第25回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(13)「吉野鈴慕」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
前回の「琴三虚霊」に引き続き、『真の手』の第2曲目「吉野(よしや)鈴慕」です。
この曲も「琴三虚霊」同様、初代琴古が宇治吸江庵の龍安から伝授(『琴古手帳』の「当流尺八曲目」に、琴三虚霊に続いて「右同人ヨリ傳来仕候」とあり)されたものと見られています。
「〇〇鈴慕」によく見られる音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)が曲中に登場し、どちらかというと宗教色の濃い、本曲本来のスタイルを持った曲のように思います。それと同時に、個人的に琴古流本曲中でも「秋田菅垣」や「下り葉の曲」んどとならんで、特に旋律が美しい曲だと感じており、思い入れの強い曲でもあります。特に、本動画の4:46あたりから始まる、「リの中メリ」を主とした旋律は独特であり、印象的です。「吉野」は「よしや」と読み、「善哉」とも書きますので(同名異曲が、対山派などにあるようです)、奈良の吉野のことではないと理解はしていますが、どうしてもこの曲を吹くと、関西時代に訪れた、あの美しい吉野の山里の景色を連想してしまいます。
余談ですが今回、自分のこれまでの撮影と比べると、珍しくアウトテイクの連続でした。大体通常は2~3テイクで済むのですが、今回は最初の2テイクがメカトラブル、その後も演奏自体が上手くいかなかったり、集中力が途切れたりと、昼過ぎから始まった撮影が夕方になっても散々の出来でした。11月の最初に、本業の関係で数日尺八を吹かず、その後風邪をひいて調子を落としたりと、11月は全体を通して中々尺八の調子が上がらなかったのも、精神的に響いていたのかもしれません。「しっかり音を出さなきゃ」「高音が痩せないようにしないと」「この技法のところはしっかり決めたい」など、さまざまな邪念が頭をよぎりました。
日もとっぷりと暮れた頃、急に師匠の言葉が蘇ってきました。
「山口君、本曲は人に聴かせる曲ではなく、仏様に聴いて頂く曲や。お仏壇の前で吹くような気持ちやないとあかんで」
やっと気づきました。気持ちも体も力んで、全く自然体で吹けていなかったことに。
そして、ようやく「お仏壇の前」で吹くような心境で演奏することができました。途中、亡くなった父方、母方の祖父母4人が並んでこっちを見てくれているような気持ちになりました。忘れかけていた大切なことを思い出させてくれました。
その最後のテイク、一箇所間違ってしまっています。最後の「ハーラロ」の次のナヤシの後に、余計にロの押しを一つ入れてしまいました。しかし、上記のような経緯により、このテイクを公開させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。
※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない
尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。