2018年10月15日月曜日

秋田菅垣

【秋田菅垣(Akita Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。

「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。


平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8

堀井小次朗作曲「ひとみ」(映画『二十四の瞳』挿入曲)

10月5日、Facebookでお知り合いの中国の尺八愛好家、唐言周子さんの投稿をシェアさせて頂いたご縁で、堀井小次朗作曲「ひとみ」に挑戦する機会を得ました。


実はその前日、スペインの尺八奏者、 Rodrigo Rodriguez さんが投稿された、「二十四の瞳」の演奏動画を拝見したのです。



連続して翌日の唐言さんの投稿で、ご縁を感じ、まずは琴古譜を作成しました。






譜面作成にあたっては、関西在住のとある琴古流尺八家から資料を見せて頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。さらに、その後も、Facebook上でたくさんの方が、ご自身の習われた譜面を公開して下さったり、曲に対する熱いコメントを書き込んで下さったりしました。僕の知らなかったこの曲が、こんなにもたくさんの尺八奏者に愛されていたということに、驚きました。

というのも「二十四の瞳」は、日本の有名な映画の一つだといえると思いますが、その音楽に尺八が使われていたこと、そして作曲が堀井小次朗師であること自体を初めて知ったのです。
しかも、それを知ったのが、海外のお二人の尺八家のおかげだというのも、とても印象深いことでした。

七孔尺八らしい音の滑らかなつながりや、民謡のような装飾音の入り方が、僕としてはとても新鮮です(自分は5孔で演奏しましたが)。「尺八本曲」「地歌箏曲」以外に、中々「日本の魂」を感じることができる尺八独奏曲を見つけることができなかった自分にとって、この楽曲はとてもインパクトがある作品でした。

琴古流にはない、流れるような連続音や、転ぶような装飾音の連続が印象的です。

いつも同じところばかり使っている脳の回路が、新鮮な刺激を受けています。


2018年9月30日日曜日

再び、琴古流本曲を最初から

本曲を、また最初に戻ってもう一巡することにしました。まずは「一二三鉢返調」、「瀧落の曲」からです。


本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。

以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。


【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。

この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。

黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。

曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。

平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8




【瀧落の曲(Takiotoshi no Kyoku)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、下総一月寺の御本則、小嶋丈助(残水)より初代琴古が伝授された曲であるとのことです。

伝説によれば、伊豆の修善寺の旭滝の傍にあった瀧源寺の住職が、滝の落ちる様を竹の調べに移したものということです。古典本曲各派に同名曲が伝わっており、そちらでは「たきおち」と読むことが多いようですが、琴古流では「たきおとし」と呼びます。

「ツレゝゝ、ゝツレゝ、リウレゝ、ツロへツレロ」という、瀧落ならではの旋律系が繰り返され、呂(乙、第1オクターブ)を主体とした前半部、甲(第2オクターブ)に移行した高音(たかね)の中盤、そして再び呂に落ち着いた後半部から成っています。後半部では、「ナヤシ」を除くことで、前半部とは異なる雰囲気となっています。譜面では呂の前半部をもう一度繰り返すよう指示されていますが、現行では繰り返しを省き、中盤に移ることが殆どのようです。


平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8



2018年9月25日火曜日

観月会での石橋旭姫さんとの共演

昨晩は、久しぶりに(本名名義に戻ってからは初)演奏の機会を頂きました。

ジャズドラマーの榊 孝仁氏のプロデュースのもと、筑前琵琶の石橋旭姫さんとご一緒に、福岡市内の「観月会」での演奏でした。筑前琵琶との「あつもり」、琴古流本曲の「鹿の遠音」、福田蘭童の「月草の夢」等を演奏させていただきました。

しばらく生演奏の機会から遠ざかっていましたが、今回はいろんな意味で大きな刺激を受け、またこれからも尺八の演奏に一生懸命取り組んでいこうと、気持ちを新たにすることができました。

また、お二人とは楽屋や終演後の反省会でいろんなお話でおおいに盛り上がり、大変楽しいひとときを過ごさせて頂きました。本当にありがとうございました。

写真は、石橋さんが撮って送ってくださったものです。



2018年9月16日日曜日

何のために尺八を吹くのか

何のために尺八を吹くのか

最近、そんなことをよく考えます。
音楽なんだから、「自分の人生を豊かにするため」でしょう?

「伝統を守るため」「先人の芸を受け継ぐため」などという言い方もよく聞きますが、そういう要素が含まれていたとしても、やってる当人が充実感や喜びを感じていないと、文化として楽しめませんよね。

たくさんの素晴らしい楽曲を伝えてくれた先人には心から感謝しつつ、それを演奏する自分自身、そしてこれから先、邦楽を演奏するであろう次世代の幸せのために、僕は尺八を続け、伝えていきたいと思っています。


「『先人』や『組織』のため」ではありません。

2018年8月4日土曜日

10分で琴古流本曲(番外編)「虚空鈴慕」

昨年度末に完結した「10分で~」シリーズですが、この夏、「久しぶりに虚空鈴慕が吹いてみたいな」と思い、そういえば「10分で~」シリーズでは本手だけの形で「虚空鈴慕」を公開していない(本手・替手の多重録画、ライブ演奏版はあり)ことを思い出し、急遽紋付を着て撮影してみました。(H30夏の酷暑の中、エアコンを最低温度の「17度」に設定して袷の紋付に身を包みました。)

「霧海篪鈴慕」の解説でも申し上げましたが、尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)の虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の2曲目となります。

『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったのだそうです。

この伝説の真偽のほどはさておき、「虚空」は様々に伝承されてきた古典本曲の中でも名曲として人気があり、古典本曲を伝承する各流各派において大切に伝えられてきた特別な楽曲の一つと言えるでしょう。特に冒頭の「ツレー、レー、レー、チチーウー」の旋律は、流派ごとの味付けの違いはあれど、聴いた瞬間「ああっ、虚空だ!」とグッとくるものがあります。また冒頭フレーズのあとの落ち着いた乙(呂)音の続く味わい深い低音部、一転して緊張感あふれる三のウやヒ、チの連打などの差し迫った展開から、後半はリズミカルに乗っていくなど、「虚空」ならではの形というか、曲の個性というものがとても印象的な楽曲です。

個人的な感想として、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している「霧海篪」に比べ、「虚空」は曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ楽曲のように思われます。地歌箏曲に例えるなら「八重衣」にでも当てはまるのではないでしょうか。

全曲演奏すると25分程かかる大曲ですが、曲の構成を崩さないよう気をつけながら、各所から少しずつ抜粋して10分の演奏としました。

琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。なお、琴古流では当初「虚空」として伝えられた曲名が、伝承されるうちに「虚空鈴慕」となって今日に至っています。



※ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2018年8月3日金曜日

三浦琴童譜の入れ物

私事ですが、常に尺八、つゆきり、そして三浦琴童譜は、どんなときも持ち歩いています。これは、高校時代に父の知り合いのギタリストが、僕に小銭入れを開いて、中にピックが入っているのを見せて下さり「ミュージシャンはね、いつも持ち歩いているんだよ!」とおっしゃったという思い出が、おそらく影響しているのですが…

…そういうわけで、僕も「ミュージシャン」のはしくれですので、常に尺八(二つ折りすれば、カバンに簡単に入る)、つゆきり、そして三浦琴童譜(琴古流の原点である、尺八本曲が全て記録されている)は、仕事に行くにも私用で出かけるにも、必ずカバンに入れているわけです(例外として、修学旅行、林間学校など、職務上いざという時は荷物をかなぐり捨てなければならないかもしれないときだけは、家に置いていきます)。

さて、何の話か分からなくなってきたのですが…、…そうそう、で、その「三浦琴童譜」を持ち歩いていると、周りとぶつかったり、ひどい雨の時は浸み込んだりするかもしれないということで、100均で購入したA4サイズのチャック付きケースに入れています。

これは非常に優れもので、ビニールで出来ているのでそんなに簡単には水を通さないのと、結構分厚いので本の保護もしてくれます。さらに、三浦琴童譜を入れた状態で縦に二つ折りできるため、背中に背負うような細長いカバンにも、二つ折りした吹料とともにすっぽり入ってしまうのです。



ところが最近、数年の使用の結果、だいぶこのケースが痛んできましたので、100均の有名店「ダイ⚪︎ー」に新しいのを買いに行きました。しかし…、以前ちょうどよかったサイズよりもなぜかどれも小さく、「ピッタリA4サイズ」という感じで、三浦琴童譜2冊を入れるとピッタリすぎて「二つ折り」になってくれないという問題が発生してしまいました。

仕方がないので、様々な「ダ⚪︎ソー」の店舗を周りましたが、どの店舗でも「ピッタリA4サイズ」ばかりで、ちょうどいいのがありませんでした。

諦めかけていたところ、本日たまたま、「⚪︎イソー」さんとは違う「Can★Do」という100均を発見し、チャック付きケースの売り場を確認したところ、なんと以前の通りすこしゆとりのある、理想通りのサイズのA4版のケースが「クリア・ポーチ」の商品名で売ってありました。



直ちに購入し、早速三浦琴童譜を入れてみたところ、これまで通りいい感じに入りました。一安心でした。





※ダイソ⚪︎さんの現行商品とは、これだけ大きさが違います。