ちょっと脳裏をよぎった話題を…
私は都山流で尺八を始め、後から琴古流に転門した者なのですが、
琴古流の「千鳥の曲」を習ってびっくりしたのが、
「手事」の始まりが都山とは違う場所なのです。
青譜の「千鳥の曲」 |
白譜の「千鳥の曲」でも、同様です。 |
都山流では、前歌が終わり、しばらく手だけの部分が続いた後、
「波の部」が始まる「ツレー」の所からが手事扱いなのですが
琴古流では、前歌の歌が途切れた次の瞬間の「ハロー」からが
手事になっているのです。
現在の都山譜 |
昔の都山譜も同様です。大正12年刊、初代中尾都山著 |
箏の楽譜を確認すると…
邦楽社発行、宮城道雄著「千鳥の曲」
都山流と同じ区切れですね。
家庭音楽会発行、山口巌校閲「千鳥の曲」
都山流と同じ区切れですが、琴古流の区切れのところに、
次のような注釈があります。
「此所より手事と称する人あり」
…なるほど!会派によっては、琴古と同じ区切り方になっている
ところもあるということですね!!
しかし、逆に言うと、やはり都山流と同じ区切れが多数派という
ことになりそうです。
邦楽社発行、中能島欣一著「千鳥の曲」
山田流では、「波の部」を「序」、「千鳥の部」を「手事」と
称しているようです。
しかも、替手の始まりが、波の部の途中からなんですね。
「シャシャテン」のところは、掛け合いになっています。
流派によって違いがあり、おもしろいものですね。
ちなみに、私個人的には、音楽的には都山流の区切り方が
妥当かなと思っており、「波の部」の直前のところは意識を
変えるようにしています。
ただ、やはり前歌がおわった直後のところは、やはり琴古の
区切れを意識しますね。
師匠からのお稽古でも、そのように習いましたし。
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