最近、Queenの映画が話題になってますね。
僕がQueenファンになったのは高校生だった1997年頃、母の影響でした。その頃はネットやYouTube、ウィキペディアなどもなく、解散(Queenの場合は正確には解散ではないのかもしれませんが)してしまったバンドの情報を得ようとすると、レコードやCDのライナーノーツや書店に置いてある数少ない書籍、これまた在庫数の少ないライブビデオくらいしかありませんでした。そうした情報量のなさによる不自由は、今考えると逆に愛好者の情熱をより一層掻き立てていたのかもしれません。
これらの中でも特に思い出深いのは、当時博多の書店で買った「Queen Live クイーンコンサートドキュメンタリー〜伝説の証」という本です。情報網が限られたであろう当時、よくこんな詳細でマニアックなものが書けたなと、今考えても感心するくらいのものです。ウィキペディアにはない味わいというか、「情報」というよりも、中身のエピソードや文書そのものが「暖かい」というか「熱を帯びている」んですよね。僕のQueenに関する知識は、ほぼこれによるものです。
それから、黒いジャケットのCDは、1992年にフレディ追悼版としてリリースされた「ボヘミアンラプソディー/These are the days of our lives」のシングル。僕が初めて買ったQueenのCDです。97年当時はまだCDショップの店頭に新品で並んでました。二枚のLPレコードは、母が若い頃買ってテープにダビングした後、そのまま持っていて譲ってもらったものです。Queen IIの「サイドホワイト」が好きで、よく父の部屋のステレオを借りて針を落としたなぁ…。僕はフレディよりも、どちらかというとブライアンのファンなんですよ。
話題がそれますが、ブライアン・メイのギターサウンドって、暖かみのある太くて丸みがある音色で、音の一番最初からすごくビブラートをかけますよね。あの音、しびれます。大学に入ってから山口五郎先生の音にとりつかれましたが、魅力の要素が似てますよね。元々、僕は尺八をやる前は小学生の頃からクラシックが好きで「チェロを習いたい」とずっと思っていたんです。そちらにはとんと縁がなく、妙なことに全く違う方向の尺八をやることになりましたが。しかし、考えてみれば、チェロの音も、ブライアンのギターや五郎先生の尺八のサウンドと似てるかもしれません。僕の中で「暖かみのあるふくよかな音色+最初からビブラート」って、心を揺さぶられる要素であるようです。
尺八をやってると、よく「なんで最近っからユリをかけるの!?」という話題になりやすいですが、そういう美意識もありますよね。なんでいけないんでしょう?クラシックとかでは当然の表現ですよね。「途中からかけるのがいい」みたいなのは、どちらかというと演歌やポップスの表現なんじゃないでしょうか?まあ、「途中からビブラート」や「ノンビブラート」を否定したり嫌ったりしている訳でもないですが。好みの問題ですよね。
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