2013年12月31日火曜日

「ドキュメンタリー同期生」


NHK「ドキュメンタリー同期生」 - 俺たちは歌い続ける〜福岡ライブハウス“照和”73年組 -という番組を偶然視聴しました。

福岡・博多の「照和」というライブハウスは、井上陽水、海援隊やチューリップなど、日本を代表するミュージシャンを輩出した場所。しかし、そうしたミュージシャンが世に出る一方、才能を持ちプロを目指しながらも夢を諦めたり、別の道に進んだりした人々がいました。そうした人々のその後の人生にスポットを当てた番組でした。ある人はアマチュアとして音楽を続け、ある人は妻子を養うために音楽を諦めてがむしゃらに働き、でも心は決して音楽を離れてはいないという…。彼らは退職の時期を迎え、また「照和」に集ってライブを行い、第二の人生を歩み始めていました。

私も専業尺八家の道からは遠ざかり、就職し妻子を養い、同年代のプロの活躍を羨んでいる面もありますが、この番組を見て勇気づけられました。今日は大晦日。明日から新年です。この日にこの番組に出会ったのはきっと何かの縁。来年も前向きに活動して行きたいと決心致しました。では、皆様、良いお年を。

2013年12月30日月曜日

NHK FM 初春の調べ

もうすぐ年明けですね。
年始は、一年間の中で、最も邦楽番組が充実するシーズン。ラジオでは、NHK「初春の調べ」が放送されますね。最近はネットラジオで放送されるので、ノイズなく録音しやすくなりました。

以下、詳細です。


1/1(水)〜3(金)7:20〜8:00am

新春を寿ぎ箏曲の重鎮たちによる演奏を三日間にわたりお送りする。一日目は生田流箏曲、二日目は山田流箏曲、三日目は大阪・名古屋で活躍する演者による演奏をお楽しみ頂く。
 一日目「尾上の松」後藤すみ子、「五段砧」野坂操壽 ほか、
 二日目「住吉」高野和之、「竹生島」萩岡松韻 ほか、
 三日目「扇づくし」菊津木昭、「うてや鼓」中島警子、「梅の宿」今井勉、「御代の祝」谷澤千早 ほか。
案内は秋鹿真人アナウンサー。

2013年12月22日日曜日

ピンク・クラウン

昨晩、中洲川端のキャナルシティに行くと、トヨタのCMでおなじみの「ピンク・クラウン」が展示してありました。本物と出会ったのは、これが初めてです。


テレビで見るよりも、ピンク色が綺麗で、独特の存在感がありました。どぎつい感じではなく、上質な大人の色といった感じです。古い例えですが、サンダーバードの「ペネロープ号」を髣髴とさせました。


他にも、キャナルではイルミネーションと噴水のショーがあり、大変きらびやかなクリスマスシーズンを演出していました。久しぶりに都会的な空気を味わいました。

2013年12月15日日曜日

柿のシーズンが終わりました

柿畑は、もう一つも実を付けていません。耳納連山のふもとは、冬景色に移行しつつあります。

道の駅にはまだ柿が出回っていますが、在庫が出払うと、もうシーズンオフでしょうね。

2013年11月30日土曜日

吉井のハゼ並木

うきは市吉井町には、「ハゼ並木」というのがあります。

ハゼの木の実を轢くと、ロウの原料となるため、久留米藩が領内で栽培させていたそうです。そうした木々が、今では「ハゼ並木」として、秋のこのシーズンの観光名所となっています(うきは市吉井町、久留米市山本町など)。ハゼといえば、「樹液に触れたり、葉に触ったりするとかぶれる」というイメージが強いですが(ウルシの木の仲間です)、確かに紅葉して赤く色付くと、あのシュッとした葉が美しく染まりますね。

吉井町のハゼ並木は、夜はライトアップされていて、とても綺麗でした。

地元の方が作られたとみえる、竹の灯篭も、温かみのある光を発していました。

柿狩り

久留米市田主丸町の農園で、柿狩りを体験してきました。

耳納連山の山麓にある果樹園では、熟した柿が鈴なりになっていました。晴れ渡った空の青と柿の色との対比が美しかったです。


「フルーツ狩り」というのを初めてやり始めたのは、田主丸の農園なのだそうです。田主丸は植木発祥の地でもあり、苗木を育てたり接木をしたりする技術が高かったため、戦後果樹の栽培に成功し、巨峰や柿の名産地となったそうです。しかも、当時最先端のテレビというメディアを積極的に利用、「観光農園」「フルーツ狩り」といった斬新なアイデアで一気に人気に火がつき、観光バスの長蛇の列ができるようになったそうです。

柿を実際につんでみるのは、思いの外楽しかったです。あと一週間がシーズンなのだそうです。

2013年11月27日水曜日

紅葉

色鮮やかで、美しいです。

イチョウはまっ黄色!!


もみじはまっ赤!!

ボイスメモの欠陥が解消

10/13の記事に載せた、二つ目からの録音がエラーになる欠陥が、解決したようです。iOS7.04では、続けて録音しても大丈夫でした。よかったです。


しかも、欠陥②は、自分の勘違いだったようで、左上にある「編集」ボタンを押せば、ドンドン削除できることもわかりました。お騒がせしました。

心置きなくボイスメモが使えるようになって、よかったです。

2013年11月22日金曜日

iOS7のボイスメモの欠陥2

たまりに溜まった録音を一括して消去することができなくなってしまいました。

一覧から複数のファイルを選択できないので、一つずつ消去しました。



耳納連山の稜線

朝焼けの赤とのコントラストが美しいです。

冬の朝という感じですね。ほのかな暖かみを感じます。

2013年11月18日月曜日

ホームページ更新

先日話題に上げた「林棲軒」のレポートを、ホームページにアップしました。

ホームページの更新自体が久しぶりになってしまいました。文字化けしたりと悪戦苦闘でしたが、何とかなりました。どうぞご覧ください。

2013年11月15日金曜日

吉村蒿盟先生の演奏会

直前ですが、明日、吉村蒿盟先生の演奏会が開催されますので、ご案内させて頂きます。

藤村博己•吉村蒿盟による「和の響き」
山田流箏曲•琴古流尺八演奏会

時…11/16(土)午後2時開演
所…神戸芸術センター、シューマンホール

詳しくは、吉村蒿盟先生のブログをご覧ください。残念ながら、私は会に伺うことができませんが、ご盛会をお祈りしております。

また鹿の声を聞きました。

退勤時に、山から「ギャ⤴︎ー⤵︎ン」という声が2回聞こえてきました。おそらく鹿の声だと思います。地元の方によれば、鳴き声は一つではなく、何種類かあるとのこと。今回の音は、地塗り管の二四五のハのように締まった音でした。

2013年11月13日水曜日

虚無僧寺「林棲軒」跡が見つかりました!

塚本虚堂師の『古典尺八及び三曲に関する小論集』の中の一項に、「久留米「林棲軒」の遺跡発見」というのがあります。身近な名所ほど意外に後回しとなり中々訪れない事が多いもの。学生時代から読んでいた本でしたが、実際に行って見ることもせず、そんな記事があったことも忘れておりました。最近、吉村蒿盟師匠からの紹介がきっかけで、これは一つ調べてみようという気になり、本日、本業の最中に郷土史家の方とお会いする機会があったので、その場所を教えていただきました。

場所は、うきは市(旧浮羽郡)吉井町宮田の国道210号線バイパス沿いで、久留米市方面から見ると「千年小東」信号から約100mほど大分よりの左手に「塚堂(つかんどう)古墳」という前方後円墳があり、その国道を挟んで向かい側にある、コンクリート塀で囲まれた墓地の一角でした。塚本師の論文によれば、林棲軒の住職の末裔の方が大分におられ、この墓地はその方の一族の墓所であるとのこと。林棲軒は一月寺の末寺であり、この場所は久留米市の故木下吟鈴氏(川瀬師直門、木下楽器経営)が探し当てられたそうです。昭和34年の記事なので、その後どうなっているかと思いましたが、本に載っている写真のままの状態でした。

取り急ぎの報告ですが、そのうち詳細をHPの方に掲載したいと思います。

↑お墓の写真を載せてしまっていいのか迷ったのですが…。結局載せてしまいました。

2013年11月12日火曜日

一番星

群青色の空にいわし雲。そして一番星です。

印象的な雲

美しい夕焼けです。

筑後川の川霧

急に寒くなり、川霧が発生していました。寒々とした空に、朝焼けが眩しいです。心温まりますね。

2013年11月9日土曜日

カラスの空中戦!?

おかげさまで、だいぶ喘息の発作もおさまり、健康を取り戻しつつあります。人前で喋るとすぐに咳き込む割りには、尺八を吹いても殆ど影響がなかったのが妙な現象でした。健康のありがたさ、大切さを改めて痛感した2週間でした。

さて、昨日の退勤時に面白いものを見ました。朝倉市とうきは市の間の筑後川の上空で、大量のカラスが乱舞していました。

最近、冬が近づき、雁の群れがやってきたりするなど鳥をよく見かけますが、多くの場合は集団で規則正しく群れて飛んでいます。しかし、今回目にしたカラスたちは、まるで戦闘機の空中戦のように入り乱れてもみあうように飛んでいたのです。しかもかなりの数でした。何とも不思議な光景でした。上空で乱気流でも発生していたのでしょうか。

2013年10月26日土曜日

ぜんそくになってしまいました…

先週風邪を引いてから、ずっとひどい咳が止まらないので、昨日の退勤時に病院で診察してもらった所、「喘息」との診断が出てしまいました。

現在、病院で点滴•吸入中です。昨日頂いたお薬を飲んで、いくらか調子が良くなってきました。尺八は吹けるようになったので、一安心です。ひどい時は音が痩せて、時々咳き込んでしまってましたが、今朝の稽古では、秋田菅垣、黒髪、鹿の遠音の三曲を、しっかりとした音で吹くことができました。

お医者さんによると、大人になって風邪から喘息に移行するケースもあるとのことです。血液検査もしましたが、特に結果は異常なしでした。しばらく治療の日々が続きそうです。尺八はちやんと吹けるので、気持ちは前向きです。

2013年10月23日水曜日

本物の「鹿の遠音」を聞いた!

琴古流本曲「鹿の遠音」は、36曲中でも特に有名曲で、演奏もよく聴く機会を得ますが、これまで一度も鹿が実際に鳴くのを聞いたことがありませんでした。

秋になると、鹿は発情期を迎え、牡鹿が雌鹿を呼び求める時に「ギャーン」という雄叫びを上げるのだそうです。本曲の「鹿の遠音」の解説では、「夫婦がお互いを呼び合う様を表現するので、二管の掛け合いになっている」とされることがありますが、実際に鳴くのは雄だけのようです。古来、「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」の歌に代表されるように、日本人の秋の風物詩の一つとでも言えるようなものだったのでしょう。

しかし現在、特に都市部では中々これを耳にすることが出来ません。値賀笋童師『伝統古典尺八覚え書』にも、都会育ちの三世古童が、わざわざ奈良公園へ鹿の鳴き声を聞きに行くエピソードが描かれています。鹿の鳴き声には、近音、中音、遠音の3種類があり、近音は日常的に餌を求めたり仲間を呼んだりする声で子豚の鳴き声に似ているとのこと。中音は、上記の発情期の雄叫びで、遠音とは、その中音が、遠くから余韻のように響いてくるものだそうです。三世古童は、その「中音」をたっぷり聞いてしまったようで、「鹿の遠音は豪快で威厳があり、尺八曲の甲高い高音部は谷間を渡る風の音だろう」との談話を残しているそうです(『伝統古典尺八覚え書』)。


私事ですが、現在たまたま大分との県境にあたる山間部に勤務しており、「秋には鹿の鳴き声が聞こえる」との地元の方のお話に胸を膨らませておりました。そして、つい昨日、とうとうそれを耳にすることができました。昼を過ぎて3時ごろ、外から職場の建物の中に、「ヒーーン⤵︎」という、尺八の二四五のハのような高さの鳴き声が聞こえて来ました。地元の方が「これだ」とおっしゃったので、間違いはないと思います。現代の地管の締まった音色よりは、地無し管やケーナのような、やや開き気味の音色に近いと思いました。夜にばかり鳴くものと勝手に思っておりましたが、今回、朝や昼間に鳴くこともあるのだということも分かりました(盛んに鳴くのは夜九時を過ぎてのようですが)。三世古童の考えとは違い、やはり鹿の鳴き声の描写は「二四五のハ〜四五のハ」のところだと思います。本当に貴重な体験ができました。早速今朝は「鹿の遠音」を稽古して見たいと思います。

2013年10月13日日曜日

iOS7ボイスメモの欠陥

…昨日の話題から一転…

残念なことに、時々エラーが発生して、録れていないことがあります(新規録音が0:00で止まってしまう)。これまでは百発百中でエラーなどなかったのに…。続けて録音すると、二回目がエラーが起こりやすいようなので、一回とるごとにアプリを終了して起動し直しています。

2013年10月12日土曜日

iOS7

中々踏み切れずにいた、iOSのアップデートをついに行いました。

一番ありがたいのが、「ボイスメモ」の録音ファイルに名前を付けられるようになったことです。毎日の練習を録音して聴き返して反省しているので、ボイスメモがあっという間に溜まってしまいます。これからはデータの整理が楽になりそうです。

2013年9月23日月曜日

お彼岸

今日は秋分の日、日差しは強いですがもう完全に秋ですね。心地よい青空と秋風の中、虚空鈴慕を吹いて来ました。吹き方が変わって、歌口が風に多少煽られても、殆ど影響なく音を出し続けられるようになりました。

帰りがけに、郵便局の前の朝顔が目に止まりました。大変美しい青色でした。

2013年9月22日日曜日

秋の虚空鈴慕

久松風陽の『独問答』を読んで、ふと「虚空鈴慕」を吹きたくなったので、久しぶりに朝練で虚空鈴慕を吹きました。

去年の夏は、スカッと晴れた夏空のもとで練習に励んだのですが、今年はなぜか夏には全く吹く気が起こりませんでした。色々と気持ちの面で葛藤があったから、古伝三曲の境地を味わえなかったのでしょう。九月になって、尺八の吹き方の迷いが取れ、20分を超える大曲も、リラックスして味わいながら演奏できるようになって来ました。

古伝三曲の中で、「名曲」はもちろん「真虚霊」でしょうが、個人的に最も気に入っているのは「虚空鈴慕」です。曲の組み立てが工夫されていて、全部で「四段」のうち「二段」と「四段」(譜面にそう書いてはないのですが、勝手にそう呼んでいます)が段合わせできる上に、初段(虚空の雄大な風景・起)二段(引き続いて、乙音中心の落ち着いた流れ・承)三段(高音の緊張感・転)四段(メロディアスな終末・結)と、構成が整っているのです。旋律も格別に美しいと思います。

曲が整っているためでしょうか、一年ぶりに吹きましたが、暗譜で通せました。あとの二曲は、覚え直さないと暗譜はむつかしいと思います。特に、「霧海ヂ鈴慕」は、混沌としてカオスなので、中々大変です。

空は雲が出ていて「爽やかな秋晴れ」とまでは言えませんでしたが、非常に充実した二十数分間を過ごすことができました。

2013年9月21日土曜日

久留米焼き鳥フェスタ

今日と明日、「久留米焼き鳥日本一フェスタ」が、久留米市東町公園で開催されています。

久留米はB級グルメで有名な街で、久留米ラーメン、うどん、餃子…など色々ありますが、焼き鳥は中でも取り分け有名でしょう。本日、早速行って見ましたが、沢山の屋台が軒をつらね、もくもくと煙が上がり、人気店には長蛇の列が並んでいました。ステージにはダンスのグループが次から次へと踊っていて、筑後の酒蔵からも出店があり、お祭のように盛り上がっていました。

ただ、難はこのしゃく熱の秋晴れで、本当に暑い一日でした。色んな店を食べ比べするのにはとても良い機会でしたが、落ち着いて焼き立てを食べるにはやはり店内の方がいいでしょうね。


2013年9月19日木曜日

中秋の名月

♪月の前の、砧は〜〜♫

本日は旧暦8月15日、中秋の名月ですね。
さやけき月影に、心が清々しい気持ちになりました。大変明るい月夜です。



2013年9月12日木曜日

エルサルバドル•モンテシオン復活

こないだの日曜日にあだち珈琲に行くと、ついにあのモンテシオンが入荷となっていました。

色々なコーヒーを試しましたが、やっぱりこれが一番シックリ来ます。店主の安達さんから、「エルサルバドルは酸味が少ないからね」と言われました。この店でコーヒーの酸味の美味しさを始めて味わいましたが、モンテシオンの酸味の度合いが自分にとってはちょうどいいのかも知れません。朝のコーヒーが充実すると、心が豊かになります。

2013年9月7日土曜日

洋画家・彭城貞徳は、吉田一調門人・彭城逸調

7月28日に、石橋美術館の「洋画家たちの明治」という展覧会に行った話を載せましたが、その日以来、気になっていたことが本日氷解しましたので、ご報告致します。

あの「鮭図」で有名な高橋由一の門人・彭城貞徳の「静物」という作品。
この解説に気になる一文が。
「尺八の腕はプロ級」

「彭城(さかき)」で尺八とくれば、思い出すのが吉田一調門人の彭城逸調(さかきいっちょう)です。しかし、その日以来の猛暑の影響で、エアコンレスの書斎で調べる気も起こらず、確かめずに放ったらかしになっていました。

一ヶ月半が経過した本日、調べ物で『尺八史考』をめくっていたところ、やはり吉田一調の門人に「逸調・彭城貞徳」の文字が!そこで、ネットで調べてみると…

さかき-ていとく【彭城貞徳】
1858-1939 明治-昭和時代前期の洋画家。
安政5年2月11日生まれ。肥前長崎の人。高橋由一(ゆいち)の天絵社でまなぶ。石版会社玄々堂などにつとめたのち帰郷。明治26-33年アメリカ,ヨーロッパに遊学,イギリスでは図案家としてはたらく。帰国後,鎮西学院などでおしえ,画塾をひらいた。昭和14年1月4日死去。82歳。工部美術学校中退。本名は森元貞徳。作品に「和洋合奏之図」など。
(コトバンクより)


彭城貞徳(1858~1939)は長崎生まれの日本近代洋画の先駆けである。
安政五年唐通事の名門に生をうけ、17歳の頃高橋由一の天絵楼に入門し油絵を学び、その後工部美術学校画学科で19世紀イタリア アカデミズムの洗礼を受けた。日本橋の亥々堂に職を得、美校を中退するも、明治26年シカゴ万博出品代表として渡米。英仏を回り、明治33年に帰国後、神戸、長崎で制作と美術教育に専念した。
生存中の昭和7年日動画廊で遺作展が開かれたのは、情報の少なかった当時、その実力は中央でも注目された存在であった証であろう。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1117728/1139685/48129870

…と、尺八に関する話題はないものの、長崎出身で高橋由一に師事ののち洋行し、帰朝の後制作と後進の指導に尽力したことが読み取れます。

因みに、作品「和洋合奏之図」には、ちゃんと尺八が描かれています。


(追記)彭城逸調は、「一調」を継いで二代目となったようです(値賀笋童・『伝統古典尺八覚え書』より)

また、『三曲』昭和7年9月号に、中塚竹禅が「彭城貞徳翁の事」という記事を載せているようですが、残念ながら『三曲』を手放してしまっているので、また機会を見て調べたいと思います。

2013年8月22日木曜日

季節は既に初秋哉

昨晩は、久しぶりに久留米にまとまった雨が降りました。干からびた地面にあっという間に吸われて行ったようです。

さて、気温だけはうだるほど暑いままですが、太陽光線の加減は、着実に秋へと向かっているようですね。初夏のギラギラとした高い処から青白い光を容赦無く刺して来る感じから一転して、オレンジの柔らかめの光が、浅い角度からさしてくる感じに変わって来ました。もうすぐ実りの秋ですね。

通勤路の河川敷は、家畜の飼料用に短く刈り取られ、堤防には赤とんぼが舞い、根元だけになった短い草むらをキジが歩き回っていました。夏は終わりを迎えたようです。

2013年8月21日水曜日

夏の読書感想文

盆明けから、眼精疲労から来たと思われる肩こりに悩まされております。大学卒業からこのかた、活字離れが甚だしかったので、無理もないのかもしれません。


夏の間に読んだ本は、夏目漱石の「草枕」と、「道草」です。

「草枕」は、俳諧的趣向の画家が、熊本の温泉宿にとどまって、「非人情」の境地を模索するような話でしたが、琴古流本曲もまた、この「非人情」の芸術に相当するのではないかと感じました。

「道草」は、漱石の私小説で、かつての養父母との関係を中心に描いた作品ですが、私はむしろ、妻との関係について深く考えさせられました。

漱石とその妻鏡子との関係を題材にしたこの小説の夫婦は、感謝や詫びの言葉をかけあわないところから互いにすれ違ったり、お互いに攻撃しあったりして、満たされない思いを膨らませている面がある一方、ここぞの時は妻が夫を慈悲深くすくいあげたりと、お互いになくてはならない存在でもあるように感じました。自分は、やはり夫婦と言えど、ありがたい時はありがとうといい、申し訳ないときはごめんといい、お互い素直な気持ちをしっかり伝え合うのが大切だと思いましたし、これから自分自身も実行して行きたいと強く思いました。

そして、そういう心持ちで「鹿の遠音」を吹くと、これがまたうまく行くのです。夫婦の情愛を描いたというこの曲は、ともすれば大きなムライキやら、迫力やら、フレーズの誇示に終始してしまいがちなのですが、そして、私自身にも少なからずそういう面があったのですが、上記のような心持ちを大切に、これからも修練を積んで行きたいと思いました。


2013年8月14日水曜日

田んぼで…

田んぼの様子がおかしいです。子どものイタズラでしょうか?


近づいてみると…


クモの巣でした!!

2013年8月6日火曜日

千年放水路で

久しぶりに千年放水路で練習しました。平成ビューホテル側の朝日が眩しいです。

こちらの方が、開けていて、大きな気持ちになれますね。当分こちらに通うつもりです。



2013年8月4日日曜日

雨の日のつれづれに

うきは市の人気の飲食店にくると、12時前から長蛇の列。しとしと雨の音を聞きながら、考えました。


敬愛する自動車ライター清水草一氏のブログ、「カネじゃない、センスだ」(http://www.shimizusouichi.com/blog/archives/003460.html)の一文。


私は思いました。「バブル期をうらやむ必要はもうないんだ」と。

 現在の日本の趣味の良さや食事のうまさ、センスで勝負できる総合力は、バブル期よりもはるかに高まっております。
 ここに景気回復が加われば、無敵ではないでしょうか!?

バブル期に比べて、我々のモノを見る目は、確かに豊かになって来ているのではないでしょうか?コーヒーひとつとっても、昔の「ブルーマウンテン」というネームバリューにかしこまるという感じから、「本当に質の良い豆」を正しく評価する世の中になって来ていると思います。あだちコーヒーのエルサルバドルなどは、その良い例ではないでしょうか。




今はなかなか盛り上がりに欠ける、地歌箏曲の三曲合奏や、琴古流本曲なども、ホンモノの芸を追求していれば、きっとその素晴らしさを分かってくれる人が現れる!そう強く感じました。



2013年7月30日火曜日

久しぶりにエルサルバドル

こないだの日曜日、あだちコーヒーに行きました。

お目当てのエルサルバドル•モンテシオンは未入荷でしたが、COE(カップ•オブ•エクセレンス)受賞の「エルサルバドル•ラ•ラグナ」があり、ちょっと高めでしたが買って見ました。

味はスッキリ、香りが爽やかで、素晴らしいコーヒーでした。モンテシオンも酸味が爽やかなコーヒーなのですが、一味違った透明感があり、美味しいです。やはり、エルサルバドルのコーヒーは美味しいです。


2013年7月28日日曜日

石橋美術館「洋画家たちの明治」

昨日、石橋美術館で、「洋画家たちの明治」という展覧会があっていたので、見に行きました。有名な高橋由一の「鮭図」が展示されていました。


この絵の背景は、板目になっていますが、なんと、本当の板に直接油絵が描いてありました。他の作品も、幾つか板に描いてあるものもありました。明治の日本洋画の創成期は、画材がまだ固定していなかったのでしょうか。

明治の洋画は、洋画の写実性に魅せられ渡欧留学した人々や、明治政府のおかかえ外国人によって徐々に定着して行ったとのことで、最初は美術学校に洋画専攻がなかったり、第一回の展覧会は見世物小屋のような雰囲気だったりと、沢山の苦労と文化的なギャップを乗り越えてのことだったようです。洋楽のコンサートも、最初は三曲のおさらい会のような感じだったらしいですよね。今では、三曲もホールで演奏するようになり、丁度真逆のようになってしまいましたが。


ちなみに、入場チケットは、下のように鮭になっていました。口に通す紐までもらえました。



今回観た作品の中で最も感銘を受けたのが、五姓田芳柳作「大楠公」です。楠木正成の凛とした佇まいが素晴らしいと思いました。


それから、藤島武二の「天平の面影」。等身大の令嬢の気品ある立ち姿に魅了されました。背景は金箔のようでした。




美術館では、下のようなミニコンサートが行われていました。現代尺八の野村公昭氏が、ピアノ伴奏でライトクラシックやポップスなどを演奏されていました。

自分も、盛んに演奏活動を行えるよう、がんばります!!