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2012年12月31日月曜日

稽古納め

今日は昨日までと打って変わって寒い一日で、中央公園での練習中も雪がパラつきました。稽古納めの曲は、盤渉調〜真虚霊でした。多少の間違えはあったものの、暗譜で最後まで通す事ができ、自分の中に曲の流れが残っている感覚が出来ているのは嬉しいことです。

さて、今年一年を振り返ると、実に変化の多い一年でした。3月には師範免状を頂きました。4月には、郷里福岡県に帰郷、5月に新しい吹き料・道仁銘が完成しました。新しい尺八人生の、まさにスタートを切りました。

しかし、思い通りにならないこともたくさんありました。練習が自宅でできないため、ほとんどの稽古が野外でした。演奏活動も、本業が新しい環境に変わったことによる忙しさもあって中々本腰が入れられずじまいでした。そうした逆境が、音量の向上や本曲の暗譜など自分を奮い立たせ、伸ばす方向に役立ったのもまた事実ですが、来年はこのままではいけないという強い気持ちが本心です。

来年の目標は、「結果を形として出す」ということです。具体的な活動については、道すじがはっきりし始めてから公表することができると思いますが、これまでにつけて来た力を発揮できるように稽古に励みたいと思います。

というわけで、来年もどうぞよろしくお願い致します。

2012年12月27日木曜日

口まわりの保湿対策

冬の乾燥による口まわりのカサカサは、尺八にとって大敵です。

私は、就寝時にマスクという対策をとっています。こうすることで、翌朝はしっかりと保湿された状態で吹くことが出来ます。乾燥がひどい時は、日中もマスクの時もあります。

音楽をする上で、体のメンテナンスも大切ですね。

2012年12月23日日曜日

年末のコーヒーはゲイシャ

本業の方で忙殺される日々を過ごしていましたが、ようやく年末が近づき、仕事がだいぶ終わってきました。

さて、昨日、あだち珈琲に向かった所、パナマ・ママカタ農園・ゲイシャ種という豆が置いてありました。一年分の疲れを癒し、心を豊かにしようと思い、高級な価格(100g2100円)でしたが、買って帰りました。店長曰く、「コーヒーっぽくない、フルーティな紅茶みたいな感じだよ」の言葉通り、苦味はほぼゼロ、やさしい香りとほのかな酸味に包まれるような一杯です。

2012年12月15日土曜日

霧海ヂ鈴慕とその後…

霧海ヂ鈴慕を計4回、暗譜で通しました。それ以外にも、毎日風呂で唱譜したので、おそらく十数回分は頭の中を曲が通過したのではないでしょうか。クルマ通勤の時も霧海ヂ鈴慕を流しながら確認をしていたので、それを入れればもっとになります。写真は通勤中の筑後川(大分県日田市夜明付近)なのですが、このシーズンは丁度いい塩梅に曲のイメージにマッチします。

しかしなぜか、結局ただの一度も間違わずに通すことは出来ませんでした。でもそれが、モヤモヤとしたこの曲らしさなのかなとも思います。これで、一応この曲は置いておこうかと思います。「web演奏会で…」とも思いましたが、この曲を縮めて演奏会仕立てにするのも、曲の性格とは相入れないかなと思い、やめました。

これからは、これまでに習った本曲を浚って行こうかなと思います。まずは、「表18曲」を自分のものにしたいです。暗譜をしても、そのうち細かい所は忘れてしまうかもしれませんが、「曲と仲良くなれる」所が一番の大切な所だと思います。昔は、譜面のロツレをただその都度音に変換するだけの自分がいましたが、最近だいぶフレーズのまとまりごとに捉えたり、曲の構成を感じたり、雰囲気の違いから曲の持つ表現力に感動したりする事ができるようになってきたので、さらに自分を高めて行きたいと思います。

…という事で、次の曲は、古伝三曲の最後の一曲、「真虚霊」です。この曲は以前覚えた事があるので、もう一度しっかりと自分のものにしたいです。

KURUMEジェラート

久留米市役所の近くにあるジェラートのお店です。

久留米産イチゴ、ぶどう、柿といった地元の食材を使っていて、とても美味しいです。何と久留米産バニラ(!)までありました。筑後は福岡切っての農産地であるとどうじに、九州の中でも品目が特に豊富で、地産地消が成り立っている所だとあらためて感じました。

富有柿を選びました。素材の自然な甘さを生かした、やさしい味がします。

2012年12月8日土曜日

霧海ヂ鈴慕

曲の暗譜がほぼ終わりました。ちょいミスはありましたが、楽譜を見ずに二回通せました。霧海ヂ独特の、混沌とした世界観が、だいぶ自分のものになってきました。

しかし、この曲の問題は、こればかり演奏していると気が滅入ってくる事にあります。曲自体の芸術性は高いのですが、毎日続けて吹いていると憂鬱になってくるというか…。付き合い方がむつかしい曲ではあります。

虚空鈴慕は、形のハッキリした「見える」曲だと思いますが、霧海ヂ鈴慕は形が見えず「流れを感じる」曲なのかなと勝手に考えています。個人的に、古伝三曲を地歌に例えるなら、虚空鈴慕は「八重衣」、真虚霊は「残月」、そして霧海ヂ鈴慕は「夕べの雲」とでもいえるかなと思います。

暗譜をきっかけに、だいぶこの曲と仲良くなれたかなと思います。琴古流本曲は、楽譜にしっかり書き留めていたから、こんなにも形を変えずに「生きた化石」のように保存されてきたのだと思います。霧海ヂ(=鈴慕)は、ただの暗譜だと、あっという間に変形してしまいそうです。だからこそ各地に「○○鈴慕」という似たような違うような曲が、沢山生まれたのでしょうね。虚空鈴慕は形がハッキリしているので、忘れない自信がありますが、来年の冬にはもう一度霧海ヂ鈴慕を覚え直している自分がいそうです。