2016年7月14日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「霧海篪鈴慕」

山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(8)「霧海篪鈴慕」】



琴古流本曲36曲の第8曲目は「霧海篪鈴慕(むかいぢれいぼ)」です。
尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)に属する虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の1曲目となります。

『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊(きょれい)」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったということです。

この伝説の真偽のほどはさておき、「霧海篪」あるいは「鈴慕」と呼ばれる曲が、古くから尺八曲としてよく知られ、また吹奏されてきた楽曲であることは間違いないようです。『普化宗問答』の書に「れんぼすががきとは無解篪(むかいぢ)の和名なり」とあり、「鈴慕=霧海篪」との認識を示しています。この認識に基づけば、「〇〇鈴慕」と「鈴慕」が接尾語のように用いられている楽曲群を、「霧海篪の一種」という共通のジャンルと捉えることができると考えられます。現に「〇〇鈴慕」と呼ばれる曲の多くは、霧海篪と共通したフレーズや曲の構成を持っているように見受けられます。

個人的な感想として、曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ「虚空」に比べ、「霧海篪」は、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している曲のように思われます。そうした、独特のくぐもった雰囲気を出せるように意識をしてみました。ちょうど、この演奏を収録したのは梅雨の真っ只中だったので、そうした雰囲気を自然界から感じ取りながら演奏させていただきました。

なお、この曲の最後に、黒沢琴古が手付け(作曲)した「琴古先生イレコノ手」と呼ばれる部分があり、琴古流本曲としての霧海篪鈴慕の大きな特徴となっています。原曲の最後のフレーズに割って入る形で、それまでの捉えどころのない曲想とは違った、歯切れよく凛々しい旋律が、曲を引き締めています。今回は、本来3回繰り返されるテーマを1回に省略し、演奏しています。映像の中の11:14〜12:27あたりの部分です。

全曲演奏すると30分弱となる長大な曲ですが、何とか原曲の雰囲気や曲の構成を自分なりにディフォルメして、13分に収めました。

琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。


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