秋になると、鹿は発情期を迎え、牡鹿が雌鹿を呼び求める時に「ギャーン」という雄叫びを上げるのだそうです。本曲の「鹿の遠音」の解説では、「夫婦がお互いを呼び合う様を表現するので、二管の掛け合いになっている」とされることがありますが、実際に鳴くのは雄だけのようです。古来、「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」の歌に代表されるように、日本人の秋の風物詩の一つとでも言えるようなものだったのでしょう。
しかし現在、特に都市部では中々これを耳にすることが出来ません。値賀笋童師『伝統古典尺八覚え書』にも、都会育ちの三世古童が、わざわざ奈良公園へ鹿の鳴き声を聞きに行くエピソードが描かれています。鹿の鳴き声には、近音、中音、遠音の3種類があり、近音は日常的に餌を求めたり仲間を呼んだりする声で子豚の鳴き声に似ているとのこと。中音は、上記の発情期の雄叫びで、遠音とは、その中音が、遠くから余韻のように響いてくるものだそうです。三世古童は、その「中音」をたっぷり聞いてしまったようで、「鹿の遠音は豪快で威厳があり、尺八曲の甲高い高音部は谷間を渡る風の音だろう」との談話を残しているそうです(『伝統古典尺八覚え書』)。
私事ですが、現在たまたま大分との県境にあたる山間部に勤務しており、「秋には鹿の鳴き声が聞こえる」との地元の方のお話に胸を膨らませておりました。そして、つい昨日、とうとうそれを耳にすることができました。昼を過ぎて3時ごろ、外から職場の建物の中に、「ヒーーン⤵︎」という、尺八の二四五のハのような高さの鳴き声が聞こえて来ました。地元の方が「これだ」とおっしゃったので、間違いはないと思います。現代の地管の締まった音色よりは、地無し管やケーナのような、やや開き気味の音色に近いと思いました。夜にばかり鳴くものと勝手に思っておりましたが、今回、朝や昼間に鳴くこともあるのだということも分かりました(盛んに鳴くのは夜九時を過ぎてのようですが)。三世古童の考えとは違い、やはり鹿の鳴き声の描写は「二四五のハ〜四五のハ」のところだと思います。本当に貴重な体験ができました。早速今朝は「鹿の遠音」を稽古して見たいと思います。
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