大学1〜2回生の頃、熊本市在住の西村虚空先生にお習いしていたことがあり、古典本曲のお稽古とともに天蓋、袈裟、偈箱の作り方を教えて頂き、自分で実際に作って虚無僧行脚に出かけたものでした。夏休みを利用して九州を一周したこともあります。
虚空先生は、2回生の冬に米寿を目前に亡くなってしまい、僕自身は琴古流の道に進んでいったため、大学卒業後は「封印」していたのですが、実家に帰って探し当てたのをきっかけに「やはり手元に置いておこう」と思い、田主丸まで持ち帰って来ました。さすがにもうこれから虚無僧行脚をすることはないと思いますが、自分自身の歴史の1ページですし、「尺八本曲といえば虚無僧」なので、ライブ会場などのディスプレイくらいには使えるかもしれません。ちなみに天蓋は熊本県八代産のイグサ、袈裟は酒を濾すのに使う絞り布、偈箱は虚空先生のお宅で頂いたそうめんの箱が材料です。偈箱の文字は、虚空先生に書いて頂いたものです。
心配していた通り、天蓋が結構へしゃげてしまってました。これは畳表の材料であるイグサを編んで作っているため、使わずに保管しているとどうしてもそうなってしまいやすいのです。ただ、水をかけて形を整え、乾燥させると形が復活するらしいと聞いたことがあるので、試してみました。
「復元作業」の日は晴天にも恵まれ、どうにか往時の丸みを帯びたフォルムを取り戻すことができました。
作り方を指導して下さった西村虚空先生には、貴重な体験をさせて頂き、心から感謝しております。
「琴古流に専念」との思いで封印しておりましたが、最近は手持ちの文物や情報などは出し惜しみせずどんどん出して、沢山の人に見てもらわないとという思いに変化し、これらもいつかライブ会場などで実際に間近で見て頂くことができたらなどと考えております。
それから、西村虚空先生に教えていただいた古典本曲「鈴慕」を、もう一度吹いてみました。
虚空先生からは7曲の古典本曲を教わったのですが、そのうちでもこの「鈴慕」の曲は格別に大好きで、7曲の中でも特に詳細に手の技法を記録した譜面を自作して持っていました。
琴古流の道に進むにあたって、自分の中でも色々考えてこちらも「封印」していたのですが、この曲だけはその旋律が心から離れず、九州に戻ってきてから時々思い出したようにたまに吹いてみたりしていました。ただ、虚空先生に習った期間は2年ほどで、地無しの2尺6寸「虚鐸」は、結局理想の音が自分自身にもわからず、「曲は好きだけど吹き方がわからない」という混沌とした状態で自分の中にありました。そこが、継続してお習いすることができ、「山口五郎先生」という目標とすべき理想像が明確な琴古流本曲との違いでした。
ただ、曲自体は好きなので、色々迷ったのですが、自分自身が吹料にしている琴古流の1尺8寸で演奏してみました。ちなみに「鈴慕」以外の楽曲は、そこまで綿密な記録をしていませんでしたし、もう15年も前のことで、それ以降琴古流に気持ちを切り替えてしまったので、正直もう思い出して演奏できそうな気がしません。
吹き方や曲のイメージは、お習いしたときの記憶や譜面の書き込みに照らし合わせて、なるべくオリジナルに近いイメージにしていますが、なにぶん楽器が全く違うので、琴古流式の指づかいに所々変わったり、多少アタリが増えたりしています。
ちなみに、西村虚空先生は、この曲を浦本浙潮師から習われたということです。「浦本浙潮師は短い竹で吹かれていたのを、私が長管で吹くように変えた」との事でしたが、今度は長い竹でお習いしたのを1尺8寸に持ち替えて吹いたことになってしまいました。
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