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2018年12月26日水曜日

レガシィ納車10周年記念の日


今日はレガシィ納車10周年記念の日…
思いもかけず、クルマ屋さんへ赴くことになってしまいました。
昨日、エンジンルームから煙が出てきてしまったのです…


診断結果は、シリンダーヘッドのタペットカバーのパッキンからのオイル漏れとのこと。
水平対向エンジンの構造上、そこから漏れたオイルが下にある排気管に垂れてしまったんだそうです。

直すためには、左右両方のパッキンの交換、そして点火プラグのコードにまでオイルが染みている可能性があるので、プラグとプラグコードも交換。工賃込みで50000円コースとのこと…

うーん、頭が痛いですね…
直ちに治したいのですが、そもそも年末で部品も入らないし、どのみち持ち帰って一度家族会議だと思います。
これを治しても、また50000円コースの修理なんかが続発するんじゃ?みたいな話題になるでしょうね…

因みに、丁度10年前、平成20年12月26日の午前に納車でした。その時の走行距離はたったの9キロ。今日は昼から運転だったので、発進前にメーターを撮りました。228560キロとのことです。丁度10年で、228551キロの走行距離、よく頑張ってくれたものです。感謝ですね。

冴えない天気で、明け方の雨に車体も濡れていたので、とにかく吹き上げて記念写真。
田主丸の耳納連山とともに。




10周年のオドメーター



納車時の記念写真。ピカピカで眩いですね。



2018年12月6日木曜日

Queen

最近、Queenの映画が話題になってますね。

僕がQueenファンになったのは高校生だった1997年頃、母の影響でした。その頃はネットやYouTube、ウィキペディアなどもなく、解散(Queenの場合は正確には解散ではないのかもしれませんが)してしまったバンドの情報を得ようとすると、レコードやCDのライナーノーツや書店に置いてある数少ない書籍、これまた在庫数の少ないライブビデオくらいしかありませんでした。そうした情報量のなさによる不自由は、今考えると逆に愛好者の情熱をより一層掻き立てていたのかもしれません。

これらの中でも特に思い出深いのは、当時博多の書店で買った「Queen Live クイーンコンサートドキュメンタリー〜伝説の証」という本です。情報網が限られたであろう当時、よくこんな詳細でマニアックなものが書けたなと、今考えても感心するくらいのものです。ウィキペディアにはない味わいというか、「情報」というよりも、中身のエピソードや文書そのものが「暖かい」というか「熱を帯びている」んですよね。僕のQueenに関する知識は、ほぼこれによるものです。

それから、黒いジャケットのCDは、1992年にフレディ追悼版としてリリースされた「ボヘミアンラプソディー/These are the days of our lives」のシングル。僕が初めて買ったQueenのCDです。97年当時はまだCDショップの店頭に新品で並んでました。二枚のLPレコードは、母が若い頃買ってテープにダビングした後、そのまま持っていて譲ってもらったものです。Queen IIの「サイドホワイト」が好きで、よく父の部屋のステレオを借りて針を落としたなぁ…。僕はフレディよりも、どちらかというとブライアンのファンなんですよ。

話題がそれますが、ブライアン・メイのギターサウンドって、暖かみのある太くて丸みがある音色で、音の一番最初からすごくビブラートをかけますよね。あの音、しびれます。大学に入ってから山口五郎先生の音にとりつかれましたが、魅力の要素が似てますよね。元々、僕は尺八をやる前は小学生の頃からクラシックが好きで「チェロを習いたい」とずっと思っていたんです。そちらにはとんと縁がなく、妙なことに全く違う方向の尺八をやることになりましたが。しかし、考えてみれば、チェロの音も、ブライアンのギターや五郎先生の尺八のサウンドと似てるかもしれません。僕の中で「暖かみのあるふくよかな音色+最初からビブラート」って、心を揺さぶられる要素であるようです。

尺八をやってると、よく「なんで最近っからユリをかけるの!?」という話題になりやすいですが、そういう美意識もありますよね。なんでいけないんでしょう?クラシックとかでは当然の表現ですよね。「途中からかけるのがいい」みたいなのは、どちらかというと演歌やポップスの表現なんじゃないでしょうか?まあ、「途中からビブラート」や「ノンビブラート」を否定したり嫌ったりしている訳でもないですが。好みの問題ですよね。




2018年11月20日火曜日

新春邦楽コンサート(福岡市総合図書館)出演のお知らせ

来たる平成31年1月6日、福岡市総合図書館(早良区百道浜)で開催されます、新春邦楽コンサートに出演させて頂くことになりました。

琴古流尺八奏者3名(重兼正道、谷本 史童、山口 翔)による、古典本曲の世界をお届けします。僕は「三谷菅垣」「巣鶴鈴慕」「雲井獅子」の3曲を演奏します。

重兼さんは竹心会系、谷本さんは童門会の芸系ですので、同じ琴古流ではありますが、三者三様の展開となりそうです。もしお時間がありましたら、ぜひ足をお運びくださいませ。


2018年11月3日土曜日

愛車レガシィのクラッチ・オーバーホール

平成20年式、スバル・レガシィ2.0i(BP5型)、走行距離22万6千キロ。
もうすぐ新車で買ってから10年になろうとしていた10月14日、それは突然の出来事でした。

1年前の車検の前頃から、寒い日にクラッチのあたりからノイズが聞こえて気にはなっていたんです。クルマ屋さんに相談すると、「レリーズベアリングがダメになってるんじゃないか」とのこと。YouTubeで検索すると、同じくスバルのインプレッサで同様の症状の動画がアップされており、全く同じ音でした。しかし、修理するにはミッションのオーバーホールが必要で、費用は10万円を超えるとのこと。ちょっとその時には予算的に厳しかったので、仕方なくだましだまし乗り、予算のメドがついてからオーバーホールすることに決めました。

…そういう状態の「だましだまし」が1年ほど続いた10月14日、それまで「うっすら」だったノイズから一転した、急に心臓に悪いほどけたたましい騒音と、クラッチペダルから伝わってくる薄気味悪い振動は、「これは、直ちに修理だ!!」と瞬時に判断させるものでした。記録のために、直ちにiPhoneで撮影しました。音はあまり大きく撮れていませんが、乗っている人間には圧倒的な迫力で鬼気迫るものがありました。



以下は、Facebookに記事にしたものを、そのまま転載します。

10月15日
クルマを預けて来ました。
とりあえずミッションを降ろしてみて、レリーズベアリングとクラッチディスクの交換だけで済むならばオーバーホール、シャフトそのものがダメで、ミッション自体を変えないといけないレベルなら諦める、ということになりました。
もう、スバルでも新品のミッションの在庫はないんだそうです。また、リビルド品や中古なども適当なものがないようで、もしミッションを本格的に変えるならば、一度スバルの工場に降ろしたミッションを送り、そこで再組み立てをして送り返してもらう必要があるらしく、金額的にも無理な感じでした。工賃はかかりますが、とりあえずミッションを降ろしての判断となりました。

自分としては可能な限り治したいものですが、家族を乗せて走る車だし、来年から息子は就学だしで。どうにもならない状況というのは、否応無しにやって来ることがあるというのを痛切に実感しました。あとは、運を祈るのみです。バラすのにしばらくかかるらしく、結果は数日後になるそうです。

※この写真は、「もう、今生の別になるかもしれない」と覚悟を決め、「最後の写真かも」との思いで、クルマ屋さんをあとにしながら撮影したものです。



10月25日
レガシィのミッションを降ろして、修理できそうだという判断が出ましたので、クルマ屋さんへ行って来ました。
226千キロ走って、一度もクラッチを交換していなかったので、レリーズベアリング(クラッチを踏んだ時に、クラッチディスク側を押す所のベアリング)が完全にダメになって固着してしまっていたらしいです。
その結果、本来なら高速回転で回っているのを回転して摩擦が起きない様にしていたはずが、クラッチディスク側のパイロットベアリングというパーツに擦り付けられ続け、凄い音が出ていたんだそうです。
ただ、心配されていた「ミッションの軸がダメ」というのは回避されていたそうです。これは、動力軸そのものではなく、軸が突き出ている所の周りの円柱状の部分が、先ほどのベアリングがダメになったことで部品が傾いて斜めになったりする事で擦れて磨耗し、クラッチケース一体を交換しないといけなくなるというものらしいです。そこの所は、多少擦れた後はあったものの、ペーパー等で磨けば大丈夫なレベルだそうです。
22万キロ以上走っていて、一度もクラッチを交換したことがないことを告げると驚かれ、お世辞だと思いますが「乗り方が良かったから、これくらいで済んでいるんですよ、軽い方です」と言って頂きました。通常だと、レリーズベアリングが固着する前に、他のパーツの方がダメになるんだそうです。
クルマ屋さんに「今時、ミッションに乗るなんて、よっぽどお好きなんですね」と言われましたので、「ええ、このクルマがないと倒れてしまいそうです」と言いました。
とにかく修理出来そうだということで、本当にありがたいことです。感謝です。

久しぶりのご対面。涙が出そうです。

愛車のトランスミッション。真ん中に動力を受ける軸が出ています。この軸そのものではなく、その周りを囲っている円柱の部分(ミッションのケースと一体)にガタが来ると、「交換」となってしまうらしいです。

上が固着したレリーズベアリング。全く動かない状態だったそうですが、その内側に入れてあるパーツ(茶色の紙の上)が樹脂製だったため、何とかなっていたらしいです。その下はクラッチフォークという、クラッチを踏んだ時にテコの原理で動くパーツ。これらは全て交換となります。

エンジン側。フライホイールより手前に、クラッチディスクを切り離すためのパイロットベアリングという部品があります。

パイロットベアリングは、固着したレリーズベアリングが高速回転で当たっていたため、磨耗していました。クラッチディスク、パイロットベアリングともに交換となります。


11月2日

感涙の復活となりました。本当にありがたいことで、これからは「30万キロ」を目指して、また日々大切に乗って行こうと思っています。

走行距離は、「22万6千キロ」と思っていましたが、壊れた日に無我夢中でクルマ屋さんに持っていくうちに、いつの間にか22万7千キロを超えてしまっていたようです。




最初の映像と比べられるように、修理完了直後のエンジン始動の様子も撮影しておきました。


ちなみに、修理にかかった費用は、以下の通りです。

クラッチOH ¥60,000
レリーズベアリング ¥2,797
クラッチカバー ¥24,310
クラッチディスク ¥23,048
パイロットベアリングブーツ ¥950
クラッチフォーク ¥3,154
クラッチフォークブーツ ¥1,760
クラッチカラー ¥3,240
ミッションオイル ¥8,640
クラッチカラースプリング ¥540
クラッチカラー・グリースホース ¥3,240
合計 ¥131,679


※クルマ屋さんのご好意で、¥130,000のお支払いにしていただきました。ありがとうございました。

2018年10月29日月曜日

転菅垣

【転菅垣(Koro Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、横浜の一月寺末寺頭、青木山西向寺の本則野田意悦(虚道)より初世黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。
この曲も秋田菅垣と同様、比較的拍子がはっきりしています。大きな特徴として、曲の前半部分と後半部分がピッタリ合奏できるように作曲されていることが挙げられます。
後半部分は「コロコロ」の手を、地のように繰り返しているのが印象的で、曲名との関連を想像させます。
前回「10分で琴古流本曲シリーズ」におきましては、この前半と後半の吹合せを多重録画で再現しましたが、今回は最初から最後まで全曲通しで演奏してみました。


平成30年 10月29日撮影
撮影機材:iPhone 8

『二十四の瞳』

原作の『二十四の瞳』を読んでみました。



「読書感想文」というのは個人的にあまり好きではないのですが、尺八曲「ひとみ」が使用されたというシーンを中心に、若干所感を述べてみたいと思います。

主人公の大石先生が師範学校を出て、本村から8キロ離れた岬の村にある分教場で1年生の担任として赴任するところから物語は始まりますが、「ひとみ」のシーンはそれから18年後の最終章、世の中が戦争に突入し、その時の教え子の男子は次々に出征・戦死、大石先生自身も夫や母、3番目の子どもを戦争で失い、戦後になって何とか暮らしを立てて行くために、再び臨時教員として岬の村に赴任するんですね。そして、教え子たちの墓に参る。世の中が荒れ果てて、満足な墓石や、花を手向ける人もいない。そういう悲惨さが描かれていました。「この曲はそういう悲しさを表現しなければならない」という話がFacebook上でもありましたが、その意味がよく分かりました。

小説そのものは、書かれた時期が戦後すぐで、プロレタリア文学の要素も含まれており、作品の全ての表現や思想等に完全に共感できるかというと、それはまたちょっと違いました。自分自身教職員ではありますが、かなり「らしくない」教員だから、余計そう感じるのかもしれません。ただ、作者自身が、戦時中という激動の時代を生き抜き、肌身で感じた辛さ・悲惨さがこの作品を成り立たせているのは大いに感じられました。そして、戦前〜戦時中の、特に地方部の貧困や思想的な統制の悲惨さは、現代人である自分からして察するに余りあるものでありました。最近の戦時中を描いた映画や小説は、かなりそういう要素が薄まってきているように思います。それはもはや「戦時中」が確実に風化してきていて、戦時中のことを実感を伴って分かっていない世代が作品を生み出しているからでしょう。そういう意味で、『二十四の瞳』のような、戦時中を生きた人自身の「生の声」が聞ける作品に接するというのは、大切なことかもしれないと思いました。


話題がガラッと変わりますが、最近、15年来の「活字離れ」からようやく脱出?しました。僕の活字離れが始まったのは、大学卒業後、パソコンやネットにハマってからです。パソコンそのものの楽しさとともに、ネットは「何でも情報を瞬時に得られる」かのような「万能感」を僕に感じさせました。かつて読書していたような時間帯も、全てMac(のちにiPhone)に向かうようになりました。

しかし、以前も話題にしましたが、ネットって「何でも調べられ」そうでいて、結局は自分の好みで見るページが決まるので、毎回似たようなページをグルグルしてるんですよね。で、暇ができたり、なんか気分を変えたりしたくなると、またスマホで似たようなページをグルグルしてしまう。その結果、脳内の使用部分が固着してくる…。僕の場合はそういう循環になりがちです。

それに対して、やはり活字の印刷物というのは手触りや見た目にもアナログな質感があり、そして本を読んでいる最中も「データ」「情報」としてだけでなく、「文章を味わえる」感が強いような気がします。人間の五感に直接訴えるものが強いんですかね。そういう要素は、クルマのエンジンをかけるとクランクシャフトやカム、ギアなんかが駆動して伝わってくる振動や音、楽器を演奏する時の楽器の材質からダイレクトに空気の振動に変換される感覚なんかとも似ている気がします。また、文学作品を通じて、自分自身でネット検索するのとはまた全然違った、筆者の思想や教養に触れることができ、読み終わった時の自分の中の蓄積の質が異なっているような気がします。最近では漱石の『猫』なんかでそういう感触がありました。

iPhone自体も好きで、ネットをしなくなった訳ではないんですが、最近はなるべく「スマホをしたくなったら読書」にしています。

2018年10月15日月曜日

秋田菅垣

【秋田菅垣(Akita Sugagaki)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、秋田にて、梅翁子から初代黒沢琴古が伝授された曲であるとのことです。

「すががき」とは、古来、和琴や雅楽の箏などの奏法用語だったものが、17世紀中頃から箏、三味線、一節切など、楽器の垣根を越えた共通の要素を持つ楽曲名となったもの。
「六段の調」も、昔は「六段菅垣」と呼ばれていたそうで、この「すががき」が原曲になって多種多様な楽器の楽曲が成立・伝承されていったようです。
琴古流に伝わる「秋田菅垣」と箏曲の「六段」は、元をたどれば先祖が同じ、とも言えるわけです。
拍節が明瞭ではない曲が大半の尺八本曲の中にあって、「○○菅垣」というタイトルを持つ曲は、比較的拍子がはっきりしているものが多く、糸の曲が元になっていることを伺わせます。


平成30年 10月14日撮影
撮影機材:iPhone 8

堀井小次朗作曲「ひとみ」(映画『二十四の瞳』挿入曲)

10月5日、Facebookでお知り合いの中国の尺八愛好家、唐言周子さんの投稿をシェアさせて頂いたご縁で、堀井小次朗作曲「ひとみ」に挑戦する機会を得ました。


実はその前日、スペインの尺八奏者、 Rodrigo Rodriguez さんが投稿された、「二十四の瞳」の演奏動画を拝見したのです。



連続して翌日の唐言さんの投稿で、ご縁を感じ、まずは琴古譜を作成しました。






譜面作成にあたっては、関西在住のとある琴古流尺八家から資料を見せて頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。さらに、その後も、Facebook上でたくさんの方が、ご自身の習われた譜面を公開して下さったり、曲に対する熱いコメントを書き込んで下さったりしました。僕の知らなかったこの曲が、こんなにもたくさんの尺八奏者に愛されていたということに、驚きました。

というのも「二十四の瞳」は、日本の有名な映画の一つだといえると思いますが、その音楽に尺八が使われていたこと、そして作曲が堀井小次朗師であること自体を初めて知ったのです。
しかも、それを知ったのが、海外のお二人の尺八家のおかげだというのも、とても印象深いことでした。

七孔尺八らしい音の滑らかなつながりや、民謡のような装飾音の入り方が、僕としてはとても新鮮です(自分は5孔で演奏しましたが)。「尺八本曲」「地歌箏曲」以外に、中々「日本の魂」を感じることができる尺八独奏曲を見つけることができなかった自分にとって、この楽曲はとてもインパクトがある作品でした。

琴古流にはない、流れるような連続音や、転ぶような装飾音の連続が印象的です。

いつも同じところばかり使っている脳の回路が、新鮮な刺激を受けています。


2018年9月30日日曜日

再び、琴古流本曲を最初から

本曲を、また最初に戻ってもう一巡することにしました。まずは「一二三鉢返調」、「瀧落の曲」からです。


本日午前中、演奏を撮影しました。両方とも「10分で~」シリーズで公開した曲ですが、あのとき抜粋した「瀧落」も、今回は「全曲」です。

以前のようにシリーズ化するつもりはないのですが、折角本曲をまたもう一巡するなら、なにか目的があった方がとも思い、それなら「全曲」で行こうと思ったわけです。
ただ、「10分で~」のように、「毎月一曲」とかノルマのようになると、目的と方法が逆になったりするかもしれませんので、今回はお気楽?に、マイペースで「撮影・公開したい時」にやることにしました。ですので特段シリーズ名などありませんが、あえて言えば「webおさらい会」のようなもんでしょうか。


【一二三鉢返調(Hifumi Hachigaeshi no Shirabe)山口 翔】
「調べ」とは、「竹調べ」ともいい、尺八音楽において実際に楽曲を演奏する前に竹を暖め、息を整えるための短い楽曲を指します。

この「一二三鉢返調」は「一二三調(ひふみのしらべ)」「鉢返(はちがえし)」の二曲が合わさって成立しています。「一二三調」とは「いろは」「ABC」などと同じく「手習い」「初学曲」といった意味合いを持っています。また「鉢返」とは、虚無僧が偈箱(げばこ)を返す際、米銭などの喜捨への返礼の意味を込めた曲と言われ、虚無僧同士が出会った際には礼法として奏し、互いに名乗り合う(合図高音)習慣もあったとのことです。2曲とも曲の末尾の旋律が同一のため、このように繋げて演奏するようになったようです。

黒沢琴古が遺した手記『琴古手帳』の中の「当流尺八曲目」には曲名が見当たりませんが、2代目荒木古童(竹翁)の頃には現在の形で演奏されるようになったとみられ、『三浦琴童先生著拍子記号附 琴古流尺八本曲楽譜』(いわゆる「三浦琴童譜」)には、表曲の冒頭に掲載されています。なお、同楽譜においては、さらに「寿調(ことぶきのしらべ)」をも合わせ「一二三鉢返寿調」として清書されています。

曲の後半部に、荒木竹翁が「波間鈴慕を参考にした」とする「竹翁先生入レコノ手」が挿入され、聴きどころの一つとなっています。

平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8




【瀧落の曲(Takiotoshi no Kyoku)山口 翔】
『琴古手帳』の「当流尺八曲目」によれば、下総一月寺の御本則、小嶋丈助(残水)より初代琴古が伝授された曲であるとのことです。

伝説によれば、伊豆の修善寺の旭滝の傍にあった瀧源寺の住職が、滝の落ちる様を竹の調べに移したものということです。古典本曲各派に同名曲が伝わっており、そちらでは「たきおち」と読むことが多いようですが、琴古流では「たきおとし」と呼びます。

「ツレゝゝ、ゝツレゝ、リウレゝ、ツロへツレロ」という、瀧落ならではの旋律系が繰り返され、呂(乙、第1オクターブ)を主体とした前半部、甲(第2オクターブ)に移行した高音(たかね)の中盤、そして再び呂に落ち着いた後半部から成っています。後半部では、「ナヤシ」を除くことで、前半部とは異なる雰囲気となっています。譜面では呂の前半部をもう一度繰り返すよう指示されていますが、現行では繰り返しを省き、中盤に移ることが殆どのようです。


平成30年 9月30日撮影
撮影機材:iPhone 8



2018年9月25日火曜日

観月会での石橋旭姫さんとの共演

昨晩は、久しぶりに(本名名義に戻ってからは初)演奏の機会を頂きました。

ジャズドラマーの榊 孝仁氏のプロデュースのもと、筑前琵琶の石橋旭姫さんとご一緒に、福岡市内の「観月会」での演奏でした。筑前琵琶との「あつもり」、琴古流本曲の「鹿の遠音」、福田蘭童の「月草の夢」等を演奏させていただきました。

しばらく生演奏の機会から遠ざかっていましたが、今回はいろんな意味で大きな刺激を受け、またこれからも尺八の演奏に一生懸命取り組んでいこうと、気持ちを新たにすることができました。

また、お二人とは楽屋や終演後の反省会でいろんなお話でおおいに盛り上がり、大変楽しいひとときを過ごさせて頂きました。本当にありがとうございました。

写真は、石橋さんが撮って送ってくださったものです。



2018年9月16日日曜日

何のために尺八を吹くのか

何のために尺八を吹くのか

最近、そんなことをよく考えます。
音楽なんだから、「自分の人生を豊かにするため」でしょう?

「伝統を守るため」「先人の芸を受け継ぐため」などという言い方もよく聞きますが、そういう要素が含まれていたとしても、やってる当人が充実感や喜びを感じていないと、文化として楽しめませんよね。

たくさんの素晴らしい楽曲を伝えてくれた先人には心から感謝しつつ、それを演奏する自分自身、そしてこれから先、邦楽を演奏するであろう次世代の幸せのために、僕は尺八を続け、伝えていきたいと思っています。


「『先人』や『組織』のため」ではありません。

2018年8月4日土曜日

10分で琴古流本曲(番外編)「虚空鈴慕」

昨年度末に完結した「10分で~」シリーズですが、この夏、「久しぶりに虚空鈴慕が吹いてみたいな」と思い、そういえば「10分で~」シリーズでは本手だけの形で「虚空鈴慕」を公開していない(本手・替手の多重録画、ライブ演奏版はあり)ことを思い出し、急遽紋付を着て撮影してみました。(H30夏の酷暑の中、エアコンを最低温度の「17度」に設定して袷の紋付に身を包みました。)

「霧海篪鈴慕」の解説でも申し上げましたが、尺八本曲は、禅宗の一派とされる普化宗(ふけしゅう)の虚無僧たちの宗教音楽であり、この曲は、尺八本曲中、もっとも格式高い曲として扱われる「古伝三曲」の2曲目となります。

『虚鐸伝記』と呼ばれる普化宗の伝来記によれば、我が国に普化尺八をもたらした禅僧・覚心の高弟である寄竹(虚竹禅師)が、修行行脚中、伊勢の朝熊(あさま)山の虚空蔵堂にて、夢の中で聞いた妙音をもとに作った曲とのことです。その時、霧のたちこめる海上かなたから聞こえてきた曲を「霧海篪(むかいぢ)」、霧が晴れわたった空から聞こえてきた曲を「虚空(こくう)」と名付け、尺八最古の曲「虚霊」と合わせて「古伝三曲」として別格に扱われるようになったのだそうです。

この伝説の真偽のほどはさておき、「虚空」は様々に伝承されてきた古典本曲の中でも名曲として人気があり、古典本曲を伝承する各流各派において大切に伝えられてきた特別な楽曲の一つと言えるでしょう。特に冒頭の「ツレー、レー、レー、チチーウー」の旋律は、流派ごとの味付けの違いはあれど、聴いた瞬間「ああっ、虚空だ!」とグッとくるものがあります。また冒頭フレーズのあとの落ち着いた乙(呂)音の続く味わい深い低音部、一転して緊張感あふれる三のウやヒ、チの連打などの差し迫った展開から、後半はリズミカルに乗っていくなど、「虚空」ならではの形というか、曲の個性というものがとても印象的な楽曲です。

個人的な感想として、どこかモヤっとした捉えどころのなさを持ち、ある種の「混沌」を表している「霧海篪」に比べ、「虚空」は曲の旋律や構成の均整がとれた美しさを持つ楽曲のように思われます。地歌箏曲に例えるなら「八重衣」にでも当てはまるのではないでしょうか。

全曲演奏すると25分程かかる大曲ですが、曲の構成を崩さないよう気をつけながら、各所から少しずつ抜粋して10分の演奏としました。

琴古流本曲としては、初代黒沢琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺・正寿軒にて一計子より伝授されました。なお、琴古流では当初「虚空」として伝えられた曲名が、伝承されるうちに「虚空鈴慕」となって今日に至っています。



※ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2018年8月3日金曜日

三浦琴童譜の入れ物

私事ですが、常に尺八、つゆきり、そして三浦琴童譜は、どんなときも持ち歩いています。これは、高校時代に父の知り合いのギタリストが、僕に小銭入れを開いて、中にピックが入っているのを見せて下さり「ミュージシャンはね、いつも持ち歩いているんだよ!」とおっしゃったという思い出が、おそらく影響しているのですが…

…そういうわけで、僕も「ミュージシャン」のはしくれですので、常に尺八(二つ折りすれば、カバンに簡単に入る)、つゆきり、そして三浦琴童譜(琴古流の原点である、尺八本曲が全て記録されている)は、仕事に行くにも私用で出かけるにも、必ずカバンに入れているわけです(例外として、修学旅行、林間学校など、職務上いざという時は荷物をかなぐり捨てなければならないかもしれないときだけは、家に置いていきます)。

さて、何の話か分からなくなってきたのですが…、…そうそう、で、その「三浦琴童譜」を持ち歩いていると、周りとぶつかったり、ひどい雨の時は浸み込んだりするかもしれないということで、100均で購入したA4サイズのチャック付きケースに入れています。

これは非常に優れもので、ビニールで出来ているのでそんなに簡単には水を通さないのと、結構分厚いので本の保護もしてくれます。さらに、三浦琴童譜を入れた状態で縦に二つ折りできるため、背中に背負うような細長いカバンにも、二つ折りした吹料とともにすっぽり入ってしまうのです。



ところが最近、数年の使用の結果、だいぶこのケースが痛んできましたので、100均の有名店「ダイ⚪︎ー」に新しいのを買いに行きました。しかし…、以前ちょうどよかったサイズよりもなぜかどれも小さく、「ピッタリA4サイズ」という感じで、三浦琴童譜2冊を入れるとピッタリすぎて「二つ折り」になってくれないという問題が発生してしまいました。

仕方がないので、様々な「ダ⚪︎ソー」の店舗を周りましたが、どの店舗でも「ピッタリA4サイズ」ばかりで、ちょうどいいのがありませんでした。

諦めかけていたところ、本日たまたま、「⚪︎イソー」さんとは違う「Can★Do」という100均を発見し、チャック付きケースの売り場を確認したところ、なんと以前の通りすこしゆとりのある、理想通りのサイズのA4版のケースが「クリア・ポーチ」の商品名で売ってありました。



直ちに購入し、早速三浦琴童譜を入れてみたところ、これまで通りいい感じに入りました。一安心でした。





※ダイソ⚪︎さんの現行商品とは、これだけ大きさが違います。

2018年7月31日火曜日

【而今の会・webゆかた会演奏会『夕顔』】

暑中お見舞い申し上げます。
記録的な酷暑が続きますが、皆様どうぞご自愛下さいませ。

さて、「而今(にこん)の会」のブログにも掲載させて頂きましたが、「webゆかた会」と銘打ちまして、再びメンバー3人での「オンラインの共演」による三曲合奏公開を企画いたしました。曲は「夕顔」です。ご覧いただけますと幸いでございます。

※詳しくは、「而今の会ブログ」をご覧ください。


2018年7月16日月曜日

ベビーパウダー2

今日の練習で、アゴだけでなく尺八側のこの面にもベビーパウダーを塗っておくと、汗の滑り止めがより持続するらしいことが分かりました。

15分くらいは持ちそうです。猛暑下の環境では試してませんが…

※写真のブルーはベビーパウダーではなく、アプリによる着色です、念のため…


2018年6月26日火曜日

「アゴあたりの汗問題」解決へ向けての仮説

ここ数年の僕の悩みのひとつが、「アゴあたりの汗問題」すなわち、夏の演奏中に汗をかいて、尺八とアゴの接点(アゴあたり)がズルズルになり、音が出なくなるという問題でした。尺八はエアリード楽器のため、歌口に適切な角度で息のビームが当たり続ける必要があり、そのためには適切なポジションのアゴあたりが演奏中にキープされ続けなければなりません。しかし僕は汗かきのため、上記のような問題が発生してしまい、特に演奏時間の長い楽曲などで苦戦を強いられてきました。



そこで昨年思いついたのが「ベビーパウダー作戦」で、演奏前にアゴあたりにベビーパウダーを塗っておき、ズルズルを防ぐというものでした。この作戦で「而今の会」の『笹の露』に挑んだのですが、残念なことに10分くらいはもつのですが、中盤よりベビーパウダーの下から汗が染み出してきて、結局元の木阿弥になってしまいました。急遽、大庫さんからお借りした「両面テープ作戦」を思いつき、アゴあたりに両面テープを貼って固定(!?)という荒技に出たのですが、結果的にはこれも汗がしみると粘着力が低下してダメでした。『笹の露』では、「長い掛け合いのときにサッと汗を拭う」という、非常に原始的な作戦でなんとか最後まで乗り切りました



さて、いよいよ今年も夏がやってきました。「アゴあたりの汗問題」がトラウマになって、梅雨時期にしてはやくも練習中はクーラー全開です。そういう状況の中、夏のエアコンなしの会場での演奏機会にも備えなければという心の声も去来していたのですが

本日、思わぬところから、解決の糸口になりそうなヒント?がやってきました。それは「二尺」です。



Facebookの投稿では詳しく書いたりしたのですが、簡単に言うと一番最初の都山流の師匠、故・来田笙山師の遺品の二尺(都山管ですが)で最近『融』の練習をしていたのです。で、二尺を吹くと調子がいいので今日も練習の冒頭は二尺を吹いていたのですが、その時のアゴあたりのフィーリングが、いつもの吹料の八寸よりも「うすく」感じられたのです。そして、そのフィーリングで八寸を吹くと、なんだか吹きやすい!!

どういうことなのかなと考えながらあれこれ吹いてみたのですが、その結論として、アゴあたりを「面」として捉えるのではなく、内径のアゴあたり側を「エッジ」のように「線」として捉え、ナイフの刃先がアゴに接しているかのようなイメージを持てば、多少汗ばんでも音出しのフィーリングが変わらない、という仮説に行き着きました。

つまり、尺八がアゴに接している部分が、



から



へと変化したようなイメージです。


おそらく、「面」で接地場所を認識するよりも、「線」で認識したほうが、歌口と口の穴との位置関係がより一層精密になるのではないかと思うのです。


これはあくまで、今日までの段階で得た仮説なので、これから暑い場所で汗をかきながら吹く練習なども実際に行いながら、試行錯誤していきたいと思います。



ネットなんかで検索しても、なかなか尺八の「アゴの汗対策」なんて、載ってないんですよね。

2018年5月12日土曜日

YouTube演奏動画を投稿してわかったこと

おかげさまで、YouTubeにアップした動画のうち、昨日(5月11日)に「六段」が、本日(12日)に「web尺八セミナー・黒髪」が、視聴回数1万回を突破しました。
視聴してくださった皆様、本当にありがとうございます。



さて、それを記念して…というわけでもないですが、僕がYouTubeに尺八の古典曲をアップし始めて気付いたことを、ちょっと話題にしてみたいと思います。


まず、僕がアップした楽曲については、以下のようになっています。

1、「web演奏会」(最初期)
まだ「演奏動画」ではなく、「演奏録音に写真を貼り付けてスライドショーにしたもの」です。自宅で演奏できなかった時代に、演奏をYouTubeにアップしようとして作りました。
曲目:一二三鉢返調、虚空鈴慕、鹿の遠音、夕暮の曲、六段本手替手合奏

2、「web演奏会」
琴古流本曲全曲を10分程度に抜粋して収録した「10分で琴古流本曲」シリーズと、外曲を数曲、素吹き(尺八のみ)にて演奏しました。
曲目:琴古流本曲全36曲、六段、八千代獅子、千鳥本手替手、岡康砧、さらし、茶音頭、末の契

3、共演者との演奏動画
筑前琵琶との合奏、都山流尺八奏者との「夕顔」の吹合せ、「鹿の遠音」等の琴古流奏者同士の共演など

4、ライブ映像
虚空鈴慕、鹿の遠音、真虚霊等

5、ジョイントweb演奏会
小鳥の歌(宮崎紅山さん)、秋の七草、千鳥の曲(大庫こずえさん)、黒髪(東啓次郎さん)、鹿の遠音(中村 建さん)

6、その他
ラジオ体操、福田蘭童曲、web尺八セミナー、古典本曲・鈴慕…



これらのうち、平成30年5月12日現在で視聴回数ベスト3が、

1、六段(素吹き)10,054



2、web尺八セミナー「黒髪」10,010



3、ジョイントweb演奏会「千鳥の曲」(大庫さんと)9,520

となっています。


続いて、
4、八千代獅子(素吹き)4,231
5、一二三鉢返調3,329
6、ジョイントweb「黒髪」(東さんと)2,435
7、夕顔(猿渡伶山さんと都山・琴古吹合せ)2,169
8、ジョイントweb「秋の七草」(大庫さんと)1,610
9、滝落の曲1,600
10、ジョイントweb「小鳥の歌」(宮崎さんと)1,596

以上がベスト10です。

ちなみに、「視聴回数1000以上」は、この他に

六段本手替手(スライドショー)1,247
秋田菅垣1,161
鹿の遠音(スライドショー)1,145
九州鈴慕1,040
がありました。




さて、これらの楽曲には、公開してからの時間差があり、視聴回数だけでは単純に考察できないところもありますが、それでも傾向として読み取れることがあると思います。


まず、「本曲よりも外曲の方が見てくれている」というのがあります。
それから、「ジョイントweb」などの「共演もの」は視聴回数が伸びる傾向があるようですね。

そして何よりも、ズバリこの結果から言えることは「初傳曲の有名曲で、みんながよくやる曲が視聴回数が多い」ということが言えるのではないでしょうか。


その理由は、やはり「音源」としての利用が最も多いからなのではないでしょうか。奏者の心情としては複雑なところですが、どうしても三曲の古典は「鑑賞対象」というよりも、「やっている人のための音楽」なんですね。それは、以前の記事「「日本版パトロン制」としての家元制度」に述べた考察とも関連すると思います。

つまり、「尺八の古典をやっている人」の中で、最も演奏される機会が多いのが「初傳の有名曲(六段、千鳥、黒髪…)」であるため、それらのアクセスが多いというわけです。すると、本曲の中で「一二三鉢返調」が最も視聴回数が多いというのも、うなずけますね。本曲の中で最初にやる曲ですから。


あと、それ以外に気付いた点としては、以下のようなものがありますので、箇条書きにしてまとめておきます。

・演奏音源に写真をつけたものよりも、奏者自身が演奏している姿が映っている動画の方が視聴回数が増える。
・一人で多重録画した「本手・替手」合奏は、あまり視聴回数が伸びない。
・普段着の着物だと、紋付よりも視聴回数が落ちる。
・公開日は平日、それも木曜日あたりが、視聴回数が増えやすく、土日だとそこまで伸びない(「リアルが充実」しているときはあまりYouTubeを見ないため?)。同じ理由と思われるが、年末年始もあまり視聴回数は伸びにくい。
・ひと月に2回以上の動画公開をすると、新鮮味がなくなって視聴回数が伸びない。
・琴古流本曲の中で視聴回数が伸びやすいのは、一二三鉢返調、滝落の曲、秋田菅垣、古伝三曲、夕暮の曲、巣鶴鈴慕、三谷菅垣、鹿の遠音。…やはり、人気曲が伸びますね。

2018年5月6日日曜日

虚無僧の天蓋と、「鈴慕」の曲

GW帰省の折、実家の倉庫に片付けていた、学生時代の虚無僧の天蓋、袈裟、偈箱を探し出し、持ち帰って来ました。



大学1〜2回生の頃、熊本市在住の西村虚空先生にお習いしていたことがあり、古典本曲のお稽古とともに天蓋、袈裟、偈箱の作り方を教えて頂き、自分で実際に作って虚無僧行脚に出かけたものでした。夏休みを利用して九州を一周したこともあります。

虚空先生は、2回生の冬に米寿を目前に亡くなってしまい、僕自身は琴古流の道に進んでいったため、大学卒業後は「封印」していたのですが、実家に帰って探し当てたのをきっかけに「やはり手元に置いておこう」と思い、田主丸まで持ち帰って来ました。さすがにもうこれから虚無僧行脚をすることはないと思いますが、自分自身の歴史の1ページですし、「尺八本曲といえば虚無僧」なので、ライブ会場などのディスプレイくらいには使えるかもしれません。ちなみに天蓋は熊本県八代産のイグサ、袈裟は酒を濾すのに使う絞り布、偈箱は虚空先生のお宅で頂いたそうめんの箱が材料です。偈箱の文字は、虚空先生に書いて頂いたものです。




心配していた通り、天蓋が結構へしゃげてしまってました。これは畳表の材料であるイグサを編んで作っているため、使わずに保管しているとどうしてもそうなってしまいやすいのです。ただ、水をかけて形を整え、乾燥させると形が復活するらしいと聞いたことがあるので、試してみました。






「復元作業」の日は晴天にも恵まれ、どうにか往時の丸みを帯びたフォルムを取り戻すことができました。

作り方を指導して下さった西村虚空先生には、貴重な体験をさせて頂き、心から感謝しております。
「琴古流に専念」との思いで封印しておりましたが、最近は手持ちの文物や情報などは出し惜しみせずどんどん出して、沢山の人に見てもらわないとという思いに変化し、これらもいつかライブ会場などで実際に間近で見て頂くことができたらなどと考えております。




それから、西村虚空先生に教えていただいた古典本曲「鈴慕」を、もう一度吹いてみました。


虚空先生からは7曲の古典本曲を教わったのですが、そのうちでもこの「鈴慕」の曲は格別に大好きで、7曲の中でも特に詳細に手の技法を記録した譜面を自作して持っていました。
琴古流の道に進むにあたって、自分の中でも色々考えてこちらも「封印」していたのですが、この曲だけはその旋律が心から離れず、九州に戻ってきてから時々思い出したようにたまに吹いてみたりしていました。ただ、虚空先生に習った期間は2年ほどで、地無しの2尺6寸「虚鐸」は、結局理想の音が自分自身にもわからず、「曲は好きだけど吹き方がわからない」という混沌とした状態で自分の中にありました。そこが、継続してお習いすることができ、「山口五郎先生」という目標とすべき理想像が明確な琴古流本曲との違いでした。

ただ、曲自体は好きなので、色々迷ったのですが、自分自身が吹料にしている琴古流の1尺8寸で演奏してみました。ちなみに「鈴慕」以外の楽曲は、そこまで綿密な記録をしていませんでしたし、もう15年も前のことで、それ以降琴古流に気持ちを切り替えてしまったので、正直もう思い出して演奏できそうな気がしません。

吹き方や曲のイメージは、お習いしたときの記憶や譜面の書き込みに照らし合わせて、なるべくオリジナルに近いイメージにしていますが、なにぶん楽器が全く違うので、琴古流式の指づかいに所々変わったり、多少アタリが増えたりしています。


ちなみに、西村虚空先生は、この曲を浦本浙潮師から習われたということです。「浦本浙潮師は短い竹で吹かれていたのを、私が長管で吹くように変えた」との事でしたが、今度は長い竹でお習いしたのを1尺8寸に持ち替えて吹いたことになってしまいました。

2018年5月3日木曜日

「ネイティヴ琴古でない」からこそ

僕が12歳で尺八を始めたときにお習いした先生は、都山流の方でした。
それから18歳で大学に進学し、琴古流の道を志すまでの6年間、古曲も本曲も都山流の尺八で学びました。

都山流と琴古流では、技法や譜面などに大きな違いがあります。
古典の演奏で使う特殊技法は、それぞれの流派に特徴的な手がありますが、それらについては琴古流に移行したときに「新規」の技法として習得したため、特に大きな違和感はありませんでした。自分の中で最も困ったのは、実は「譜字」つまり指づかいに対する名称の違いでした。

尺八には基本的な指づかいが5つあり、そのうち4つ目までは両流派とも同じく「ロ、ツ、レ、チ」と呼びます。最初に習った都山流では、5つ目の音は「ハ」と呼んでいたのですが、琴古流では「リ」と呼ぶのです。初めて琴古流のお稽古に通ったときには、「都山のハ=琴古のリ」というのは知識としては知っていたのですが、いざ「リ!」と先生から言われると即座に反応できない自分がいました。

しかも、実はもっとややこしいことに、都山では乙(おつ=第1オクターブ)でも甲(かん=第2オクターブ)でも「ロ、ツ、レ、チ、ハ」と共通なのに対し、琴古は乙は「「ロ、ツ、レ、チ、リ」、甲は「ロ、ツ、レ、チ、ヒ」と、呼び方が変わるのです(指づかいもリとヒでは少し違う)。さらに、それら5つの音の次の「6つ目の音」があり、都山流では「ヒ」と呼んでいたのです。この都山の「ヒ」と、琴古の「ヒ(=リの甲)」を混同してしまう。さらにさらに、では琴古流では「6つ目の音」を何と呼ぶのかというと、「5のヒ」と呼ぶのです。…もうなんだか書くのもややこしいというか、尺八をやらない方にとっては何が何だかも分かりませんよね…

なぜこんな話題を出したかというと、僕はこの「譜字に慣れない」という戸惑いを出発点として、何度「ああ、最初に尺八を始めるときから琴古流だったなら…」と思ったか分からないのです。それは、琴古流を始めてから6年が過ぎ、もはや都山流を演奏していた時間の長さよりも琴古流のキャリアの方が長くなってきたときに、より一層そう思うようになっていました。どうしても、少年期に習った「最初の記憶」は、なかなか刷新されないのです。都山流から琴古流に移った人ならば察しがつくと思いますが、琴古流の古典的な要素に憧れて転門したこともあって、自分自身の中にどうしても「ネイティヴ琴古流」を羨む気持ちが根強かったわけです。



しかし、今思えば「都山流を勉強したことがある」というのは、自分にとって大きな財産でもあったわけです。最近、それを強く感じるようになりました。



一般的に「琴古流の方が古典の演奏に向いている」というイメージがあります。しかし、果たしてその認識を無批判に太鼓判を押して良いものか、僕は深く考えるようになりました。琴古流は、基本的に箏・三絃に「ベタ付け」です。「糸を邪魔しない」ともよく言われるのですが、要するにユニゾンなんですよ。僕は「ユニゾン」というものにも大変素晴らしい音楽的魅力を感じる場面も多く、決して同旋律であるから工夫がないなどという思いはありませんが、曲によっては「ああ、都山の手付けって、やっぱり都山ならではの工夫があるなあ」と思うことがあります。

その最たる例が「千鳥の曲」です。この曲は、もともとは胡弓の本曲だったそうですね。都山流の技法は胡弓の奏法にヒントを得ていることもあり、「千鳥」の手も中々に曲調にマッチングした面白い手付が多いです。「千鳥」は初傳曲のため、当然少年時代にまず都山流で習っています。そのときの曲のイメージで琴古のベタ付けを吹くと、あまりに箏本手の旋律のまんまなんですよ。「ネイティヴ琴古」を羨む気持ちから「…いや、都山には都山の工夫があるんじゃない?」という認識に変わるきっかけをつくってくれた楽曲です。


都山流に対する批判で多いのは「手がうるさすぎて糸を邪魔する」というものです。確かにちょっと一癖ある手が盛り込んである楽曲も多く、僕も違和感を感じる時は多いです。ただ、両方の古曲、譜面を経験した上で思うのは、手付のクセは確かにありますが、最大の都山流の問題は、「譜面に糸の手が書いていない」「そのため、本手に対して替手を吹いているという意識が薄い」ことにあると、僕は見ています(琴古流は、本手とは違う旋律のところは、糸の音が併記してある)。対して琴古流は、「ユニゾン」の要素が威力を発揮している時はいいのですが、悪い言い方をすると「無難」で、ソツなく破綻せず合奏が出来上がってしまうところがあります。アタリとかスリとかの技法で「味」が出しやすいので、そこまで工夫せずとも格好が決まりやすいのかもしれません。そういうところに慢心せず、自分自身の表現によってしっかりと「音楽的工夫」を創出して行きたいものです(別に都山流の手を真似したいという意味ではありません)。



フリーランスな琴古流尺八奏者に転じて、あらためて「都山流をやったことがある」という経験を持つことができたことに感謝の念を抱いています。都山と琴古でどっちがよいとか、そんなことでお互い競い合うようなことは、もう本当にやめたほうがいいと思います。琴古流はどうしても歴史が長いために、特に古典の演奏で長じていると感じやすいケースが多いように感じますが、僕は都山流の工夫で優れたところは素直に素晴らしいと感じたいなと思います。同時に、琴古流がそこまで「伝統的な優位性」を主張する裏には、圧倒的な都山流の尺八人口を嫌が上にも意識しているという面も見え隠れするように感じます。しかし…もう、尺八人口自体が激減していて、そんなことでライバル意識で張り合っている場合ではないですし、ともに仲良くしていったほうがいいんじゃないですか?僕は、そうして行きたいです。

2018年4月24日火曜日

「廃れる」のであれば…

「三曲」という音楽ジャンルを愛する者として書きますが、今後将来、三曲が再び以前のような(全盛期は昭和後期だそうですが)演奏人口や活況を取り戻すことが難しいのは、もはや誰の目にも明らかだと思うんですよね。

圧倒的な情報量を背景に、ありとあらゆる国の様々な音楽や文化を、自分自身で選択して楽しむことができる時代になったというのもありますが、「人気のジャンルも廃れるときが来る」というのは、何も邦楽に限ったことではないようで、とあるニュースに衝撃を受けています。

僕は邦楽以外に「ロック」という音楽が好きなのですが、ロックギター好きなら誰もが耳にしたことがあるであろう「Gibson(ギブソン)」というギターメーカーが、実は倒産の危機に瀕しているんだそうです。2018年に入ってから、各種メディアや個人のブログなどにおいても盛んに話題にあがっています。レッド・ツェッペリンのジミーペイジが弾く、あのレスポールに憧れた身としては驚きを隠せませんが、もはや「ロック」自体が若者に支持される音楽ではなくなってきていて、「若者のギター離れ」という言葉もあるんだそうです。ちなみに、Gibsonと双璧のギターメーカー「Fender(フェンダー)」社も、経営難だそうです。認めたくなくてもやはり「時代の流れ」というものは、確実に存在するんですね。

※Gibson社の倒産危機に関する記事やブログ等
https://www.huffingtonpost.jp/2018/02/19/gibson2018_a_23365835/
http://guitardoshiroto.blogspot.jp/2018/02/gibson.html

こういうことは何も現代に限ったことではなく、例えば邦楽の歴史上でも一節切尺八などのように廃絶してしまった楽器もあります。江戸時代中期に衰退してきた一節切を、文政の頃、神谷潤亭という人物が「小竹」と名を変えて復興運動を試みたそうですが、難しかったようですね。



もうこうなったら、我々邦楽奏者自身が「本当にいいな」と心から思う曲を、一緒に演奏したいと思う相手とともに、楽しんで演奏するほかないと思うんですが、いかがですか。僕ら自身が難しい顔をしていたら、もはや誰にも魅力的な音楽とは感じられないと思うんですけど…

2018年4月15日日曜日

「日本版パトロン制」としての家元制度

「なぜ日本の伝統音楽は、アイルランド民謡などのように、一般市民の生活の中に深く入り込んでいないのか」、そんな話題がネット上にありましたので、私見を述べてみたいと思います。


出典を失念してしまいましたが、僕が聞いた説明の中で最も腑に落ちたのが、「家元制度」とは、日本版のパトロン制度である、という見解です。

「パトロン制度」とは、ヨーロッパのルネサンス期などに、巨大な富を持つ王侯貴族が、自分の財政的・文化的な力を誇示する側面も込みで、お気に入りの画家や音楽家などを自分専属の「お抱え芸術家」として生活の一切を養いつつ、作品を作らせることですよね。

音楽に限らず、芸術のお仕事をされる方なら納得いくと思いますが、とにかく「芸術で食っていく」というのは難しい。かのモーツァルトも、自分を雇ってくれるパトロンを求めて、長い長い旅を続けたのだといいます。逆にパトロンに雇われると、その王侯貴族の依頼に応じて好まれる楽曲をかき、暮らすことができる。故に、モーツァルトの曲は、クラシックの中でもそんなに曲長が長くなく、明るく軽妙洒脱で耳に入りやすい楽曲が多いですよね。

しかし、日本の場合は、ヨーロッパのような圧倒的に巨大な富を持つパトロンが芸術家を囲うようなスタイルにならなかった。その代わりとして生まれたのが家元制度だといいます。つまり、「芸術家(家元)」を沢山の門人が分担してお月謝や会費、免状代などで支えるような形態が出来上がったわけですね。



そういうスタイルだと、芸術家は門人に楽曲を「伝授」することによって、この体制を維持することになります。つまり、門人が「勉強し続ける」ための楽曲が必要なわけで、魅力的な曲であればあるほど「秘曲」として中々教えてくれなくなり、また奥の曲ほど曲長も長く、曲調も難解に。「味」を出すのも難しく、長い修行を経ないと曲の雰囲気が出ない、ということになってしまいます。地歌箏曲でも尺八本曲でも、長い曲だと一般人の自然な集中力では鑑賞が難しいほどの長大な楽曲が存在します。また、「この曲の良さが分かって一人前」みたいな、難解な「奥の曲」なども存在するようになるわけです。

もちろん、僕はそうした「奥の曲」を否定しているわけではありません。そういう曲の中にも、純粋に音楽的に大好きな曲が、数多く存在します。地歌箏曲の「八重衣」などは、全曲を通すと30分に迫る大曲ですが、あれだけ長いのに曲中の全ての旋律が光り輝いていて全く飽きが来ず、あっという間に時が過ぎていくのが信じられないくらいです。しかし(純粋に技術上の難易度の高さもありますが)、その「八重衣」を習うためには、長い修行を積んで奥の奥まで行かねばならない。例え習ったとしても、若いうちや、まだ習って月日を重ねないうちは「本物でない」ということで「お勉強」を積み重ねることになる。そうすると、とてもとても一般市民がその素晴らしさをあまねく味わえるような共通の文化的財産とはなりにくいわけです。

僕自身も、そうした難しい曲を弾けるようになるためには、長い修練が必要なのは間違いない事実だと思います。そしてそれは、邦楽に限らず、様々な音楽ジャンルどれをとっても共通だとは思います。しかし、上記の「日本版パトロン制度」を成り立たせるためには、「いつまでたってもお勉強」がセットになってしまうんですよね。「自分が弾きたいように弾けるための努力」という面を通り越した、「勉強」そのものが目的になってしまった「お勉強」。そういう一面が嫌いなわけではないのですが(そして僕自身もそういう価値観を大切に修行を重ねてきたわけなんですが)、正直それが現在の邦楽界の人口減(特に古典系)に関係してしまっているのは否めないと思います。



尺八本曲の「鹿の遠音」、箏曲「千鳥の曲」など、純粋に音楽として旋律も美しく、曲の構成や作曲の工夫に目を見張るような名曲も沢山あります。また、先程話題にあげた「八重衣」などは、三曲の演奏家でなくても、その音楽的価値を味わえる可能性を十分に持っている楽曲だと思います。折角そういう素晴らしい財産が数多くあるのにも関わらず、現代という時代に合わずに廃れていってしまうのは、あまりに勿体無いと僕は感じています。現代は、身の廻りに魅力的な文化が満ち溢れているだけに、そうした音楽的な魅力をストレートに感じてもらえるような工夫が急務だと考えています。

2018年4月13日金曜日

平成30年春、ブログタイトル刷新

美しい春の景色に、心がなごみます。

田主丸町内から南の方角を眺めると、「屏風山」とも呼ばれる耳納連山の美しい山肌が一望できます。
水田が一面ピンク色に染まるレンゲ畑もきれいですね。



さて、この平成30年春、自分の尺八演奏活動に関しまして、大きな転換期となりました。

そこでブログ名も、これまでの「尺八稽古帳」から、「尺八音楽考」へと変更しようと思います。


「お稽古」「お勉強」としてではなく、「尺八音楽とは、一体何なのか」「その音楽的価値とは」…など、これまで議論・提唱されてきた認識からさらに一歩踏み込んで、山口の感じた、自分自身の感性や言葉で発信して行きたいと思います。

ここ数年、そうした話題はFacebookでまずは公開という流れだったのですが、しばらくFBは休憩し、少しゆったりしたマイペースでブログの方で更新して行きたいと思いますので、もしよろしければどうぞお付き合いの方、よろしくお願いいたします。

2018年4月11日水曜日

本名

私事ですが、この度私は、竹盟社師範及び竹号「籟盟」を返納させて頂き、今後は本名「山口 翔」として活動させて頂くことをご報告致します。

一個人という立場で、尺八本曲や三曲合奏を純粋に「音楽」として楽しんでいけるよう、オープンなスタイルで活動して行きたいと思います。

今後とも一層精進して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。



琴古流尺八奏者 山口

2018年3月29日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「寿調」

49回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(36)「寿調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

『三浦琴童譜』(正式には『三浦琴童先生著拍子、記号附 琴古流尺八本曲楽譜』)の1曲目を飾るのは「一二三鉢返寿調」です。これは、「一二三調」「鉢返」「寿調」の3曲が合わさった曲になります(正しくは、それに「竹翁先生入レコノ手」が加わる)。「一二三調」と「鉢返」は、曲の最後の旋律が共通しているので、「一二三調」の途中まで演奏した後に先に「鉢返」を吹き、最後に2曲の重複した終末部分を演奏するということのようです。これが所謂「一二三鉢返調」で、その「鉢返」の終わりの重複部分になる寸前に「寿調」を挿入したのが「一二三鉢返寿調」ということになるわけです。

文章で書くと、何が何だか判りにくくなってしまうのですが、要するに現行では「一二三鉢返調」という10分程度の2曲合体演奏が一般的になっているわけですが、『三浦琴童譜』においてはプラス「寿調」で、3曲合体の「一二三鉢返寿調」という譜面になっているわけです。しかし、実際には「一二三鉢返調」として演奏することが殆ど(というよりもほぼ全て)なので、「寿調」だけ取り出して「1曲」扱いすることが多いようです。

三浦琴童譜の注釈には「以下寿調又長調トモ云フ」とありますが、この「長調」という曲名は、『琴古手帳』の「当流尺八一道之事 十八条口伝」や「細川月翁文書」の『尺八曲目ケ条之書』に「一、長しらべをふく事」と出てきます。月翁文書の『尺八曲目ケ条之書』においては、付け紙に「初代琴古工夫して吹出す也 息気竹に和し候上ならでは何(いずれの)曲も吹かたし 何曲を吹とても前に是を吹て息気竹に和し其上にて曲を吹 為に設曲によりて吹仕廻の跡に入る音に伝あり」とあり、初代琴古が曲を演奏する前のウォーミングアップとして吹くように設定していたことが推測されます。この初代琴古の「長しらべ」と全く同一の曲なのかはわかりませんが、性質として「前吹」としての役割を持つ「調べ」であるならば、「一二三鉢返調」と統合されて伝わったとしても納得のいく由来の曲です。

私事ですが、お恥ずかしい話ながら、私自身関西での修行時代末期にお習いして以来、この「10分で」シリーズのために練習を開始するまでは一度たりとも吹いたことがありませんでした。しかし今回、練習の機会を得て吹いてみたところ意外(!?)だったのが、優雅な独特の旋律を持ち合わせた曲であり、一部雅楽を思わせる展開などもあったりして、なかなか侮れない、いい曲であったということです。「寿」という曲名も、こうした曲調によるものなのかもしれません。また、ここ数ヶ月「裏の曲」ばかりを吹いてきたため、久しぶりに「表の曲!」という雰囲気を味わいました。表の曲は「古伝三曲」「行草の手(竹盟社では「学行の手」)」「真の手」など、「いかにも琴古流本曲!!」な感じの形の整った楽曲が多いのに対し、裏の曲は「琴古流本曲の中でも特殊・突飛な曲」の割合が高く、特に最後の数曲は作曲時期が新しいこともあって、自分の中の演奏イメージがだいぶ表の曲から外れた状態にきていました。そこにこの「寿調」で、「おおっっっ!琴古流本曲本来の姿に戻ってきたぞ!」というような感動を味わったわけです。

現在では「琴古流本曲36曲」のトリを引き受けるこの「寿調」。地味なようでいて、実は旋律も美しく、さらに初代琴古以来の脈々と続く伝承を受け継いでいるこの楽曲を、「10分で」シリーズの最後に演奏公開させて頂けたことは、自分にとって新鮮な思い出として残りました。これからも、何か祝儀事での演奏機会があれば、ぜひこの「寿調」に活躍してもらおうかなと思っているこの頃です。なお、この曲も抜粋せず、「一二三鉢返寿調」のうちの「寿調」の部分だけを演奏して10分ちょっとに収まる楽曲です。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

【web演奏会】10分で琴古流本曲「月の曲」

48回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(35)「月の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

近代以降の琴古流の礎を築いた、2世荒木古童(竹翁)が作曲しました。以前から解説している通り、曙調子・雲井調子の移調が現行しない代わりに、琴古流本曲36曲にカウントされるようになった曲です。

この曲については、雑誌『三曲』の大正14年2月号に、三浦琴童が「荒木竹翁先生」という記事で言及していますので、ここに引用させていただきます。

「先生の作曲では現在も琴古流本曲として用ひてゐますが月の曲、之には呂のロから甲のハ迄昇る手がありますが、之は自然に昇せるので、之も月の昇つて行く形容を取入れたものでそこが此曲の骨子となるのです。
月に次いでは雪の曲、花の曲、も作曲の予定であつたとかで、花の曲に就ては先生の案になつてゐた手も聞かされた事があります。
雪は今戸へ引越してから裏の隅田川を見乍ら雪の情景を味つて会心の曲を仕揚げるのだと云つておられました。一局部の作はあつたのですが、終に完成を見なかつた事は誠に惜しい事です。
それでもかうして「月の曲」が残つておると云ふ事はせめてもの吾々の幸福だと思つております」

ちなみに『三浦琴童譜』の「月の曲」の注釈には、「此曲ハ荒木竹翁先生推敲中に歿せられしが、愛慕の意を表するため謹写せし者なり」とあります。

演奏してみますと、琴童師が解説されている「呂のロから甲のハまで昇る手」が実に印象的で、八寸管で壱越になる筒音が、第1オクターブから第3オクターブまで連続して吹き上がっていくような演出になっています。この手には譜面に注釈があり、「一と息ニテ呂ノロヨリ甲二ナシ五ノハノ呂ニナシ又甲ニナシ終リニ四ノハヲ一寸聞カセル」とあります。乙のロから甲に吹き上げ(第1オクターブから第2オクターブ)、そこから裏孔をあけて乙の五のハとし(甲のロと同音)、さらにそこから甲に上げる(第3オクターブ)というわけですね。しまいの部分は2、3孔をスって終わります。琴古流の「四のハ」は、1、4孔を閉じるようになっているので、注釈のような書き方になるのでしょう。

このスリの記述は、鹿の遠音の「竹翁先生替手(実際には現行の演奏は全てこの「替手」で演奏します)にもあります。「四のハ」は、「三のハ」と同じく近代に入ってから、外曲の必要性によって生み出された運指なわけですが、「月の曲」も、「鹿の遠音・竹翁先生替手」も、荒木竹翁が手付けしたわけですから、旋律自体が「近代の琴古流」へと移っていっているといえるでしょう。「月の曲」の終末には「ヒの中メリ」「レの中メリ」も出現し、あたかも外曲の後歌のような趣を感じます。

曲全体として、「琴古流本曲の代表的な手のオンパレード」というか、「ベストヒット集」とでもいう感じで印象的な手が連続して構成されており、非常に聴きやすいまとまりのよい楽曲となっています。ここでは抜粋せず全曲通していますが、15分以内に収まっています。曲の終わりは、殆どの琴古流本曲と同様「レロ」となっていますが、楽譜ではその横に細字で「或ハ、ハゝハレ」とあり、ひょっとしたら竹翁師が「最後まで迷っていた」のかもしれません。個人的には後者の方が自然な流れに感じますが、お習いしたのは「レロ」の方ですので、こちらで演奏しております。





「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。