場所は、うきは市(旧浮羽郡)吉井町宮田の国道210号線バイパス沿いで、久留米市方面から見ると「千年小東」信号から約100mほど大分よりの左手に「塚堂(つかんどう)古墳」という前方後円墳があり、その国道を挟んで向かい側にある、コンクリート塀で囲まれた墓地の一角でした。塚本師の論文によれば、林棲軒の住職の末裔の方が大分におられ、この墓地はその方の一族の墓所であるとのこと。林棲軒は一月寺の末寺であり、この場所は久留米市の故木下吟鈴氏(川瀬師直門、木下楽器経営)が探し当てられたそうです。昭和34年の記事なので、その後どうなっているかと思いましたが、本に載っている写真のままの状態でした。
取り急ぎの報告ですが、そのうち詳細をHPの方に掲載したいと思います。
↑お墓の写真を載せてしまっていいのか迷ったのですが…。結局載せてしまいました。
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