第31回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(19)「鈴慕流」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。
琴古流本曲表のうち19曲めは、「鈴慕流(れいぼながし)」です。「琴古手帳」によれば、一月寺御本則橋本半蔵(左文)より傳来した曲で、そのときに「葦草鈴慕」を懇望されたので、勇虎尊師に届けた上で交換伝授を行ったということです。
琴古流以外の古典本曲の伝承の中には「流し鈴慕」という曲名も聞きます。同一曲かどうかは詳しく分かりませんが、古来、虚無僧の托鉢行脚の際に吹き流して歩いた曲かと思われます。「鈴慕」という曲名は、普化宗においては「普化禅師の鐸(大きな『鈴』)の音を『慕』って、弟子の張伯が普化尺八の原型の竹笛を吹いて付き従った」という故事から来たものとされていますが、その語源が真実であるならば、漢文の文字列(動詞が目的語の前に来る)からして「慕(レ)鈴」となるべきはずであり、実際には「れんぼ(恋慕)」という一節切の曲にそうした伝説を結びつけた、後付けの当て字と解釈すべきものであるようです。ただ、この「鈴慕」が名前に含まれる琴古流本曲・古典本曲は実に数が多く、もともとは「虚無僧が托鉢で吹き流す曲」というニュアンスを持つタイトルだったのが、「巣鶴鈴慕(琴古流における「鶴の巣籠」の改名されたもの)」のように単に「尺八の曲」というだけの意味を持つ接尾語みたいに使われるようにもなり、これが「〇〇鈴慕」という楽曲が爆発的に増えた原因なのではないかと考えられます。「むかいぢはれんぼの和名」と記す古書もあることから、一番最初は「霧海篪=鈴慕」であったとする説も聞いたことがあり、それが事実であるとすると琴古流における古伝三曲の1曲目が「霧海篪鈴慕」というタイトルであるのは、非常に歴史的にも的を得た題名であるように思えます。また、確かにこの「鈴慕流」も「霧海篪鈴慕」と共通する旋律形(「ヒゝゝゝゝ…」の多用など)は感じられますので、元をたどると「霧海篪」と関係する楽曲なのかもしれません。現在では「古伝三曲」として重く扱われる「霧海篪」ですが、昔は本曲は「霧海篪鈴慕」「虚空」から習っていた(琴古流本曲の曲順においても、かつては最初の楽曲であった)という話も聞いたことがありますし、そうであるならば、「尺八で最初に習う曲=鈴慕」ということで、その後に習う多くの楽曲が派生形としての「〇〇鈴慕」であるというのも首肯できます。…小難しい話がいろいろと出ましたが、まあいずれにせよ「〇〇鈴慕」という楽曲が数が多く、どれも虚無僧が托鉢時に「吹き流した」という性質を受け継いだものであるということからすれば「鈴慕流」という楽曲名は、そうした「鈴慕」たちの中でも、かつての本質をより濃く残す1曲なのかもしれません。
ちなみに、web演奏会「10分で琴古流本曲」シリーズのアクセス数を見ると、「琴古流本曲の10分程度の抜粋」という同一条件ながら、やはり楽曲ごとに人気の差があるようで、ここ最近にアップした曲の中では「葦草鈴慕」はやはり「楽曲がいい」というご評価を頂いたというか、実際にアクセス数も他の曲より多めだったり、「いい演奏でした」という暖かいコメントもいつもよりも沢山頂いたように感じました。その「葦草鈴慕」を橋本半蔵に「懇望」されて初代琴古が伝授したというのも、平成の現代のネット上の演奏結果からみても「なるほど!」と思うものであると同時に、この「鈴慕流」も演奏してみると確かに独特の趣があり「いい曲だなぁ~」と感じるものであります。琴古流本曲の中でも人気曲の方であり、NHKラジオなどでも時々取り上げられています。「流す」という語感が当てはまるような「レーゝー、ツメ~レーゝー、ツメ~レー、ヘー」という旋律形があり、個人的にも大変気に入っています。この「10分で琴古流本曲」という取り組みを始めたきっかけが、「琴古流本曲の受ける不当に低い評価を少しでも改善したい」という思いがあったわけですが、まさにこの取り組みの結果、こうした傾向が浮上したということはとても嬉しいことであり、やりがいを感じた次第でありまして、いつも動画をご覧いただいているみなさまには心より感謝申し上げると同時に、今回の「鈴慕流」もぜひご視聴くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない
尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。