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2012年7月21日土曜日

巣鶴鈴慕の稽古

巣鶴鈴慕(=鶴の巣籠)は、親鶴が巣作りをし、雛を育て、子が巣立つ迄を描いた曲と言われます。その間、親はきっと様々な苦悩をしながら子を育てるのでしょう。時には身を挺して我が子を守り、時には叱り、また反発を受け、必死に自立へと導くのでしょう。雛が立派に独り立ちして巣立つ頃、親鳥は力尽き、やがては土に返って行くのかもしれません。

久留米に来てからこの曲を暗譜し、中央公園や筑後川で練習を積み重ねて来ました。おかげで曲全体を把握し、流れを意識して演奏することが出来るようになって来ました。しかし、やはり曲としての格がケタ違いに高く、全く「仕上がり」の気配が見えて来ません。大抵の曲は、自分の発達段階なりの「仕上げ」をして本番を迎えたり、合奏したり、或いは一種の「納得」を以て次の曲に切り替えたり出来るのですが、この曲は全くそういう類の気配が訪れないのです。細かい技術的な課題もキリがなく、曲全体もスケールが大きく、なかなか自分自身の持ち曲にして行くのは至難の技です。

今日の練習では、曲の途中、12段のうち7段か8段位から音量が落ちてくる問題に取り組みました。甲の高い音ばかり、速い指使いや特殊奏法が連続して出続けるので、口が堅くなり、鳴りや抜けが落ちてくるのです。今回は「ずっと鼻歌をするような気分で」をテーマに演奏してみました。その結果、「抜け」の方は最後まで持続することができたようです。しかし、特に蒸し暑い時は顎に汗をかきやすく、尺八がズルズル滑るようになると鳴りがどうしても少し落ちてしまうのです。これからの課題です。それから、ハゝ ハゝ ハゝ…の所をコロコロのように、一瞬指同士の開け閉めをかぶせてみるとうまく音が転がるという嬉しい発見もありました。

さて、私事ですが、先月長男が誕生し、「親」という立場になりました。今はまだ里帰り出産のため妻の実家にいますが、もうすぐ久留米の方に帰って来て、いよいよ一緒の生活が始まります。この間の三連休、お宮参りのため私も一緒に過ごすことが出来ました。我が子のオシメを替えたり、夜中にミルクを足したりするうちに、少しずつ親としての実感が湧いて来ている自分を感じました。我が子のためなら自分を犠牲に出来るというのも、あの笑顔や泣き顔を見れば分かります。おそらくこれからは練習どころではない日々も訪れるのかもしれませんが、息子と共に自分自身も人間として成長させてもらいたいと思っています。こういうことを言ってられるのも今のうちで、これから必死に毎日を生き抜く日々になって行くのでしょう。

4 件のコメント:

  1. 昨日はドイツのオスナブルックの大きな教会で、今日はレンゴーの森の教会で、2回尺八コンサートをしました。巣鶴鈴慕をカットバージョンですが吹きましたよ。
    1週間の旅でした、明日帰ります。

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  2. 先生のブログ、拝見しております。美しいドイツの街並み、歴史を感じますね。ご無事に帰朝なさいますようお祈りいたします。

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  3. 無事帰国しました。籟盟さんもいよいよ子育てが始まりますね。がんばってください。何でもそうですが急がば回れですよ。
    発酵には時間が必要です。

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  4. 海外遠征、お疲れ様でした。竹の音色の輪を、ドンドン広げておられますね。私もこれからがんばります!!

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