曲でもよく用いられる「打ち詰め」(同じ音を、最初は間隔をあけて、だんだん早くしていく技法)のリズムも、応援団の演出としてよく用いられますね。

この「砧巣籠」は、「琴古流本曲36曲」が成立した頃から「裏の曲のラスト」を飾る1曲であったようで(近代以前はその後に「秘曲・呼返鹿遠音」が構えていた)、文献に残るエピソードにも「最後に習った」とか「この曲だけ残った」などの話が見られる所からも「琴古流本曲の中でも特別な存在」として、歴代大切に取り扱われてきたことが感じられます。師匠・吉村蒿盟師と初めてお会いした際「琴古流本曲の中で一番難しい曲は砧巣籠や」と語っておられたのが心に残っています。「知名度」では「巣鶴鈴慕」の方が上ですが、琴古流のみに伝わるこの特別な一曲を、これからも大切に吹き続けていきたいと決心しております。技術的な難易度も高く、スケールの大きいこの曲を充分に表現するのは大変難しいことですが、「現時点での自分の演奏」として、この場に記録させていただき、今後も精進を重ねたいと思います。





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2018年3月22日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「厂音柱の曲」

46回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「厂音柱の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

今回は、「芦の調」「厂音柱の曲」の二曲同時公開です。

「芦の調」「厂音柱の曲」は、ともに3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹として扱われたものであり、元々の「琴古流本曲36曲」には数えられていなかったものでありますが、曙調子・雲井調子の移調曲8曲が実際には演奏されなくなったことから、現在は独立した1曲に数えられております。「琴古手帳」の冒頭にある「当流尺八曲目録」に、「碪巣籠、前吹蘆調、同柱曲」とありますが、3世琴古以前に記録されたと思われる「当流尺八曲目」には「砧巣籠」が含まれておらず、当時は琴古流本曲は「表18曲、裏17曲の計35曲」だったことが分かります。「36曲」が成立したのは3世琴古の代になってからということになり、前吹である「芦の調」「厂音柱の曲」も、琴古流本曲成立当初にはなかった、比較的新しい曲と言えるでしょう。

なお、値賀笋童師著『伝統古典尺八覚え書』によると、「厂音柱の曲」は3代目琴古の門人であり、「琴古流中興の祖」とも呼ばれる久松風陽の作曲ということです。他の楽曲にはあまり見られない、雅楽のような手が出てくるなど、全体に流麗な雰囲気を感じます。なお、「厂音柱(ことぢ)」とは、箏の調弦の際に移動させる「琴柱」のことであり、昔から雁がねの群れに見立てる美意識があったようです。琴柱のフォルムそのものも、雁が羽を広げ長い首を前に出して飛ぶ姿を彷彿とさせますし、箏の調弦では、一の糸の柱の場所が高い位置にあり、二から下がって三、四と上がっていく形も、群れの並びと似ていますよね。山田流箏曲「岡康砧」にも、「月の前の砧は、夜寒を告ぐる雲井の雁は琴柱にうつして面白や」とあります。当て字もとても面白いですね。「雁音柱」と、最初の文字をがんだれに省略しない書き方もあります。



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【web演奏会】10分で琴古流本曲「芦の調」

45回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(33)「芦の調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

今回は、「芦の調」「厂音柱の曲」の二曲同時公開です。

この「芦の調」と、「厂音柱の曲」は、ともに3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹として扱われたものであり、元々の「琴古流本曲36曲」には数えられていなかったものでありますが、曙調子・雲井調子の移調曲8曲が実際には演奏されなくなったことから、現在は独立した1曲に数えられております。「琴古手帳」の冒頭にある「当流尺八曲目録」に、「碪巣籠、前吹蘆調、同柱曲」とありますが、3世琴古以前に記録されたと思われる「当流尺八曲目」には「砧巣籠」が含まれておらず、当時は琴古流本曲は「表18曲、裏17曲の計35曲」だったことが分かります。「36曲」が成立したのは3世琴古の代になってからということになり、前吹である「芦の調」「厂音柱の曲」も、琴古流本曲成立当初にはなかった、比較的新しい曲と言えるでしょう。

なお、値賀笋童師著『伝統古典尺八覚え書』によると、「芦の調」は2代目琴古の門人、薩摩藩主島津公次男の蘆月公の作曲とあります。出典は不明ですが、もしそれが事実であれば、「鳳将雛」作曲者の細川月翁と並んで興味深い話ですね。三浦琴童譜ではたった2行の譜面でありますが、他の曲にない独特の旋律で格調高く、印象深い1曲であるように思います。



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2018年3月18日日曜日

「10分で琴古流本曲シリーズ」の収録を終えて

本日、「砧巣籠」「月の曲」「寿調」の3曲を収録し、「10分で琴古流本曲シリーズ」の全ての撮影が終わりました。

当初は「月に一曲ずつ」ということで、実際にひと月ずつ練習しては撮影を繰り返していたのですが、今年度6年担任となったため激務によりそのような余裕がなくなり、たまに撮影できそうな休日が来たら2〜3曲まとめて撮るという方法に転じてしまいました(だいたい裏の曲くらいから)。前回は1月に「鳳将雛」「曙調」「曙菅垣」「芦の調」「厂音柱の曲」を撮影したわけですが、それからはもうとにかくバタバタでした…。

…とにかくも、何とか琴古流本曲全曲を演奏し終えて、ホッとしております。

未公開の5曲は、これから解説を書いたりしますので、もう少ししてからこの春のうちに公開予定です。そして、この「10分で…」シリーズの終了に伴って、しばらく定期的なweb演奏会はいったん幕を閉じたいと考えています。

この3年間、今の家の座敷で演奏できる環境を手に入れて以来、演奏の動画公開、Facebook等により、沢山の方とお知り合いになり、自分の演奏を聴いて頂いたり、「web上で共演」などもさせて頂いたりしました。また、そこから発展して「而今の会」の結成および演奏会という、とても貴重な体験をさせて頂きました。今も、沢山のお仲間とFacebook上で三曲談議などさせて頂いたりして、とても楽しませて頂いております。

しかし、そろそろ自分も次のステップに移らなければとも、最近考えております。それはやはり「実演」。しかも、自分としての命題は「邦楽をより自然な形で、誰もが楽しめるような音楽にしていきたい」ということです。昨今、邦楽界も「人口減」「入門者減」に喘いでいるのですが、そうは言っても旧態依然とした体制を捨てきれず、純粋に「音楽を楽しむ」だけではない色々な要素が付いたままになってしまっています。それらが、音楽的価値の高い三曲の名曲たちの素晴らしさを、沢山の人々に楽しんでもらうチャンスをフイにしているとしたら、極めて勿体無いことですし、実際一人でも多くの人に関心を持ってもらって始めてもらいたいはずなのに、それに逆行する結果となってしまっている可能性があるわけです。

僕自身は、邦楽は日本の「民族音楽」として、その自然素材の響きや、日本の民族性や四季折々の風景が生み出して来た楽曲を素直に味わい楽しめるような環境を作っていきたいというのが願いだし目標です。これまでの「web演奏会」は、もちろんそうした活動の一環だったわけですが、ここで一旦一区切りします。「もうやらない」という訳ではないですし、気が向いたらまた何か演奏を上げたりとかするかもしれませんが。

「ねえ、一緒に合奏してみない?」という方、大歓迎です。もう邦楽も、型式ばらずに、どんどんフランクリーにやってかないと、どんどん廃れるばかりのような気もしますけんですね。

2018年3月17日土曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「曙菅垣」

第44回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(31)「曙菅垣」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

前回の「曙調」の解説でも述べましたように、この「曙菅垣」も、黒沢琴古による琴古流本曲成立当初からの楽曲ではなく、曙調子・雲井調子へ移調された計8曲が事実上演奏されない現行の琴古流本曲を「36曲」にするために、近代以降になってカウントされ始めた楽曲となります。

「琴古手帳」にある「曙菅垣」は、「転菅垣」を曙調子に移調したものであるのに対し、現行の「曙菅垣」は、奥州の千歳市(ちとせのいち)という盲人が作曲し、荒木竹翁が16、7歳の頃に江戸で流行したものだということです。「〇〇菅垣」という楽曲名は、「六段」など糸の曲との歴史的な繋がりが深く、拍子が比較的ハッキリしているというのは何度か述べましたが、この曲はそうした傾向がとても強いように思います。楽譜の雰囲気も他の本曲(「〇〇菅垣」を含めて)とは違って、細かい拍子の補線や連続音、ひと繋がりのフレーズに沢山の音符が並ぶなど、さながら外曲の譜面を眺めているような気持ちになります。殆どの琴古流本曲は、「レ」の連続音は1孔で当たるのですが、この曲は外曲と同じ4孔で当たります。なにより旋律そのものが、まるで糸の楽曲のようにメロディアスなものとなっています。

曲は大きく前半と後半に分かれ、前半部の最後に一度速さが緩み、再び冒頭の旋律が再開されて後半部が始まっています。元々同じ旋律の繰り返しが多く、前半部に装飾的な旋律や替手、高音部へと移る展開を追加して後半部を作曲しているような雰囲気です。全曲演奏しても「10分程度」にはなりますが、現代人の耳にはあまりにも冗長に過ぎるような嫌いもあって、後半部のみの演奏としています。なお、琴古流各派毎に替手の手付けがされていることも多いようで、社中の演奏会などでは総員による本手・替手の大合奏を会の冒頭や中盤などに設定しているパターンをよく見かける曲でもあります。


※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2018年3月6日火曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「曙調」

第43回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(30)「曙調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

この「10分で琴古流本曲」シリーズも、ついに全36曲中「30曲目」に入ってまいりました。

さて、この曲名「曙調」とは、「曙調子」の「一二三鉢返調」であることを意味しています。
「曙調子(あけぼのちょうし)」とは、尺八における「本調子(レ調)に対して完全5度高い(ロ調)調子への移調を指します。ちなみに、完全4度移調したもの(リ調)は「雲井調子(くもいちょうし)」と呼びます。

これらの移調は、初代黒沢琴古の頃に盛んに行われていたようで、1尺8寸管にて本調子で演奏した時、1尺3寸で曙調子を、また2尺3寸で雲井調子を吹くとピッタリ合うとされています。長さの違う尺八で、同じ曲を合奏しようとしたわけですね。しかし、同じ長さの尺八で本調子、曙調子、雲井調子と吹き比べれば、それぞれが完全5度、完全4度の移調となるわけです。

初代琴古は、こうした移調を利用して、霧海ヂ鈴慕、虚空鈴慕、転菅垣、栄獅子の4曲を、それぞれ曙調子(曙鈴慕、曙虚空、曙菅垣、曙獅子)、雲井調子(雲井鈴慕、雲井虚空、雲井菅垣、雲井獅子)に移調し、それら8曲を琴古流本曲・裏18曲の中にカウントしたわけです。しかし、現実にはそれらの移調曲はほとんど現行されていません。現在はその代わりとして、一二三鉢返調を曙調子に移調したこの「曙調」、江戸時代末期に千歳市が作曲し、江戸で流行させたという「曙菅垣」、3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹であった「芦の調」「厂音柱の曲」、荒木竹翁作曲の「月の曲」、「一二三鉢返寿調」から独立させた「寿調」を「1曲」と数えております。足りない2曲は「表の曲」に「一二三鉢返調」と「一閑流虚空替手」を足すことで、「合計36曲」にしているわけです。

つまり、ほとんど現行されない、かつての移調の習慣の「なごり」のような感覚で、一二三鉢返調を曙調子に移調したこの「曙調」が存在しているのだと言えるのかもしれません。尺八の「曙調子」は、三絃の「二上り」と似ていて、実際に尺八の「曙調子」のことを「二上り」とも呼んだりします。また、「六段の調」をレ=1からロ=1に上げた譜面の題簽にも「曙六段」と記されています。これも三絃は二上りですよね。本調子に比べて華やかで甲高い感じがします。

逆に「雲井調子」は「三下り」とも呼ばれています。こちらは曙調子の華やかさとは対照的に、少しくぐもったような「陰」の印象が強いです。一二三鉢返調も六段も、「雲井調子」への移調は演奏されているものを聴いたことがありませんので、実際にはほとんど現行していないのでしょう。昔の雑誌『三曲』の裏表紙に、付録のようにして「雲井六段」の譜面が印刷されているものだけ確認できました。
やはり「移調」というものは、曲の印象を大きく左右する上に、「独立した1曲」とは見なされにくいものなのでしょうね。

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