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2016年12月31日土曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「夕暮の曲」

第26回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(14)「夕暮の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

古伝三曲をはじめ、普化宗の宗教音楽としての尺八本曲が本来の姿だとすれば、この曲は音楽性に重きをおいた「破手の曲」であり、「本曲の中の外曲」とでも言える存在でしょう。下総一月寺の役僧半林より、初代黒沢琴古に伝授されたということです。

江戸時代の随筆家・俳人であった神沢杜口の随筆『翁草』には、この曲が霊元天皇によって「夕暮」と命名されるくだりが記されています。「仙院(霊元天皇の御事)いまし給ふある秋の暮つかた、御苑の高殿にて御つれづれの御遊の折から、何地ともなく籟(らい)の音の風にたぐへて吹おくれる其聲、怨るが如く慕ふが如くただならぬを、院聞召て御童に勅有て、其籟の行衞を求めさせらるるに、仕丁の輩、御築地の裏京極街の邊へ立出てみれば、獨の普化僧の街を通る手ずさみにてぞ有ける。
則渠(かれ)をいざないて御所へ帰り参、かくと奏ずれば、今の一手は何と云曲也やと人をして尋ねさせ給ふに、薦僧云、只今吹すさみ候は名のある 曲にては候はず、何となく秋暮の物悲しきに感じ候て、時の調子をはからずもしらべ候のみに御座候と申上げければ、その者此能に堪たりと叡感有て、渠が名を も尋させられ、今の一手に「夕暮」といふ勅銘を下さる儘、此後に、一曲に定むべしとの御事にて、御かづけ物などを賜ひ、時の面目を施し こも僧は退出せり、夫より此一曲を端手の組に入れて今も是を吹とかや、其こも僧は鈴木了仙となん云る、正徳享保の始迄も在し尺八の妙手なりと承伝。」
…つまり、霊元天皇が、たまたま出会った虚無僧の吹いていた、秋暮の物悲しさが込められた尺八の旋律に感じ入られ、「夕暮」という曲名をお与えになった、ということですね。


このエピソードが史実であるかどうかはさておき、確かにこの曲の旋律は琴古流本曲中でも独特の雰囲気を持ち、秋の夕暮れの美しさと物悲しさを、尺八の音色に託して表現しているように感じられます。琴古流本曲中でも芸術性の高い名曲だと思いますし、その旋律は大変印象深く、私もよく、特に夕方に何とはなしにこの曲を吹いてしまいます。

曲は大きく四つの部分で構成されていますが、今回の演奏はそのうち最初の出だしの部分と、最後の高音(たかね)の部分とを取り上げています。最初は乙音を中心とした低く落ち着いた旋律で構成され、ユリやナヤシ、ツキユリなどが効果的に用いられています。また、高音の部分は、それまでの曲調から打って変わって三のウやヒなど、激しい高音域を多用し、真っ赤に燃えながら沈んでいく夕日を連想させます。
私事ですが、福岡に帰郷してから3年間、久留米から遠く四十数キロも離れた山里に勤務していた頃、県の東の果てから筑後川に沿って西の久留米に車を走らせると、よく真っ赤に燃える美しい夕日を追いかけるように帰宅していたことを思い出します。その夕日はあるときは雲を染め、またある時には川面に反射し、雄大さと美しさ、そしてちょっぴり物悲しさを私に感じさせてくれました。時には雁がねの群れとも並走し、その景色はとても思い出深いものでありました。その時の様子が演奏中、自然と脳裏に浮かんできました。

今年1年間、毎月の「10分で琴古流本曲」シリーズを続けてきましたが、年の暮れにたまたま「夕暮の曲」が巡ってきたことは不思議な縁だと思います(ちゃんと曲順でやっていて、こうなりました。さらに年明けの最初の曲は「栄獅子」です!)。毎月琴古流本曲を1曲ずつ演奏し、皆様に聴いていただけて、本当にありがたく幸せな1年間でした。琴古流本曲を身近に感じ、少しでも興味を持っていただけましたなら、私のこの取り組みも冥利に尽きるものであります。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
平成28年年末  山口籟盟


※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない
尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

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