兵庫県から福岡に戻って以来、9年間続けてきた「毎日背広でお仕事」を、この度やめてみました。
2021年4月18日日曜日
スーツ通勤にさよならを…
2021年4月8日木曜日
2021年3月31日水曜日
岐阜市に「不登校児専門公立中」開校
「…大人は、時間割も、教室も、担任の先生も、9教科も、よかれと思って子どもたちに与えます。子どもたちに必要だと思うから与えるのです。
でもこれを子どもたち自身が自分で選べるチャンスというのは、どうすれば作ることができるのか。みんな同じように同じペースで学ばないといけない、これができることが、大人になるために必要だと大人は考えます。そのためには我慢をしないといけないし、耐えなければならない。
2021年3月14日日曜日
クラッチペダルのゴム
現在、レガシィの走行距離24万7900あたりですが、クラッチペダルのゴムが削れて外れかけて来ました。これで2回目です。クラッチはちょっと重め?のクルマなので、結構力入れて踏みますもんね…
2021年3月3日水曜日
小5国語の教科書、新旧比較
左は平成8年版。僕が子どもの頃に使っていたのは、ちょうどこんな感じでした。小さくて薄くて軽いし、物語文の後の「勉強」的な感じのところはおまけ程度にちょろっとでした。こんなもんでしたよね。
右は令和2年版。横の長さはA4、縦の長さはB 5という、変則的な横広サイズ(他教科もこのサイズで、ランドセルの幅がA4でないと入らない…)で、太さが極太!!めちゃ重いです。
なんと、以前のように上下に分かれていない通年もの。また、やたらめったらカラーページで、あれこれ「ユニバーサルデザイン」てんこ盛りで、子どもの顔に吹き出しが書いてあったり、話し合いの模様が再現されてあったり…、と至れり尽くせり?もう、やりすぎじゃない??
僕は、ユニバーサルデザインのやりすぎは、脳を退化させるのではないかと考えています。考えたり間違ったりする機会が失われて、「ねらいどおり」の思考しか産まないような感じというか。デザインした側の「意図」の通りにしかなりようが無いようにしてるというか。所謂「研究授業」も「教師の意図通り」に子どもが理解・発表しないと「失敗」になりますしね…
こういう訳の分からないのも、所詮「流行」なので、そのうち廃れるでしょう。
2021年2月21日日曜日
熊本の製管師、利道道仁(りどうどうじん)師について
先日、欧州のFacebookグループ「Shakuhachi Makers Hanko」というコミュニティに参加させて頂く機会を得ました。これは、尺八製管師の焼き印の写真を持ち寄り、情報交換しようという趣旨でしたので、僕も吹料の利道道仁管の焼印や全体写真、自分の知っている範囲内での情報などを提供させて頂きました。そんななかで、欧州でも道仁管を持っておられる方がおられることも知り、楽しく交流させて頂きました。
そこで文章作成中に気付いたのですが、この道仁管も受け取って吹き始めてから、はや9年、利道さんが亡くなってからも5年以上が経過し、自分ももうすぐ40歳…と考えると、これ以上記憶が薄らいで行く前に忘備録としてホームページ、ブログ、Facebook等に詳細を記録しておく必要性を感じ、今回ペンを取った次第です。…すでに記憶が曖昧な所がありますが…
利道道仁(1953?~2015.3)
・本名、則行
・熊本県阿蘇郡高森町生まれ。
・父君は竹刀を作る職人だったという。若かりし頃、竹材を採取していた阿蘇で「120年に一度咲き、その後は枯れる」と言われた竹の花が咲き、そして枯れてしまったため、真竹を原材料とする竹刀の制作継続が難しくなった。別の職を求めて大阪へ。
・大阪で尺八と出会う。竹刀との「真竹」繋がりで興味を持たれたとのこと。内部構造を調べるため、試しに縦に割って観察の後接着したところ、音が出なくなってしまったという。その面白さに興味を惹かれ、尺八作りの道を志す。
・当時、大阪は玉井竹仙師の全盛期で、沢山の弟子も抱え、大量に生産していた時期だった。利道師は玉井竹仙の門人となったわけではないが、その作りを参考にして製管技術を会得したとのこと。
・熊本に帰り、工房を開く。当時は民謡尺八も全盛期だったため、尺寸の違う大量の尺八を必要とする民謡の尺八奏者らが購入していた模様。
・一時期、永廣真山師の下請けもやっていたとのこと(同師の受注が莫大だった頃)。
・吹奏の方は、阿蘇の美風会(吉田晴風系統の社中)で習ったため、琴古流の演奏を行った。ただし、人前ではあがり症のため、舞台等は辞退していた。製管は琴古管も都山管も両方行った。
・尺八は標準管、本曲用、新曲用の三種類を制作。本曲用は標準管に比べて内径が太め、新曲用は細めとのこと。自分は本曲用をオーダーしましたが、本曲の技法には適する代わりに、細かいパッセージのプレイアビリティには劣ると念押しされました。
・2015年3月没。享年62歳。
About Mr.利道道仁(Ridoh Dojin)
1953~2015
・Born in Kumamoto Aso Takamori.
His father is “Shinai” Kendo bamboo sword craftsman.
・In his youth, bamboo blossomed, and later withered. So he tried to go to another profession.
・He went to Osaka, and wet Shakuhachi.
At that time, Tamai Chikusen(玉井竹仙)was working, and teaching to lots of students. He wasn’t Chikusen’s student, but referred to him and his students.
・He went back to Kumamoto, and opened his workshop.
・For a while, he made Shakuhachi as Nagahiro Shinzan(永廣真山)‘s subcontractor, I heard.
・He learned Shakuhachi in Bifukai(美風会)which is group of Yoshida Seifu(吉田晴風), so his play style is Kinko. He made both Kinko and Tozan instruments.
・He died at the age of 62, in March 2015.










