第24回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(12)「琴三虚霊」】
琴古流尺八本曲のうち、「霧海篪鈴慕」「虚空鈴慕」「真虚霊」の3曲が『古伝三曲』と呼ばれ特に重視されていることは、これまでに書いた通りです。琴古流本曲には表18曲・裏18曲にそれぞれ曲順があり、これまでのweb演奏会での曲順は、現行の琴古流本曲の曲順通りに公開してきました。
しかし、江戸時代の琴古流本曲成立当初は、実は『古伝三曲』が曲順の冒頭を飾り、それに引き続いて「滝落の曲」「秋田菅垣」「転菅垣」「九州鈴慕」「志図の曲」「京鈴慕」の順となっていました(「一二三鉢返調」の成立は、かなり後になってからのことです)。これらは『行草の手』と呼ばれ、『古伝三曲』に比べるとくだけた曲、くずした曲、というニュアンスが受け取れます。『古伝三曲』は、『琴古手帳』においては『古伝本手』と書かれ、本曲中でも最も格式の高い正しい形の曲という位置付けになっているわけです。それを楷書とすれば、行書や草書のように、画数や書き順がくずしてある、という意味でしょう。
さて、表18曲のうち、『古伝三曲』『行草の手』以外の9曲は『真の手』と呼ばれています。琴古流本曲中でも有名な「夕暮の曲」「巣鶴鈴慕」なども、この『真の手』に含まれます。『古伝本曲』ほどの宗教的な格式の高さとは異なるものの、それぞれに深みや重み、歴史的な意義を持つ、日本各地の虚無僧寺から蒐集された個性的な曲が並んでいるように思います。その第1曲目がこの「琴三虚霊」です。
この曲は、宇治吸江庵の龍安(ろうあん)から伝授された当初は「三味線虚霊」と呼ばれていたようですが、初代琴古が勇虎尊師、泰巌尊師と相談の上「琴三虚霊」と改名したくだりが『琴古手帳』に記録されています。この勇虎尊師、泰巌尊師の両名は、琴古流本曲の曲順・曲名の整理・決定にも立ち会ったようで、琴古流本曲36曲の成立に、黒沢琴古と共に深く関わった人物であるようです。
「琴三虚霊」の曲名からは、琴や三絃との関連を感じさせるようでもありますが、「菅垣」のように曲そのものの音楽性が外曲と深く関わっているようには思えません。あえて言えば、琴古流本曲にしては、同じフレーズ・似たフレーズの繰り返しが散見されるように思います。また「真虚霊」との音楽的な類似性も特に感じられず、どちらかというと「霧海篪/鈴慕」における音の使い回し(ヒの打ちつめ、押し、曲の終わりの「ハーラロ」の3回繰り返しと、その真ん中をカルことなど)に近い気がします。いずれにせよ、『古伝三曲』よりは音楽的な要素を強めた、京都からの伝来の曲ということで、伝承当時に思いを馳せながら演奏をしてみました。抜粋においては、なるべくこの曲の独特な旋律を中心に組むよう心がけました。