2016年12月16日金曜日

小倉の袴

今日の午後、本業の仕事の都合で、北九州市にある「いのちのたび博物館」に行ってきました。
昔は、八幡駅の横に併設される形で、恐竜の化石やシーラカンスなどが展示されていたのですが、いつのまにか場所もスペースワールドの横に移されて、リニューアルというより完全に新設されて、規模の大きい綺麗な博物館に生まれ変わっていました(ちなみに、僕が小学生の時初めて恐竜の化石というものを直接見たのは、八幡駅横にあったときの同博物館でした)。地球上の生命の誕生から現代に至るまで、化石や生物だけでなく人間の社会科学や暮らしの歴史、北九州市の産業や文化に関することまで、幅広い展示内容で、見学できてとてもよかったです。

いろいろな展示の中で特に注目したのが「小倉(こくら)織」。これは、漱石の小説の中で、書生の描写の中にお決まりのように「小倉の袴」が登場するため、どんなものなんだろうとずっと気にかかっていたものでした。

私事ですが、高校時代から漱石に憧れ、大学も漱石にゆかりのある熊本大学(前身は漱石が教鞭をとった旧制第5高等学校)に進学、大学4年間は全て着物で過ごしました。そのとき「小倉の袴」をだいぶ探してみたのですが、ついに入手することはできませんでした。今日の展示で、明治期までは生産されていたものの、昭和期にはすでに希少なものになっていたことがわかりました。勉強になりました。

ちなみに、大学時代は久留米絣と仙台平の袴に落ち着きました。この仙台平は、質感はとてもいいのですが、古着屋で手に入れたものは劣化して縦に裂けやすいのが欠点で、裏から和紙をあてて糊付けしたりして修繕しましたが、結果的にかなりの数をはき潰してしまいました。袴のまま自転車に跨って、市内中駆け回ったりしていましたからね。もしそのころも生産されていたならば、上下とも綿の丈夫な布地で、僕の過酷な普段着としての使い方にも耐えてくれたかもしれません。ただ、昔の白黒写真を見ると、だいたい小倉の袴はひだも取れてしまってゴワゴワになっていますよね。久留米絣も「綿というのは頑丈だが型崩れしやすい」というのがよくわかりました。


~以下、展示の解説文です~

小倉織(こくらおり)は江戸時代の初め頃から豊前小倉(こくら)の特産として作られていた綿織物で、徳川家康や細川忠興に関する記録にも小倉織の名をみることができます。当初は貴重品でしたが、徐々に袴や帯、冬の日常着として武士や庶民の間で愛用されるようになりました。
明治時代になると、手織りから機械織りへと変化し、書生の袴や制服に用いられるようになりましたが、昭和初期には衰退し、幻の織物とさえいわれるようになりました。

小倉織の特徴は、細い糸を2本から4本撚(よ)り合わせて作った「もろよりの糸」を使用し、たて糸の密度を高くすることで、丈夫な布にしている点です。現存する小倉織の多くは2本の糸を撚り合せた「双糸」を使用しています。この糸を作るには高い技術と労力が必要で、全国的にも珍しい技法です。

小倉の名産、徳川家康もお気に入り
丈夫で長持ち、人気の綿織物です。
武士のはかまは小倉織がいちばん。

あの徳川家康が鷹狩りの時に小倉織の羽織を来ていたそうです。






2016年12月11日日曜日

大庫さんの山田流名取40年記念CD

ジョイントweb演奏会で共演した、山田流箏曲家・大庫こずえさんのCD『いつまでもかわらないで』を聴いています。

山田流名取40年を記念して制作されたCDということです。演奏活動で披露されているオリジナル曲が3曲収録されています。

1曲目の「いつまでもかわらないで」は、「箏のためのシャンソン」という副題がついており、東京・銀座の思い出のお店や、空襲で変わってしまった歴史などが歌いこまれています。メロディアスで流れるような拍子の旋律が印象的であると同時に、叙情的な語りを思わせる歌詞と曲の展開が、古来からの「うた」と「こと」による音楽の本質を、現代に再現しているようにも感じました。

2曲目の「君に添ひながら」は、表題曲から一転して純和風調となり、いにしえの和歌2首(1首目は『閑吟集』より、2首目は百人一首で有名な「筑波嶺の」)を、素朴に歌い上げておられました。山田流の丸爪の音色が、和歌の世界観を効果的に演出しているように思いました。

3曲目の「花の袖」は、狂言に取材した作品とのことで、中世後期に成立した「幽玄」の美意識が、近現代の色調で描かれている様は、近代日本画、とりわけ上村松園の謡曲を素材とした作品を鑑賞したときの心持ちが思い起こされました。箏の合わせ爪と囃子方の鳴り物が同じ瞬間に重なる独特の音色が印象的でした。

表題曲を思わせるジャケット・アートも、この作品の雰囲気を見事に具象化していると感じました。

大庫さんの名取40年周年を心からお祝いすると同時に、今後のますますのご活躍を祈念しております。




大庫さんのブログは、

2016年12月9日金曜日

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ・山口籟盟】山田流箏曲『秋の七草』

【ジョイントweb演奏会:大庫こずえ(長野県)・山口籟盟(福岡県)】
山田流箏曲『秋の七草』

Facebookでお知り合いになった、長野県在住の大庫こずえさん(山田流箏曲)と、福岡県在住の山口籟盟(琴古流尺八)による、「オンラインでの共演」です。


大庫さんとは、この秋にFB上でお知り合いになりました。私が毎月一曲公開させて頂いている、琴古流本曲の動画をご覧になり、メッセージを下さったことがきっかけで交流が始まりました。メールでは山田流箏曲や琴古流尺八についての話題で盛り上がりました。大庫さんは東京、私の方は関西での修行時代は、ともに山田流箏曲の合奏機会に恵まれていたのですが、現在はともにそれぞれ山田流奏者の稀な地域で活動しており、お互い本格的な山田流の舞台からは遠のいていたような状況でした。

大庫さんはご出身地の東京で山田流箏曲の修行を積まれ、芸大でも勉強されるなど、まさに本筋の山田流をきっちり身に付けられた方ですが、長野県に住まわれてからの演奏活動では、「歌」を大切にされたオリジナル曲を中心になさっているそうです。私も何曲か拝聴しましたが、「日本語」の美しさを全面に押し出した歌、丸爪ならではの凜とした爪音などに、現代に生きる山田流箏曲の精神を垣間見ました。古来より、人の心を動かし続けた「うた」と「こと」による演奏。それは、古代ギリシャの竪琴を奏でる吟遊詩人や、我が国の王朝文学で琴をつまびく女性など、古今東西を問わず存在する「うたの心」そのものなのではないか、それを一つの形として具現化されておられるのだなと強く感じました。

お話が盛り上がるにつれ、「ご一緒に山田流箏曲を合奏してみたい」という想いが募るものの、本当に距離の遠い長野県と福岡県です。以前学生時代に、熊本から鹿児島の山田流箏曲家のもとに何度も通ったり、ご一緒に演奏をさせて頂いた話題などもする内に、「便利なツールで時空を超える」という言葉が何とはなしに表出し、それがきっかけで「ジョイントweb演奏会」での共演にお誘いさせていただきました。


今回も、何度も音源のやりとりを行いながら「オンライン下合わせ」を重ね、曲を仕上げていきました。合の手では、箏が本手、尺八が「六段」の初段を演奏し、合奏しています。大庫さんには、演奏の撮影やデータの送信など、たくさんのお願いをしてしまいましたが、いずれも快く引き受けて下さいました。本当にありがとうございます。

「オンラインの共演」は、物理的に同一の場で舞台をともにしているわけではありません。しかしこの「ジョイントweb演奏会」では、お互い離れた地にあっても、ともに愛する音楽をご一緒に共演できる、ありがたい場だと感謝しております。そしてまた、我々の音楽に本当に共感して下さる方に、たとえお住まいが遠くとも聴いていただくことが可能です。現代に生き続ける「三曲」の一つの新しい形として、今回の私たちの演奏を味わって頂ける方が一人でも多くおられるとしたら、それに勝る喜びはありません。ご視聴よろしくお願いいたします。


~共演者・大庫こずえさんよりコメント~
ある時、籟盟さんが昔コンクールを聴きに行った折 出場していた鹿児島出身の山田流の方の演奏に感銘を受け その場で楽屋を訪ねてからその方と暫く交流が続いたとお話しをされたので、私もだいぶ前に 鹿児島の古い友人を訪ねた時に 山田流の若い女性を紹介され、月イチ東京にお稽古に通っているそうで 〇〇さんというお名前でした とお答えしたら、それが正に籟盟さんのお話しになっていた方だったという事があり、こんな繋がり方もあるものかと随分ビックリしたものです。
ましてや そのコンクールの為に友人が用意した特注のアクリルの立奏台は、今私が譲り受けて使っているのです。
何という不思議なめぐり合わせでしょう。
今回 籟盟さんの熱心なお誘いにより、私の源流山田流に鮭のように回帰した思いです。






『秋の七草』
明治17年、文部省音楽取調掛撰。実際の作曲者は三世山登松齢で、三世山勢松韻の校閲ともいう。初学曲。小品ではあるが、箏の基本的手法が盛り込まれた手付けとなっている。合いの手では『六段』と打ち合わされる。

歌詞
秋の野に、咲きたる花は何々ぞ、
おのが指をり数へ見よ
錦を粧ふ萩が花、尾花、葛ばな、をみなへし、
誰がぬぎかけし藤袴、親のなさけの撫子に、
露をいのちの朝顔の花

この七草の花はしも、昔の人のめでそめて、
秋野の花のうるはしき、

その名は今に高まどや、野辺に匂える秋の七草

2016年12月1日木曜日

古閑メロディを演奏

諸事情によりお知らせするのが遅くなってしまったのですが、久留米市の「NPO法人城南健康ふれあい倶楽部」さんの催し物に出演させていただきます。


福岡県の筑後・大川は古賀政男の出身地ということで、古賀政男記念館館長のコンサートに、ご一緒させていただきます。その際、「演奏曲目のうちの一曲を共演」ということになり、美空ひばりの「柔」という曲を演奏させて頂くことになりました。


実は私、「演歌」という音楽ジャンルはこれまで最も疎遠なものでして、クラシックやロックは幼少期から毎日のように聴いてきたので馴染みがあるのですが、「古閑メロディ」は本当に初めてであります。演歌を聴いて育った方のようにはいかないと思いますが、この演奏機会を頂いたのも何かのご縁ですので、自分なりに工夫した演奏ができたらいいなと思います。


「柔」以外には、尺八本曲が一曲と、外曲を何か一曲演奏しようと思います。本曲は、今のところ「夕暮の曲」を考えています。12月のweb演奏会の課題曲であり、情景描写に優れた名曲だと思います。外曲はまだ迷っていますが、土曜日の間に吹いてみて決めようと思います。



基本的には、倶楽部の会員さまを対象にした催しのようで、広く告知という性格の会ではなさそうですが、一応ご報告させて頂きます。最近は動画による演奏公開が中心でしたので、久しぶりの生演奏です。


2016年11月27日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「吉野鈴慕」

25回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(13)「吉野鈴慕」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。


前回の「琴三虚霊」に引き続き、『真の手』の第2曲目「吉野(よしや)鈴慕」です。

この曲も「琴三虚霊」同様、初代琴古が宇治吸江庵の龍安から伝授(『琴古手帳』の「当流尺八曲目」に、琴三虚霊に続いて「右同人ヨリ傳来仕候」とあり)されたものと見られています。

「〇〇鈴慕」によく見られる音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)が曲中に登場し、どちらかというと宗教色の濃い、本曲本来のスタイルを持った曲のように思います。それと同時に、個人的に琴古流本曲中でも「秋田菅垣」や「下り葉の曲」んどとならんで、特に旋律が美しい曲だと感じており、思い入れの強い曲でもあります。特に、本動画の4:46あたりから始まる、「リの中メリ」を主とした旋律は独特であり、印象的です。「吉野」は「よしや」と読み、「善哉」とも書きますので(同名異曲が、対山派などにあるようです)、奈良の吉野のことではないと理解はしていますが、どうしてもこの曲を吹くと、関西時代に訪れた、あの美しい吉野の山里の景色を連想してしまいます。


余談ですが今回、自分のこれまでの撮影と比べると、珍しくアウトテイクの連続でした。大体通常は2~3テイクで済むのですが、今回は最初の2テイクがメカトラブル、その後も演奏自体が上手くいかなかったり、集中力が途切れたりと、昼過ぎから始まった撮影が夕方になっても散々の出来でした。11月の最初に、本業の関係で数日尺八を吹かず、その後風邪をひいて調子を落としたりと、11月は全体を通して中々尺八の調子が上がらなかったのも、精神的に響いていたのかもしれません。「しっかり音を出さなきゃ」「高音が痩せないようにしないと」「この技法のところはしっかり決めたい」など、さまざまな邪念が頭をよぎりました。

日もとっぷりと暮れた頃、急に師匠の言葉が蘇ってきました。
「山口君、本曲は人に聴かせる曲ではなく、仏様に聴いて頂く曲や。お仏壇の前で吹くような気持ちやないとあかんで」
やっと気づきました。気持ちも体も力んで、全く自然体で吹けていなかったことに。
そして、ようやく「お仏壇の前」で吹くような心境で演奏することができました。途中、亡くなった父方、母方の祖父母4人が並んでこっちを見てくれているような気持ちになりました。忘れかけていた大切なことを思い出させてくれました。

その最後のテイク、一箇所間違ってしまっています。最後の「ハーラロ」の次のナヤシの後に、余計にロの押しを一つ入れてしまいました。しかし、上記のような経緯により、このテイクを公開させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。


「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない

尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2016年11月13日日曜日

【ジョイントweb演奏会:宮崎紅山&山口籟盟】『小鳥の歌』

【ジョイントweb演奏会:宮崎紅山&山口籟盟】
『小鳥の歌』(宮城道雄作曲)尺八二重奏ver.
FB上でお知り合いになった、長崎県在住の宮崎紅山さん(都山流尺八)と、福岡県在住の山口籟盟(琴古流尺八)による、「オンラインでの共演」です。

宮崎さんと山口は同い年(S57生)でともに九州出身であり、都市部で修行(宮崎さん→東京、山口→関西)後、帰京し地元で活動する等、経歴も共通項が多いことから、「いつか共演してみたいな」と思っていました。しかし、福岡と長崎は近いようで意外に遠い場所にあり、なかなか行き来できない。それならば、インターネット上に、お互いの演奏動画を合成してアップすれば、「オンラインでの共演」にならないかと考え、お誘いしたところ快諾してくださり、今回の企画が実現しました。

曲は宮城道雄作曲の『小鳥の歌』で、本来尺八二重奏に箏の伴奏がつきますが、今回は尺八二重奏のみの演奏となります。

まずは双方で練習を開始し、メールでお互いの録音をやりとりしたり、パソコンで音を重ねて確かめたりしながら曲作りをしていきました(オンラインでの下合わせ)。次に、最終的に出来上がった録音での合奏を聞きながら、それぞれの演奏動画を撮影しました。最後に、二つの動画を合わせて完成となりました。


今回の企画で自分なりに大きな成果と考えているのが、「お互い自分の地元にいながらにして、インターネットを媒介として共演することができた」ということです。この方法を使えば、日本中の離れた地域に住む人どうし、もっといえば世界中の人との共演も可能です。実際には会ったことのない遠く離れた地に住む人とも、音楽的な趣向が合えばネット上で共演できる。特に純邦楽の共演者探しそのものが大変な地方在住の奏者からすれば、面白い試みではないでしょうか。


和楽器・純邦楽の表現方法の一つの形として、発表してみたいと思います。ご視聴、どうぞよろしくお願いいたします。


~共演者・宮崎紅山さんよりコメント~

“Web上”での合奏という山口さんからのご提案をいただいた際、正直暫く悩みました。演奏は生で!liveで!とこんなにも頑なに思っていた自分に気づかされた瞬間でした。この企画を一緒にさせていただき、ネットというツールでより多くの人と、世界中の人と、一緒に音楽を楽しむ可能性に(ちょっと遅かったかもしれませんが)気づかされました。山口さんに、感謝~🎵



2016年10月23日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「琴三虚霊」

24回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(12)「琴三虚霊」】

琴古流尺八本曲のうち、「霧海篪鈴慕」「虚空鈴慕」「真虚霊」の3曲が『古伝三曲』と呼ばれ特に重視されていることは、これまでに書いた通りです。琴古流本曲には表18曲・裏18曲にそれぞれ曲順があり、これまでのweb演奏会での曲順は、現行の琴古流本曲の曲順通りに公開してきました。

しかし、江戸時代の琴古流本曲成立当初は、実は『古伝三曲』が曲順の冒頭を飾り、それに引き続いて「滝落の曲」「秋田菅垣」「転菅垣」「九州鈴慕」「志図の曲」「京鈴慕」の順となっていました(「一二三鉢返調」の成立は、かなり後になってからのことです)。これらは『行草の手』と呼ばれ、『古伝三曲』に比べるとくだけた曲、くずした曲、というニュアンスが受け取れます。『古伝三曲』は、『琴古手帳』においては『古伝本手』と書かれ、本曲中でも最も格式の高い正しい形の曲という位置付けになっているわけです。それを楷書とすれば、行書や草書のように、画数や書き順がくずしてある、という意味でしょう。

さて、表18曲のうち、『古伝三曲』『行草の手』以外の9曲は『真の手』と呼ばれています。琴古流本曲中でも有名な「夕暮の曲」「巣鶴鈴慕」なども、この『真の手』に含まれます。『古伝本曲』ほどの宗教的な格式の高さとは異なるものの、それぞれに深みや重み、歴史的な意義を持つ、日本各地の虚無僧寺から蒐集された個性的な曲が並んでいるように思います。その第1曲目がこの「琴三虚霊」です。

この曲は、宇治吸江庵の龍安(ろうあん)から伝授された当初は「三味線虚霊」と呼ばれていたようですが、初代琴古が勇虎尊師、泰巌尊師と相談の上「琴三虚霊」と改名したくだりが『琴古手帳』に記録されています。この勇虎尊師、泰巌尊師の両名は、琴古流本曲の曲順・曲名の整理・決定にも立ち会ったようで、琴古流本曲36曲の成立に、黒沢琴古と共に深く関わった人物であるようです。

「琴三虚霊」の曲名からは、琴や三絃との関連を感じさせるようでもありますが、「菅垣」のように曲そのものの音楽性が外曲と深く関わっているようには思えません。あえて言えば、琴古流本曲にしては、同じフレーズ・似たフレーズの繰り返しが散見されるように思います。また「真虚霊」との音楽的な類似性も特に感じられず、どちらかというと「霧海篪/鈴慕」における音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)に近い気がします。いずれにせよ、『古伝三曲』よりは音楽的な要素を強めた、京都からの伝来の曲ということで、伝承当時に思いを馳せながら演奏をしてみました。抜粋においては、なるべくこの曲の独特な旋律を中心に組むよう心がけました。