吹料である、利道道仁銘の八寸管が手元に来て、ついに5年を迎えました。
吹料(ふきりょう)とは、「その竹で尺八家として身を立てていく楽器」というようなニュアンスの言葉で、琴古流において愛管・メインの尺八(特に八寸管)を呼ぶ時に使います。この言葉の詳しい成立過程は存じませんが、雰囲気的には虚無僧がその竹を吹いて托鉢し生きる糧を得るとか、尺八のお師匠がその竹で教授活動や演奏活動を行なって生計を立てていくとか、そんなフィーリングです。例えば山口五郎先生のあの焦げ茶色の曲管、あの五郎先生の「身体の一部」であるかのような存在感、まさに琴古の「吹料」という言葉の代表格のような竹だと思います。
5年前の5月3日、ゴールデンウィークの初日は、関西から郷里・福岡に転勤して最初の年でした。息子が生まれる直前で、妻は里帰りしており、僕はひとり愛車・レガシィに乗って阿蘇の利道さん宅までウキウキしながらアクセルを踏んでいました。何だかとても昔のことのような、しかしまた割と最近の事のような気がします。
あれから5年、前よりは少し色がつき、上管の中継ぎ部分にヒビが入ったので利道さんご本人に一巻き修理していただいた以外は特にノントラブルで今日までたくさんの演奏を重ねることができました。「古管」ではないのですが、僕自身が「九州の竹の音色」を感じながら、自分の楽器として琴古流尺八の演奏をしていく上で、とても自分に似合った竹だと思います。特に「リ」の音色が気に入っていて、これは吹き始めた時から僕の中で大きなポイントの一つです。琴古の竹は、乙のロばかりがビンビン鳴るようにはなっておらず、レとか、リとか、それぞれがしっかりとした音色のキャラクターを持つようにバランスよく作ってあると聞いたことがありますが、まさにそんな感じです。本曲の特殊な手も全てきちんと出ます。現代管の中には、ピッチや鳴りを重視した調律を優先することで、かなり特殊な本曲独特の指使いは鳴らなくなってしまっている尺八も多いのです。
利道さんは残念なことに数年前に亡くなってしまわれましたが、この尺八を大切に演奏し続け、その音色をこれからもたくさんの方に届けて行きたいです。自分が老いた時に、焦げ茶色の「古管」になっているのを目指します。
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