2013年9月7日土曜日

洋画家・彭城貞徳は、吉田一調門人・彭城逸調

7月28日に、石橋美術館の「洋画家たちの明治」という展覧会に行った話を載せましたが、その日以来、気になっていたことが本日氷解しましたので、ご報告致します。

あの「鮭図」で有名な高橋由一の門人・彭城貞徳の「静物」という作品。
この解説に気になる一文が。
「尺八の腕はプロ級」

「彭城(さかき)」で尺八とくれば、思い出すのが吉田一調門人の彭城逸調(さかきいっちょう)です。しかし、その日以来の猛暑の影響で、エアコンレスの書斎で調べる気も起こらず、確かめずに放ったらかしになっていました。

一ヶ月半が経過した本日、調べ物で『尺八史考』をめくっていたところ、やはり吉田一調の門人に「逸調・彭城貞徳」の文字が!そこで、ネットで調べてみると…

さかき-ていとく【彭城貞徳】
1858-1939 明治-昭和時代前期の洋画家。
安政5年2月11日生まれ。肥前長崎の人。高橋由一(ゆいち)の天絵社でまなぶ。石版会社玄々堂などにつとめたのち帰郷。明治26-33年アメリカ,ヨーロッパに遊学,イギリスでは図案家としてはたらく。帰国後,鎮西学院などでおしえ,画塾をひらいた。昭和14年1月4日死去。82歳。工部美術学校中退。本名は森元貞徳。作品に「和洋合奏之図」など。
(コトバンクより)


彭城貞徳(1858~1939)は長崎生まれの日本近代洋画の先駆けである。
安政五年唐通事の名門に生をうけ、17歳の頃高橋由一の天絵楼に入門し油絵を学び、その後工部美術学校画学科で19世紀イタリア アカデミズムの洗礼を受けた。日本橋の亥々堂に職を得、美校を中退するも、明治26年シカゴ万博出品代表として渡米。英仏を回り、明治33年に帰国後、神戸、長崎で制作と美術教育に専念した。
生存中の昭和7年日動画廊で遺作展が開かれたのは、情報の少なかった当時、その実力は中央でも注目された存在であった証であろう。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1117728/1139685/48129870

…と、尺八に関する話題はないものの、長崎出身で高橋由一に師事ののち洋行し、帰朝の後制作と後進の指導に尽力したことが読み取れます。

因みに、作品「和洋合奏之図」には、ちゃんと尺八が描かれています。


(追記)彭城逸調は、「一調」を継いで二代目となったようです(値賀笋童・『伝統古典尺八覚え書』より)

また、『三曲』昭和7年9月号に、中塚竹禅が「彭城貞徳翁の事」という記事を載せているようですが、残念ながら『三曲』を手放してしまっているので、また機会を見て調べたいと思います。

2 件のコメント:

  1. 人それぞれに分厚い人生がありますね。

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  2. 描かれている尺八も、中々に太い竹で、いかにも琴古流らしいなと思いました。この作品も是非見て見たいです。

    長崎県美術館に所蔵されているようですので、また鑑賞の機会を作ってみようと思います。

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