2018年5月6日日曜日

虚無僧の天蓋と、「鈴慕」の曲

GW帰省の折、実家の倉庫に片付けていた、学生時代の虚無僧の天蓋、袈裟、偈箱を探し出し、持ち帰って来ました。



大学1〜2回生の頃、熊本市在住の西村虚空先生にお習いしていたことがあり、古典本曲のお稽古とともに天蓋、袈裟、偈箱の作り方を教えて頂き、自分で実際に作って虚無僧行脚に出かけたものでした。夏休みを利用して九州を一周したこともあります。

虚空先生は、2回生の冬に米寿を目前に亡くなってしまい、僕自身は琴古流の道に進んでいったため、大学卒業後は「封印」していたのですが、実家に帰って探し当てたのをきっかけに「やはり手元に置いておこう」と思い、田主丸まで持ち帰って来ました。さすがにもうこれから虚無僧行脚をすることはないと思いますが、自分自身の歴史の1ページですし、「尺八本曲といえば虚無僧」なので、ライブ会場などのディスプレイくらいには使えるかもしれません。ちなみに天蓋は熊本県八代産のイグサ、袈裟は酒を濾すのに使う絞り布、偈箱は虚空先生のお宅で頂いたそうめんの箱が材料です。偈箱の文字は、虚空先生に書いて頂いたものです。




心配していた通り、天蓋が結構へしゃげてしまってました。これは畳表の材料であるイグサを編んで作っているため、使わずに保管しているとどうしてもそうなってしまいやすいのです。ただ、水をかけて形を整え、乾燥させると形が復活するらしいと聞いたことがあるので、試してみました。






「復元作業」の日は晴天にも恵まれ、どうにか往時の丸みを帯びたフォルムを取り戻すことができました。

作り方を指導して下さった西村虚空先生には、貴重な体験をさせて頂き、心から感謝しております。
「琴古流に専念」との思いで封印しておりましたが、最近は手持ちの文物や情報などは出し惜しみせずどんどん出して、沢山の人に見てもらわないとという思いに変化し、これらもいつかライブ会場などで実際に間近で見て頂くことができたらなどと考えております。




それから、西村虚空先生に教えていただいた古典本曲「鈴慕」を、もう一度吹いてみました。


虚空先生からは7曲の古典本曲を教わったのですが、そのうちでもこの「鈴慕」の曲は格別に大好きで、7曲の中でも特に詳細に手の技法を記録した譜面を自作して持っていました。
琴古流の道に進むにあたって、自分の中でも色々考えてこちらも「封印」していたのですが、この曲だけはその旋律が心から離れず、九州に戻ってきてから時々思い出したようにたまに吹いてみたりしていました。ただ、虚空先生に習った期間は2年ほどで、地無しの2尺6寸「虚鐸」は、結局理想の音が自分自身にもわからず、「曲は好きだけど吹き方がわからない」という混沌とした状態で自分の中にありました。そこが、継続してお習いすることができ、「山口五郎先生」という目標とすべき理想像が明確な琴古流本曲との違いでした。

ただ、曲自体は好きなので、色々迷ったのですが、自分自身が吹料にしている琴古流の1尺8寸で演奏してみました。ちなみに「鈴慕」以外の楽曲は、そこまで綿密な記録をしていませんでしたし、もう15年も前のことで、それ以降琴古流に気持ちを切り替えてしまったので、正直もう思い出して演奏できそうな気がしません。

吹き方や曲のイメージは、お習いしたときの記憶や譜面の書き込みに照らし合わせて、なるべくオリジナルに近いイメージにしていますが、なにぶん楽器が全く違うので、琴古流式の指づかいに所々変わったり、多少アタリが増えたりしています。


ちなみに、西村虚空先生は、この曲を浦本浙潮師から習われたということです。「浦本浙潮師は短い竹で吹かれていたのを、私が長管で吹くように変えた」との事でしたが、今度は長い竹でお習いしたのを1尺8寸に持ち替えて吹いたことになってしまいました。

2018年5月3日木曜日

「ネイティヴ琴古でない」からこそ

僕が12歳で尺八を始めたときにお習いした先生は、都山流の方でした。
それから18歳で大学に進学し、琴古流の道を志すまでの6年間、古曲も本曲も都山流の尺八で学びました。

都山流と琴古流では、技法や譜面などに大きな違いがあります。
古典の演奏で使う特殊技法は、それぞれの流派に特徴的な手がありますが、それらについては琴古流に移行したときに「新規」の技法として習得したため、特に大きな違和感はありませんでした。自分の中で最も困ったのは、実は「譜字」つまり指づかいに対する名称の違いでした。

尺八には基本的な指づかいが5つあり、そのうち4つ目までは両流派とも同じく「ロ、ツ、レ、チ」と呼びます。最初に習った都山流では、5つ目の音は「ハ」と呼んでいたのですが、琴古流では「リ」と呼ぶのです。初めて琴古流のお稽古に通ったときには、「都山のハ=琴古のリ」というのは知識としては知っていたのですが、いざ「リ!」と先生から言われると即座に反応できない自分がいました。

しかも、実はもっとややこしいことに、都山では乙(おつ=第1オクターブ)でも甲(かん=第2オクターブ)でも「ロ、ツ、レ、チ、ハ」と共通なのに対し、琴古は乙は「「ロ、ツ、レ、チ、リ」、甲は「ロ、ツ、レ、チ、ヒ」と、呼び方が変わるのです(指づかいもリとヒでは少し違う)。さらに、それら5つの音の次の「6つ目の音」があり、都山流では「ヒ」と呼んでいたのです。この都山の「ヒ」と、琴古の「ヒ(=リの甲)」を混同してしまう。さらにさらに、では琴古流では「6つ目の音」を何と呼ぶのかというと、「5のヒ」と呼ぶのです。…もうなんだか書くのもややこしいというか、尺八をやらない方にとっては何が何だかも分かりませんよね…

なぜこんな話題を出したかというと、僕はこの「譜字に慣れない」という戸惑いを出発点として、何度「ああ、最初に尺八を始めるときから琴古流だったなら…」と思ったか分からないのです。それは、琴古流を始めてから6年が過ぎ、もはや都山流を演奏していた時間の長さよりも琴古流のキャリアの方が長くなってきたときに、より一層そう思うようになっていました。どうしても、少年期に習った「最初の記憶」は、なかなか刷新されないのです。都山流から琴古流に移った人ならば察しがつくと思いますが、琴古流の古典的な要素に憧れて転門したこともあって、自分自身の中にどうしても「ネイティヴ琴古流」を羨む気持ちが根強かったわけです。



しかし、今思えば「都山流を勉強したことがある」というのは、自分にとって大きな財産でもあったわけです。最近、それを強く感じるようになりました。



一般的に「琴古流の方が古典の演奏に向いている」というイメージがあります。しかし、果たしてその認識を無批判に太鼓判を押して良いものか、僕は深く考えるようになりました。琴古流は、基本的に箏・三絃に「ベタ付け」です。「糸を邪魔しない」ともよく言われるのですが、要するにユニゾンなんですよ。僕は「ユニゾン」というものにも大変素晴らしい音楽的魅力を感じる場面も多く、決して同旋律であるから工夫がないなどという思いはありませんが、曲によっては「ああ、都山の手付けって、やっぱり都山ならではの工夫があるなあ」と思うことがあります。

その最たる例が「千鳥の曲」です。この曲は、もともとは胡弓の本曲だったそうですね。都山流の技法は胡弓の奏法にヒントを得ていることもあり、「千鳥」の手も中々に曲調にマッチングした面白い手付が多いです。「千鳥」は初傳曲のため、当然少年時代にまず都山流で習っています。そのときの曲のイメージで琴古のベタ付けを吹くと、あまりに箏本手の旋律のまんまなんですよ。「ネイティヴ琴古」を羨む気持ちから「…いや、都山には都山の工夫があるんじゃない?」という認識に変わるきっかけをつくってくれた楽曲です。


都山流に対する批判で多いのは「手がうるさすぎて糸を邪魔する」というものです。確かにちょっと一癖ある手が盛り込んである楽曲も多く、僕も違和感を感じる時は多いです。ただ、両方の古曲、譜面を経験した上で思うのは、手付のクセは確かにありますが、最大の都山流の問題は、「譜面に糸の手が書いていない」「そのため、本手に対して替手を吹いているという意識が薄い」ことにあると、僕は見ています(琴古流は、本手とは違う旋律のところは、糸の音が併記してある)。対して琴古流は、「ユニゾン」の要素が威力を発揮している時はいいのですが、悪い言い方をすると「無難」で、ソツなく破綻せず合奏が出来上がってしまうところがあります。アタリとかスリとかの技法で「味」が出しやすいので、そこまで工夫せずとも格好が決まりやすいのかもしれません。そういうところに慢心せず、自分自身の表現によってしっかりと「音楽的工夫」を創出して行きたいものです(別に都山流の手を真似したいという意味ではありません)。



フリーランスな琴古流尺八奏者に転じて、あらためて「都山流をやったことがある」という経験を持つことができたことに感謝の念を抱いています。都山と琴古でどっちがよいとか、そんなことでお互い競い合うようなことは、もう本当にやめたほうがいいと思います。琴古流はどうしても歴史が長いために、特に古典の演奏で長じていると感じやすいケースが多いように感じますが、僕は都山流の工夫で優れたところは素直に素晴らしいと感じたいなと思います。同時に、琴古流がそこまで「伝統的な優位性」を主張する裏には、圧倒的な都山流の尺八人口を嫌が上にも意識しているという面も見え隠れするように感じます。しかし…もう、尺八人口自体が激減していて、そんなことでライバル意識で張り合っている場合ではないですし、ともに仲良くしていったほうがいいんじゃないですか?僕は、そうして行きたいです。

2018年4月24日火曜日

「廃れる」のであれば…

「三曲」という音楽ジャンルを愛する者として書きますが、今後将来、三曲が再び以前のような(全盛期は昭和後期だそうですが)演奏人口や活況を取り戻すことが難しいのは、もはや誰の目にも明らかだと思うんですよね。

圧倒的な情報量を背景に、ありとあらゆる国の様々な音楽や文化を、自分自身で選択して楽しむことができる時代になったというのもありますが、「人気のジャンルも廃れるときが来る」というのは、何も邦楽に限ったことではないようで、とあるニュースに衝撃を受けています。

僕は邦楽以外に「ロック」という音楽が好きなのですが、ロックギター好きなら誰もが耳にしたことがあるであろう「Gibson(ギブソン)」というギターメーカーが、実は倒産の危機に瀕しているんだそうです。2018年に入ってから、各種メディアや個人のブログなどにおいても盛んに話題にあがっています。レッド・ツェッペリンのジミーペイジが弾く、あのレスポールに憧れた身としては驚きを隠せませんが、もはや「ロック」自体が若者に支持される音楽ではなくなってきていて、「若者のギター離れ」という言葉もあるんだそうです。ちなみに、Gibsonと双璧のギターメーカー「Fender(フェンダー)」社も、経営難だそうです。認めたくなくてもやはり「時代の流れ」というものは、確実に存在するんですね。

※Gibson社の倒産危機に関する記事やブログ等
https://www.huffingtonpost.jp/2018/02/19/gibson2018_a_23365835/
http://guitardoshiroto.blogspot.jp/2018/02/gibson.html

こういうことは何も現代に限ったことではなく、例えば邦楽の歴史上でも一節切尺八などのように廃絶してしまった楽器もあります。江戸時代中期に衰退してきた一節切を、文政の頃、神谷潤亭という人物が「小竹」と名を変えて復興運動を試みたそうですが、難しかったようですね。



もうこうなったら、我々邦楽奏者自身が「本当にいいな」と心から思う曲を、一緒に演奏したいと思う相手とともに、楽しんで演奏するほかないと思うんですが、いかがですか。僕ら自身が難しい顔をしていたら、もはや誰にも魅力的な音楽とは感じられないと思うんですけど…

2018年4月15日日曜日

「日本版パトロン制」としての家元制度

「なぜ日本の伝統音楽は、アイルランド民謡などのように、一般市民の生活の中に深く入り込んでいないのか」、そんな話題がネット上にありましたので、私見を述べてみたいと思います。


出典を失念してしまいましたが、僕が聞いた説明の中で最も腑に落ちたのが、「家元制度」とは、日本版のパトロン制度である、という見解です。

「パトロン制度」とは、ヨーロッパのルネサンス期などに、巨大な富を持つ王侯貴族が、自分の財政的・文化的な力を誇示する側面も込みで、お気に入りの画家や音楽家などを自分専属の「お抱え芸術家」として生活の一切を養いつつ、作品を作らせることですよね。

音楽に限らず、芸術のお仕事をされる方なら納得いくと思いますが、とにかく「芸術で食っていく」というのは難しい。かのモーツァルトも、自分を雇ってくれるパトロンを求めて、長い長い旅を続けたのだといいます。逆にパトロンに雇われると、その王侯貴族の依頼に応じて好まれる楽曲をかき、暮らすことができる。故に、モーツァルトの曲は、クラシックの中でもそんなに曲長が長くなく、明るく軽妙洒脱で耳に入りやすい楽曲が多いですよね。

しかし、日本の場合は、ヨーロッパのような圧倒的に巨大な富を持つパトロンが芸術家を囲うようなスタイルにならなかった。その代わりとして生まれたのが家元制度だといいます。つまり、「芸術家(家元)」を沢山の門人が分担してお月謝や会費、免状代などで支えるような形態が出来上がったわけですね。



そういうスタイルだと、芸術家は門人に楽曲を「伝授」することによって、この体制を維持することになります。つまり、門人が「勉強し続ける」ための楽曲が必要なわけで、魅力的な曲であればあるほど「秘曲」として中々教えてくれなくなり、また奥の曲ほど曲長も長く、曲調も難解に。「味」を出すのも難しく、長い修行を経ないと曲の雰囲気が出ない、ということになってしまいます。地歌箏曲でも尺八本曲でも、長い曲だと一般人の自然な集中力では鑑賞が難しいほどの長大な楽曲が存在します。また、「この曲の良さが分かって一人前」みたいな、難解な「奥の曲」なども存在するようになるわけです。

もちろん、僕はそうした「奥の曲」を否定しているわけではありません。そういう曲の中にも、純粋に音楽的に大好きな曲が、数多く存在します。地歌箏曲の「八重衣」などは、全曲を通すと30分に迫る大曲ですが、あれだけ長いのに曲中の全ての旋律が光り輝いていて全く飽きが来ず、あっという間に時が過ぎていくのが信じられないくらいです。しかし(純粋に技術上の難易度の高さもありますが)、その「八重衣」を習うためには、長い修行を積んで奥の奥まで行かねばならない。例え習ったとしても、若いうちや、まだ習って月日を重ねないうちは「本物でない」ということで「お勉強」を積み重ねることになる。そうすると、とてもとても一般市民がその素晴らしさをあまねく味わえるような共通の文化的財産とはなりにくいわけです。

僕自身も、そうした難しい曲を弾けるようになるためには、長い修練が必要なのは間違いない事実だと思います。そしてそれは、邦楽に限らず、様々な音楽ジャンルどれをとっても共通だとは思います。しかし、上記の「日本版パトロン制度」を成り立たせるためには、「いつまでたってもお勉強」がセットになってしまうんですよね。「自分が弾きたいように弾けるための努力」という面を通り越した、「勉強」そのものが目的になってしまった「お勉強」。そういう一面が嫌いなわけではないのですが(そして僕自身もそういう価値観を大切に修行を重ねてきたわけなんですが)、正直それが現在の邦楽界の人口減(特に古典系)に関係してしまっているのは否めないと思います。



尺八本曲の「鹿の遠音」、箏曲「千鳥の曲」など、純粋に音楽として旋律も美しく、曲の構成や作曲の工夫に目を見張るような名曲も沢山あります。また、先程話題にあげた「八重衣」などは、三曲の演奏家でなくても、その音楽的価値を味わえる可能性を十分に持っている楽曲だと思います。折角そういう素晴らしい財産が数多くあるのにも関わらず、現代という時代に合わずに廃れていってしまうのは、あまりに勿体無いと僕は感じています。現代は、身の廻りに魅力的な文化が満ち溢れているだけに、そうした音楽的な魅力をストレートに感じてもらえるような工夫が急務だと考えています。

2018年4月13日金曜日

平成30年春、ブログタイトル刷新

美しい春の景色に、心がなごみます。

田主丸町内から南の方角を眺めると、「屏風山」とも呼ばれる耳納連山の美しい山肌が一望できます。
水田が一面ピンク色に染まるレンゲ畑もきれいですね。



さて、この平成30年春、自分の尺八演奏活動に関しまして、大きな転換期となりました。

そこでブログ名も、これまでの「尺八稽古帳」から、「尺八音楽考」へと変更しようと思います。


「お稽古」「お勉強」としてではなく、「尺八音楽とは、一体何なのか」「その音楽的価値とは」…など、これまで議論・提唱されてきた認識からさらに一歩踏み込んで、山口の感じた、自分自身の感性や言葉で発信して行きたいと思います。

ここ数年、そうした話題はFacebookでまずは公開という流れだったのですが、しばらくFBは休憩し、少しゆったりしたマイペースでブログの方で更新して行きたいと思いますので、もしよろしければどうぞお付き合いの方、よろしくお願いいたします。

2018年4月11日水曜日

本名

私事ですが、この度私は、竹盟社師範及び竹号「籟盟」を返納させて頂き、今後は本名「山口 翔」として活動させて頂くことをご報告致します。

一個人という立場で、尺八本曲や三曲合奏を純粋に「音楽」として楽しんでいけるよう、オープンなスタイルで活動して行きたいと思います。

今後とも一層精進して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。



琴古流尺八奏者 山口

2018年3月29日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「寿調」

49回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(36)「寿調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

『三浦琴童譜』(正式には『三浦琴童先生著拍子、記号附 琴古流尺八本曲楽譜』)の1曲目を飾るのは「一二三鉢返寿調」です。これは、「一二三調」「鉢返」「寿調」の3曲が合わさった曲になります(正しくは、それに「竹翁先生入レコノ手」が加わる)。「一二三調」と「鉢返」は、曲の最後の旋律が共通しているので、「一二三調」の途中まで演奏した後に先に「鉢返」を吹き、最後に2曲の重複した終末部分を演奏するということのようです。これが所謂「一二三鉢返調」で、その「鉢返」の終わりの重複部分になる寸前に「寿調」を挿入したのが「一二三鉢返寿調」ということになるわけです。

文章で書くと、何が何だか判りにくくなってしまうのですが、要するに現行では「一二三鉢返調」という10分程度の2曲合体演奏が一般的になっているわけですが、『三浦琴童譜』においてはプラス「寿調」で、3曲合体の「一二三鉢返寿調」という譜面になっているわけです。しかし、実際には「一二三鉢返調」として演奏することが殆ど(というよりもほぼ全て)なので、「寿調」だけ取り出して「1曲」扱いすることが多いようです。

三浦琴童譜の注釈には「以下寿調又長調トモ云フ」とありますが、この「長調」という曲名は、『琴古手帳』の「当流尺八一道之事 十八条口伝」や「細川月翁文書」の『尺八曲目ケ条之書』に「一、長しらべをふく事」と出てきます。月翁文書の『尺八曲目ケ条之書』においては、付け紙に「初代琴古工夫して吹出す也 息気竹に和し候上ならでは何(いずれの)曲も吹かたし 何曲を吹とても前に是を吹て息気竹に和し其上にて曲を吹 為に設曲によりて吹仕廻の跡に入る音に伝あり」とあり、初代琴古が曲を演奏する前のウォーミングアップとして吹くように設定していたことが推測されます。この初代琴古の「長しらべ」と全く同一の曲なのかはわかりませんが、性質として「前吹」としての役割を持つ「調べ」であるならば、「一二三鉢返調」と統合されて伝わったとしても納得のいく由来の曲です。

私事ですが、お恥ずかしい話ながら、私自身関西での修行時代末期にお習いして以来、この「10分で」シリーズのために練習を開始するまでは一度たりとも吹いたことがありませんでした。しかし今回、練習の機会を得て吹いてみたところ意外(!?)だったのが、優雅な独特の旋律を持ち合わせた曲であり、一部雅楽を思わせる展開などもあったりして、なかなか侮れない、いい曲であったということです。「寿」という曲名も、こうした曲調によるものなのかもしれません。また、ここ数ヶ月「裏の曲」ばかりを吹いてきたため、久しぶりに「表の曲!」という雰囲気を味わいました。表の曲は「古伝三曲」「行草の手(竹盟社では「学行の手」)」「真の手」など、「いかにも琴古流本曲!!」な感じの形の整った楽曲が多いのに対し、裏の曲は「琴古流本曲の中でも特殊・突飛な曲」の割合が高く、特に最後の数曲は作曲時期が新しいこともあって、自分の中の演奏イメージがだいぶ表の曲から外れた状態にきていました。そこにこの「寿調」で、「おおっっっ!琴古流本曲本来の姿に戻ってきたぞ!」というような感動を味わったわけです。

現在では「琴古流本曲36曲」のトリを引き受けるこの「寿調」。地味なようでいて、実は旋律も美しく、さらに初代琴古以来の脈々と続く伝承を受け継いでいるこの楽曲を、「10分で」シリーズの最後に演奏公開させて頂けたことは、自分にとって新鮮な思い出として残りました。これからも、何か祝儀事での演奏機会があれば、ぜひこの「寿調」に活躍してもらおうかなと思っているこの頃です。なお、この曲も抜粋せず、「一二三鉢返寿調」のうちの「寿調」の部分だけを演奏して10分ちょっとに収まる楽曲です。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。