琴古流本曲36曲の第7曲目は「京鈴慕(きょうれいぼ)」です。
「鈴慕」の名称につきましては「九州鈴慕」のときにご紹介させて頂きましたとおり、
「虚鐸伝記」の故事に関連付けられて、尺八の曲のジャンル名になったり、
単に「尺八の曲名」という意味をなす接尾語のように使われたりしたことで、
日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲の多くが「○○鈴慕」となったようです。
その意味からすると「京鈴慕」は、「京都に伝わる鈴慕」という意味に解釈できます。
名前の通りこの曲は「志図の曲」「琴三虚霊」「吉野鈴慕」とともに、
京都の宇治吸江庵にて龍安より初世黒沢琴古が伝授されています。
ちなみに、琴古流本曲成立当初は、現行の曲順とは異なっていたようです。
『琴古手帳』では、いわゆる「古伝本手三曲」(霧海篪、虚空、虚霊)が36曲の冒頭に来ており、
その後に、瀧落から京鈴慕までが「行草の手」と称されて、続いています。
実際に教授される順番も、かつては霧海篪が一番最初だったようで、
尺八根本の「本手」である霧海篪や虚空を習ったあとに(ただし、虚霊はあとまわしにされていた?)、
派生的な「行草の手」や「真の手」(琴三虚霊以降の表の曲)を伝授されていたようなのです。
現在、一番最初に本曲の基礎固めとして習われている「一二三鉢返調」が成立するのは、だいぶ後のことです。
そういうわけで、瀧落の曲、秋田菅垣、転菅垣、九州鈴慕、志図の曲、京鈴慕の6曲は、
あまり肩肘張らず、すこし気楽に演奏できる本曲のように感じられ、
聴きやすい旋律が多かったり、音楽的に楽しみやすい要素が強かったりする曲が多いように思います。
竹盟社では、この6曲を「学行の手」とも呼ばれています。
一二三鉢返調を習った後、古伝三曲に至るまでの修練の曲として重要視されていることが伺えます。
この後は、尺八本曲の中でも特に大切に伝承されてきた「古伝三曲」が待ち構えています。
気合が入ります。
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